「最新版:被害届添付参考資料」をご覧ください。 全文はこちら↓ パソコンは→http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3764557.html 携帯は↓7分割してあります。ご覧ください。 その1→http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3764658.html その2→http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3764664.html その3→http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3764668.html その4→http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3764670.html その5→http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3764672.html その6→http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3764674.html その7→http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3764675.html 今日はわが愛すべき家族を紹介します。 管理人無党派無宗教無団体 こと 本村安彦の。昨日2011年5月20日の記念日に。 検索「本村家」で写真付新聞記事が見れます。 Yahooなら↓ http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-175672-storytopic-7.html Googleでも↓ http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-175672-storytopic-7.html 本ブログは「コミュニティーも国も主体は庶民」(カテゴリー:暮し生活)に属します。合わせてご覧下さい。                                                                                                                                                                                       沖縄密約問題に関する報道などでも理解できるように、沖縄の(日本)ジャーナリズムに於けるあらゆる論議の中から、その核密約問題も含めた「沖縄問題の真相」が実は、かつてはそれを見過ごし、現在はそれのせいでモルヒネ的な状態にまで陥ってしまっていることが原因で、そこにあらゆる沖縄問題の解決の糸口があったという重大なことがスッポリ抜け落ちているという、いわゆる「借金漬けの沖縄の一般的庶民労働者世帯」への視点が皆無なのが気になる。                                                                                                                                     例えば、日本国内は勿論、世界的にも常識的で具体的な沖縄県という貧乏県に対する日本(本土)政府の恫喝的差別などである。                                                                                                                                        そこに「本来の社会正義を貫くべきジャーナリズムが、あえて触れずに避けることで逆に社会正義の芽を摘んでいる」-などのような現状に最大の問題やいつまでも解決できないあらゆる「沖縄問題」の理由があるような気がする。                                                                                                                                 また、昨今の「愛国心問題」などでも、沖縄の一般的庶民労働者が本土並みに国への忠誠心を表明しようにも、それに対するわだかまりからでさえも”人間”としての誇りがあるかぎり出来ないはずである、ーという点などに対する議論が本来は優先されるべき事柄であるはずであるが、しかし逆にそれに対する論点があまりにもなさ過ぎる。                                                                                                                                                                                  それの主な原因の一端には、沖縄の一般的庶民労働者自身が「沖縄問題解決の普遍的主権は一般的庶民労働者自らの中に存在する」-という基本的なことを小生も含め押さえてこなかったからという一面もあるであろう。                                                                                                                                          反省すべき点はわれら庶民の側にも存在する。                                                                                                                                                   だからジャーナリズムも気付きがたかったであろう事は想像するに難しいことではない。                                                                                                                                                 その点を自らを利する目的で捕らえた今月退官したあの在沖・ライク米国総領事は、「沖縄県民はサイレント・マジョリティー」と言い放ち、「沖縄県民の世論と民意は隔たりがある」ーなどと沖縄の金権政治選挙の実態も知らず、民主主義の象徴であるアンケート形式世論調査での県民意識と知事選挙結果などの違いを、独り善がりな間違った解析で軽はずみに世界に向かってアナウンスメントするなど、みっともない短絡的な単なる思い付きだけで、沖縄県民の”あげあしとり”をした。                                                                                                                                                                よって、このブログを立ち上げる意味は、その庶民自らの反省の上に立った上でも尚且つそのような侮辱を今後受けることがないようにする為、                                                                            及び、ーやはり、沖縄の最大の資源は一般的庶民労働者の中に埋もれている「人的資源」なのである。-との、事実の証明や主張の発展に少しでも繋がり、                                                                                                                                                          更に、われら一般的庶民労働者の労賃・年収の向上とともに、われらの住むこの社会がより幸せに発展することを最大の狙いと致します。                                                                                                                                                                                                     ’06年7月16日 無党派無宗教無団体  琉球建築家 本村 安彦                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  私たち庶民自身が、自分でいいと思うことはなぜ?、、、否定される!?                                                                                                                                                  副題: 今のままの日本国の政治では、ワッター!ウチナーンチュという庶民自身の心底願うことが否定され続ける!!                                                                                                                                                                                        読者の皆さんは、、、。 特に政治家の皆さんは、 どれだけご自分の思うとおりの世の中がこの世の中であるのでしょうか?。又、ご自分の思うとおりに存在していますか?  もし、お答えになれないようであれば、この拙文をご覧ください。  ・・・特に政治家の皆さんは、、、。   例えばこの世の中で、特に政治ではタブーではあっても、 「この問題が広く伝わり、議論とまでは云わずとも、井戸端会議程度でさえも広まれば広まるほど、かなりの世の中は、間違いなく良い方向に変わるのではないか?」ーなどと、、、。 そんなことを考えたことはありませんか? ・・・しかし、そのような政治的な、そして人には容易に言えないような、 しかもこの世の中にとって、ある種とても大切なことを、 当時も今もこの沖縄の一般的な世の中では比較的に、「あまり」-広くどころか、まったく語られません。 なぜでしょうか?  ・・・それは、、、、。 誰であれ皆人は、同じ”ひと”であって、平等だからである筈だからです。 ですから、”ひと”であることによってなおのことその世の中にとっていい筈のことがあまり語られることはありません。 では、 そのような道徳心そのものを抑えているのは「何」か?、、、。 そして ーそれさえも誰も、何も感じないのでしょうか? 、、、そんな筈は無い筈です。 