本ブログは「コミュニティーも国も主体は庶民」(カテゴリー:暮し生活)に属します。合わせてご覧下さい。                                                                                                                                                                                       沖縄密約問題に関する報道などでも理解できるように、沖縄の(日本)ジャーナリズムに於けるあらゆる論議の中から、その核密約問題も含めた「沖縄問題の真相」が実は、かつてはそれを見過ごし、現在はそれのせいでモルヒネ的な状態にまで陥ってしまっていることが原因で、そこにあらゆる沖縄問題の解決の糸口があったという重大なことがスッポリ抜け落ちているという、いわゆる「借金漬けの沖縄の一般的庶民労働者世帯」への視点が皆無なのが気になる。                                                                                                                                     例えば、日本国内は勿論、世界的にも常識的で具体的な沖縄県という貧乏県に対する日本(本土)政府の恫喝的差別などである。                                                                                                                                        そこに「本来の社会正義を貫くべきジャーナリズムが、あえて触れずに避けることで逆に社会正義の芽を摘んでいる」-などのような現状に最大の問題やいつまでも解決できないあらゆる「沖縄問題」の理由があるような気がする。                                                                                                                                 また、昨今の「愛国心問題」などでも、沖縄の一般的庶民労働者が本土並みに国への忠誠心を表明しようにも、それに対するわだかまりからでさえも”人間”としての誇りがあるかぎり出来ないはずである、ーという点などに対する議論が本来は優先されるべき事柄であるはずであるが、しかし逆にそれに対する論点があまりにもなさ過ぎる。                                                                                                                                                                                  それの主な原因の一端には、沖縄の一般的庶民労働者自身が「沖縄問題解決の普遍的主権は一般的庶民労働者自らの中に存在する」-という基本的なことを小生も含め押さえてこなかったからという一面もあるであろう。                                                                                                                                          反省すべき点はわれら庶民の側にも存在する。                                                                                                                                                   だからジャーナリズムも気付きがたかったであろう事は想像するに難しいことではない。                                                                                                                                                 その点を自らを利する目的で捕らえた今月退官したあの在沖・ライク米国総領事は、「沖縄県民はサイレント・マジョリティー」と言い放ち、「沖縄県民の世論と民意は隔たりがある」ーなどと沖縄の金権政治選挙の実態も知らず、民主主義の象徴であるアンケート形式世論調査での県民意識と知事選挙結果などの違いを、独り善がりな間違った解析で軽はずみに世界に向かってアナウンスメントするなど、みっともない短絡的な単なる思い付きだけで、沖縄県民の”あげあしとり”をした。                                                                                                                                                                よって、このブログを立ち上げる意味は、その庶民自らの反省の上に立った上でも尚且つそのような侮辱を今後受けることがないようにする為、                                                                            及び、ーやはり、沖縄の最大の資源は一般的庶民労働者の中に埋もれている「人的資源」なのである。-との、事実の証明や主張の発展に少しでも繋がり、                                                                                                                                                          更に、われら一般的庶民労働者の労賃・年収の向上とともに、われらの住むこの社会がより幸せに発展することを最大の狙いと致します。                                                                                                                                                                                                     ’06年7月16日 無党派無宗教無団体  琉球建築家 本村 安彦                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  私たち庶民自身が、自分でいいと思うことはなぜ?、、、否定される!?                                                                                                                                                  副題: 今のままの日本国の政治では、ワッター!ウチナーンチュという庶民自身の心底願うことが否定され続ける!!                                                                                                                                                                                        読者の皆さんは、、、。 特に政治家の皆さんは、 どれだけご自分の思うとおりの世の中がこの世の中であるのでしょうか?。又、ご自分の思うとおりに存在していますか?  もし、お答えになれないようであれば、この拙文をご覧ください。  ・・・特に政治家の皆さんは、、、。   例えばこの世の中で、特に政治ではタブーではあっても、 「この問題が広く伝わり、議論とまでは云わずとも、井戸端会議程度でさえも広まれば広まるほど、かなりの世の中は、間違いなく良い方向に変わるのではないか?」ーなどと、、、。 そんなことを考えたことはありませんか? ・・・しかし、そのような政治的な、そして人には容易に言えないような、 しかもこの世の中にとって、ある種とても大切なことを、 当時も今もこの沖縄の一般的な世の中では比較的に、「あまり」-広くどころか、まったく語られません。 なぜでしょうか?  ・・・それは、、、、。 誰であれ皆人は、同じ”ひと”であって、平等だからである筈だからです。 ですから、”ひと”であることによってなおのことその世の中にとっていい筈のことがあまり語られることはありません。 では、 そのような道徳心そのものを抑えているのは「何」か?、、、。 そして ーそれさえも誰も、何も感じないのでしょうか? 、、、そんな筈は無い筈です。 ならばなぜ、、、いつまでもそのままでいい、などと庶民が思っている筈はありません、、、。 しかしそれでも、、、あえてなぜか?ーという場面が多く存在します。 ーだから、 その答えは、、、「全てが逆回りで回転している」、、、から、と小生は言いたいのです。  全てのあらゆる「当初」の問題である社会問題?、、、。  (最初に提起される問題) -それは当然のように、「庶民すべてが助かる方向」-との意見で公にまとめられ、 そしてその中での悪人は全て糾されるかのごとく変化しようとするかに見えます。 それは小生の知る限りに於いていつの時代も「当たり前」に始まります、、、。   