ならばなぜ、、、いつまでもそのままでいい、などと庶民が思っている筈はありません、、、。 しかしそれでも、、、あえてなぜか?ーという場面が多く存在します。 ーだから、 その答えは、、、「全てが逆回りで回転している」、、、から、と小生は言いたいのです。  全てのあらゆる「当初」の問題である社会問題?、、、。  (最初に提起される問題) -それは当然のように、「庶民すべてが助かる方向」-との意見で公にまとめられ、 そしてその中での悪人は全て糾されるかのごとく変化しようとするかに見えます。 それは小生の知る限りに於いていつの時代も「当たり前」に始まります、、、。   しかし 、、、現代では終局的に、どうでしょう? 現実はその庶民の心底いいと思う方向の逆、 、、、結局、庶民が困る方向でしか、司法、立法、行政はたしなめるしか無い、、、様です。  ・・・「良心の呵責」・・・。いい言葉ですね。 中学の恩師と久し振りに対面したような、、、。 、、、そんな気分であります。                                                                                                                                                                                                               ’06年7月9日 無党派無宗教無団体  本村 安彦                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      追記:                                                                                                                                                政治=統治作用/政治団体=魑魅魍魎(ちみもうりょう)/政治家=厳粛な信託                                                                                                                                                                                                               上記表題は、「コミュニティーや国の主体を庶民から政治団体へ厳粛な信託の下、政治家を介して託す」ーとの基本的な国の統治のあり方、”しかけ”である政治団体にまつわる定義のすべてを要約しているのだが、しかし、 だからといって普段の庶民生活の場に於いてまで庶民自らが或る特定の政治団体に関するプロパガンダや宣撫的な情報を奨励・示唆するような偏った恣意的言動を振舞うことは、 ただ単にその魑魅魍魎らの”手のひら”の上に乗っかって踊らされているだけに過ぎないことを庶民自身が自ら気付くべきである。                                                                                                           そのような「寄らば大樹の陰か?」または「長い者には巻かれろか?」だけの単純な選択肢のみでは、、、。                                                                                                                          この島々にまで広がった島嶼・離島県である琉球弧・沖縄を”ひとくくり”にしてはじめて成り立ってきた古からの「うちなーん人・琉球弧の中の沖縄県」のアイデンティティーなのだから、                                                             できるだけ広範囲な島々にまで行き届くような点を配慮しなければならないのと同時に、                                                  ましてや琉球の歴史的背景からして政治的DNAが割合多くその島々で潜在するうちなーん人・庶民が、そのような杓子定規的な「定義」だけでより多く集い、身近な、または世界の話題を通してうわべだけでさえも、或いは真に交流・ゆんたくできるものだろうか?疑問である。                                                                                                                                                                                     ”ひと”というものは、誰であれ「いったいどこへどれだけの情報利益がもたれされるのかな?」-ということは当然として脳裏の隅に常時置いていることを肝に銘ずべきではないか。                                                                                                                      このことはこの十数年間小生が、憲法第十六条の「個人の請願権」を盾に常に個人の立場で市民運動を続けて来て、時たま遭遇する”彼らの手のひらの上で踊らされている”庶民の方々に対し常に持ち続けている疑問であるが、、、。                                                                                                                            小生が思うに、やはり庶民は国の主体なら主体らしく、普段の庶民生活では堂々と自分自身の言葉で政治問題であれ何であれ物を云い、政治を司るべきである。                                                                                                                              そしてその上で、選挙の時だけは政治団体や政治家を厳密に選ぶなどといった、現行の「秘密投票」では当たり前な、そして文字通り「厳粛な信託」をもってしてその政治団体や政治家などを介し、政治を行うべきではないか。                                                                                                                                                                            それが引いてはあらゆる立場の庶民自らの交流・自立を促し、とりもなおさず庶民自身の「庶民生活」の中での「普通」の幸せや成功の「実感」を自分自身の手で掴まえることに繋がるものと考えるが、いかがなものだろうか。                                                                                                                                   されど、                                                                                                とは言っても庶民の中にはやむを得ず政治団体や宗教団体などへ既に属する方々も当然多く存在することから、誤解の無いように申し上げたい。                                                                                                                                                                                小生は三十年以上も無党派・無宗教・無団体を貫き通していますが、それは小生の生きてきた環境のせいで偶然にそうなったのであって、決して他の”ひと”へ小生のような無党派・無宗教・無団体を薦めている訳ではありません。                                                                                                                                                                                                ’06年7月4日 無党派無宗教無団体  本村 安彦                                                                                                                                                                                                                                 本ブログは「コミュニティーも国も主体は庶民」(カテゴリー:暮し生活)に属します。合わせてご覧下さい。 関連ブログ: ■コミュニティーも国も主体は庶民  http://ryuukyuukentikuka.ti-da.net/ ■沖縄から核施設を撤去させよう!!  http://motomurayasuhiko.ti-da.net/ ■本土との「格差是正」は労賃・年収から  http://reformsekkei.ti-da.net/ ■侮辱されないサイレント・マジョリティー  http://ryuukyuukokubushinsekkei.ti-da.net/ ■増補・コミュニティーも国も主体は庶民  http://komyunithimokunimo.ti-da.net/ ※2011年1月12日 無党派無宗教無団体 本村 安彦 沖縄緊急重大ニュース:⇒http://c3plamo.slyip.com/blog/archives/2010/08/post_1822.html 今日はわが愛すべき家族を紹介します。 管理人無党派無宗教無団体 こと 本村安彦の。昨日2011年5月20日の記念日に。 検索「本村家」で写真付新聞記事が見れます。 Yahooなら↓ http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-175672-storytopic-7.html Googleでも↓ http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-175672-storytopic-7.html
てぃーだブログ › 侮辱されないサイレント・マジョリティー

2012年05月22日

うそつきDNA保持者ー11

うそつきDNA保持者ー11
琉球沖縄人を除き、元来日本人はうそつきDNA保持者-11


 今、家庭裁判所から離婚の申立に対する答弁書要求の届けが届いていて、裁判に出廷しなければならない。
そのような通知もこれから先、この那覇拘置支所に居る限り盗まれ続けるのだろうか?
 そして不通ーとの理由で反応がないから、などといって勝手に相手側弁護士や他の第三者の意のままにまるで”いじめ”のように決め、進められるのだろうか?
そんなナンセンスなことは止めさせるよう要求する。それこそ私生活上の自由を侵す犯罪そのもので、プライバシーの侵害だ。
DNA holder ー 11 with the lie
Except Ryukyu Okinawan, the Japanese is originally DNA holder -11 with the lie
A notice of the document stating the position of the defense demand for statements of the divorce arrives from the family court and must appear in court of a trial now.
Will such a notice continue being stolen as far as I am in point, this Naha detention branch from now on?
And it is said that there is not a reaction for reasons of interruption ー and decides it like "bullying" on the will of a counterpart lawyer and other third parties at all without permission and will be pushed forward?
Such a nonsense thing requires you to stop it. It is a breach of privacy in crime itself to violate the freedom in the private life.  