しかし 、、、現代では終局的に、どうでしょう? 現実はその庶民の心底いいと思う方向の逆、 、、、結局、庶民が困る方向でしか、司法、立法、行政はたしなめるしか無い、、、様です。  ・・・「良心の呵責」・・・。いい言葉ですね。 中学の恩師と久し振りに対面したような、、、。 、、、そんな気分であります。                                                                                                                                                                                                               ’06年7月9日 無党派無宗教無団体  本村 安彦                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      追記:                                                                                                                                                政治=統治作用/政治団体=魑魅魍魎(ちみもうりょう)/政治家=厳粛な信託                                                                                                                                                                                                               上記表題は、「コミュニティーや国の主体を庶民から政治団体へ厳粛な信託の下、政治家を介して託す」ーとの基本的な国の統治のあり方、”しかけ”である政治団体にまつわる定義のすべてを要約しているのだが、しかし、 だからといって普段の庶民生活の場に於いてまで庶民自らが或る特定の政治団体に関するプロパガンダや宣撫的な情報を奨励・示唆するような偏った恣意的言動を振舞うことは、 ただ単にその魑魅魍魎らの”手のひら”の上に乗っかって踊らされているだけに過ぎないことを庶民自身が自ら気付くべきである。                                                                                                           そのような「寄らば大樹の陰か?」または「長い者には巻かれろか?」だけの単純な選択肢のみでは、、、。                                                                                                                          この島々にまで広がった島嶼・離島県である琉球弧・沖縄を”ひとくくり”にしてはじめて成り立ってきた古からの「うちなーん人・琉球弧の中の沖縄県」のアイデンティティーなのだから、                                                             できるだけ広範囲な島々にまで行き届くような点を配慮しなければならないのと同時に、                                                  ましてや琉球の歴史的背景からして政治的DNAが割合多くその島々で潜在するうちなーん人・庶民が、そのような杓子定規的な「定義」だけでより多く集い、身近な、または世界の話題を通してうわべだけでさえも、或いは真に交流・ゆんたくできるものだろうか?疑問である。                                                                                                                                                                                     ”ひと”というものは、誰であれ「いったいどこへどれだけの情報利益がもたれされるのかな?」-ということは当然として脳裏の隅に常時置いていることを肝に銘ずべきではないか。                                                                                                                      このことはこの十数年間小生が、憲法第十六条の「個人の請願権」を盾に常に個人の立場で市民運動を続けて来て、時たま遭遇する”彼らの手のひらの上で踊らされている”庶民の方々に対し常に持ち続けている疑問であるが、、、。                                                                                                                            小生が思うに、やはり庶民は国の主体なら主体らしく、普段の庶民生活では堂々と自分自身の言葉で政治問題であれ何であれ物を云い、政治を司るべきである。                                                                                                                              そしてその上で、選挙の時だけは政治団体や政治家を厳密に選ぶなどといった、現行の「秘密投票」では当たり前な、そして文字通り「厳粛な信託」をもってしてその政治団体や政治家などを介し、政治を行うべきではないか。                                                                                                                                                                            それが引いてはあらゆる立場の庶民自らの交流・自立を促し、とりもなおさず庶民自身の「庶民生活」の中での「普通」の幸せや成功の「実感」を自分自身の手で掴まえることに繋がるものと考えるが、いかがなものだろうか。                                                                                                                                   されど、                                                                                                とは言っても庶民の中にはやむを得ず政治団体や宗教団体などへ既に属する方々も当然多く存在することから、誤解の無いように申し上げたい。                                                                                                                                                                                小生は三十年以上も無党派・無宗教・無団体を貫き通していますが、それは小生の生きてきた環境のせいで偶然にそうなったのであって、決して他の”ひと”へ小生のような無党派・無宗教・無団体を薦めている訳ではありません。                                                                                                                                                                                                ’06年7月4日 無党派無宗教無団体  本村 安彦                                                                                                                                                                                                                                 本ブログは「コミュニティーも国も主体は庶民」(カテゴリー:暮し生活)に属します。合わせてご覧下さい。 関連ブログ: ■コミュニティーも国も主体は庶民  http://ryuukyuukentikuka.ti-da.net/ ■沖縄から核施設を撤去させよう!!  http://motomurayasuhiko.ti-da.net/ ■本土との「格差是正」は労賃・年収から  http://reformsekkei.ti-da.net/ ■侮辱されないサイレント・マジョリティー  http://ryuukyuukokubushinsekkei.ti-da.net/
てぃーだブログ › 侮辱されないサイレント・マジョリティー › ニュース/ジャーナリズム › 同艦は核弾頭付き潜水艦発射弾道ミサイル搭載として知られていた

2008年11月20日

同艦は核弾頭付き潜水艦発射弾道ミサイル搭載として知られていた

2008年11月11日には、米海軍横須賀港から沖縄初配備へ既に向かっていたことになる。




















加えて10日の米原潜無通報寄港、放射能含む冷却水漏れ問題もだ
























先走る自衛隊にはシビリアン(文民)コントロールなど微塵もない

















「麻生では駄目だ米軍に盾突く。歴史の苦労を無視してる」米政府。

 戦後の日本・本土国民の為だけの安保を沖縄の住民だけが担っていただいたお陰で、
沖縄を除く本土・日本国民だけが多く繁栄した。

当然、そのことに対する代償として沖縄県民へ金を払わなければならない、
といったような単なる金銭的なリスクはあった。

が、しかし、その代わりその単なる金銭的なリスクとは比べものにもならない程の大きなリスクである
”国の安全保障”を本土・日本国民が自前で実行しなければならないといったような、
膨大なエネルギー浪費のリスクは全くなかったせいで、
専ら、くだんの金銭絡みの経済活動向けだけに全エネルギーが向けられたことによって、
敗戦後の日本国の経済成長という大きな目的を達成出来たことなどという歴史的事実を麻生政権は知らなさ過ぎる。

それではだめだ!!

 付け加えれば、

歴史を知らないうえに麻生政権は鷹の目をしているじゃないか。

 こんな奴らが総理大臣・閣僚として勤めることを”良し”とする本土・日本国民とこれまで同様うまくやって行くか、
、、、それとも、
本土・日本人とは一線を画した上で、
北のアイヌ民族同様にその列島・日本の南の先住民族でもある琉求人の郷である沖縄を
復帰前の米国統治下のオキナワ同様に弁務官独裁・統治を再現し、
沖縄を基点とするアジアは勿論、
ペルシャ湾まで米国軍隊がにらみを利かすことによって得られる
”自由”を再獲得することのどっちがアメリカ本土・アメリカ国民の利益にかなうのか?

 ーそんなの簡単な選択肢じゃないか。沖縄を取り返せ!!本土・日本国民から!

by,USA,,,,だろうが!米国の本音、、、は。





※集まる原潜。なぜか?本土・日本国民が「沖縄だけで」と望むから!!

※戦争を手伝った官制報道機関に成り下がるか?それとも成長するか?!

※国際差別???「沖縄の海域だけはO・K」とアメリカ最高裁が。

※アメリカ最高裁「ソナーでくじらを殺そうが沖縄軍事訓練が大事」





2008年11月15日 無党派無宗教無団体  本村 安彦























2008年11月13日
ルビコン川を渡った米軍: (※ルビコン川を渡る:古代ローマとガリアとの境をなしていたイタリア北東部のアドリア海に注ぐ小河。紀元前 49 年カエサルは「賽(さい)は投げられた」と叫んでこの川を渡ってローマに進軍し、ポンペイウスを追放して政権をにぎった。)

一昨日のことである。戦後63年に亘りウチナーンチュの誰もが怖れていた事が起こった。米軍の核兵器そのものである過去最大級の原潜がひとり歩きでうるま市(旧・勝連町)ホワイトビーチに配備された。

今回の米軍の行動にはオキナワを再び戦場化するまで後戻りしない覚悟がにじむ:1111。それは1が四つ並んだ日の11月11日に実行された。
四つの1。それがどんな意味を持つんだろう。
なぜ米軍はオキナワの再戦場化を決意し、ルビコンを渡り背水の陣を敷けたのか。

密約の物的証拠:一つには、沖縄返還密約の物的証拠である辺野古弾薬庫内や嘉手納弾薬庫内に現存する核兵器専用倉庫を今日まで維持出来た自信が米軍にはある。

裁判権放棄密約の状況証拠:二つ目に、沖縄はオキナワであって沖縄県ではない状況証拠である沖縄人の裁判権放棄密約を現在も活用している実績の積み上げが米軍にはある。

水環境汚染と貧しさ:三つ目に、沖縄の比較・経済が貧しいことを原因とする奇形魚を無視出来なくなったウミンチュが干上がるほどの沿岸汚染・河川汚染。そしてウチナーンチュの水ガメであるダム周辺の奇形動物の増加。ここまでに至っても”やむを得ない”とする人心の蝕み。
それら膨大な環境汚染を最初に始めた米軍は再び沖縄を戦場下のオキナワ化し、焦土をもって精算しない限り自ら後戻り出来ない。これは国際社会向けの米国の米国的大義名分である。

琉球民族は日本列島の先住民族:四つ目に、昨今の航空自衛隊幕僚長の言動で露見した日本人・日本本土政府の極限的な右傾化と、先だって国連も認めた日本列島の先住民族・琉球人と本土日本人の対立的相違の再認識から来る本土日本人・旧・日本軍をターゲットとしたかつての「瓶の蓋論」の必要性を米軍は確信した。

それでもただの偶然の重なりに過ぎない:最後に、冒頭の1111と、1が四つの事象が偶然重なり合った2008年11月11日。
その日はとてもじゃないが、いかに日本の国是である非核三原則であれ、核兵器などの大量破壊兵器を憲法で禁じている法治国家や文民統制もなんの役にも立たなかった。
しかし、それでもただの偶然の重なりに過ぎない。

あきらめるにはまだまだ早い:この国を糾し、この琉球を良くする為にはより多くのジャーナリズムの発達が必要である。
確かに沖縄は人口があまりにも小規模である。だから少額・流通が命であるジャーナリズムを専業とするジャーナリストの放つメッセージが世に流通しにくい。
しかし、現代はインターネットがあるじゃないか。まだまだウチナーンチュの思う通りのウチナーユー(世)への回帰・挽回の希望は持てる。
そのための第一歩として先ず琉球人自ら、沖縄では最大の権力である公権力を持つ者に寄り沿う経済力を権力とする者と学者らを怖れ立ち止まってみたりした事を反省すべきである。
その上で市民ジャーナリスト同志がネット上でこうして出逢う偶然を積み重ねねばならない。
このいとも簡単な偶然の積み重ねだけでいいんだ、
ということを普通の市民が気が付きさえすればいいのだ。
だからまだまだ諦めるには早すぎる。

2008年11月13日 無党派無宗教無団体 本村 安彦




























































































































































































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