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2012年05月21日

うそつきDNA保持者ー10

うそつきDNA保持者ー10
琉球沖縄人を除き、元来日本人はうそつきDNA保持者-10


 三月に行われた第三回公判法廷の証言台で本人自ら「(深夜から)翌日朝六時ぐらいまで警察に入っていました」と証言して、不法拘禁されていた事実が発覚した五男・望、十四歳に対する警察による脅迫、”うそ”強要事件。
 その事件当日、2012年(平成24年)1月1日。
前日の大晦日深夜十一時四十分頃から翌日元旦午前0時半頃までの時間帯が警察へ連行され不法拘禁されていたことが原因でその五男・望の中で消えてなくなっていてかき消されている。
父親の私が指示して行かせたその日のその時間帯の出来事。目の前で見ていて行かせたその事実が消去されている。
二人で三号棟の近くへ行き、その五男・望ひとり行かせて一旦戻ってきて、「ドアを開けてくれない。階段で待っていたけど開けないから戻ってきた」と言うその望を伴い、二人で駐車場越しの東側へ回って部屋のある四階のベランダの灯を二人で確認している。
二人で見た四階のベランダ側は間違いなく明かりが点いているのだからと、向かい側にある一号棟の金城香の方へ行くようにと話し、行かせて、その金城香から電話を架けて貰って、戻ってきて「うん。電話して貰った。『お母さんがドアを開けるから』と言っていた」-と話す望に向かって「そうか。そうなら、行ってきなさい」-と話したその間の時間。
その大晦日の午後十一時四十分から翌日元旦の午前0時半頃までの、親子二人の時間は、五男・望の中では「・・・一号棟の金城香の部屋へは行っていない」ということにするよう警察と検察・裁判所から押しつぶされて続けていてかき消されていた。
 五男・望は浦添警察署に脅されている。
 しかしそれを私の弁護士は黙している。
助けてやれるのは私しかいない。自然(しぜん)も公平(こうへい)も眞理、安聡そして未姫も。
 それと、昨日(三月三十日)までに聞いた弁護士からの情報を集めて分析すると自宅の郵便物が盗難に遭っている。
自宅へ届いている最高裁判所からの通知も無くなっている。
間違いなく誰かが抜き取っている。
 私が浦添警察署の警察官らに暴行・不当逮捕された元旦午前二時三十分頃。浦添署に連行されたその時から「逮捕は違法だ。家に十二月十五日付最高裁判所からのこの件での通知郵便物がある。今裁判中だ。家まで行って取って来て見せるから家まで行かせろ」-としきりに話していたその郵便物も消えてなくなっている。
「その最高裁判所からの『審理中です。もし必要な書類等があればこちらから連絡いたします。その時はここへ(第二小法廷)へ送ってください。事件番号は平成23年(ク)1192号です』との通知だから、それに呼応しなければならない」-などと、幾度も繰り返し訴えたり、話したりしていたが一切応じようよとしなかった浦添警察署警官数十人とその後の弁護士、裁判官、検察官らすべての人々。(後になって彼らは慌てたらしい。上記那覇地方裁判所を原審とする最高裁判所からの通知を巡る騒動である)
 その不当逮捕から四ヶ月になっている。
 呼応しなければならない。それをしなければどうなるのだろうか。弁護士との関係もその辺りがあって変になっている。家族の面会が一度も無いことも、五男・望に対する不法捜査隠蔽工作の一環に加えて、この件ががあってだったことも分ってきた。最高裁判所へ問い合わせをしなければならない。
 それについて弁護士がこう面会時に言った。「那覇地方裁判所までその最高裁の通知が来ている。原審裁ということで。どうやら棄却のようです。しかし、門前払いではなく、きちっと憲法判断すべきかどうかについて審理してしてあるらしい。だからその中身を見なければならない。それ次第では今後の公判にも影響する」-との趣旨だった。(四月三日火曜日)
 どうやら浦添警察署に入っている間、この世から消されていたことが分ってきた。
それが我が身だけならまだしも、今分っているだけでも、五男・望の人権侵害があった。
そして自宅の郵便ポスト内の郵便物が盗難され、加えて更に、偽造写真を地域や学校の先生にまでばら撒かれ、見せビラかせられたせいで辱めを受けつづけている家に残る未成熟子五人全員、父親の面会にすらこれないのでいる事件まで起こっている。
 そのような不安は不当逮捕された元旦から弁護士へも、当然ながら出会う人々という人々へ機会ある度に毎日連続的に話し続けている。
もちろんのこと、裁判中でも裁判カへ向かって弁護士に代わって抗議・苦言を呈している。
例えば、本件公判初日の第一回目の第一声でそれを裁判長へ向けたら、裁判長はなんと「はい、そうですかー}などと生返事である。まった誰も彼も上の空状態であった。
 「拘束中の自宅の維持・保持は裁判所が保障してくれるのは当たり前でしょう」と繰り返す時もあった。
私とすれば、父親をこれほどまでに違法に拘禁しているのだからと。不当逮捕までされたことで未成熟子五人の監護はもちろんのこと、そして「扶養の義務を果たしているんでしょうね」-などと、裁判所や検察側が私に代わって行うべきだ、-との主張を繰り返すのは当たり前だった。
つまり「自由を制限する者は、その者に対する責任が同時に発生し伴う」ーと、自由競争の原理の下、始まった明治維新以来増え続ける日本という国家社会の官僚を中心とする妙な上滑りを食い止めるための道理をしきりに繰り返し、弁護士へ調査を要求していた。
でないと、人権侵害も甚だしい中、それを諦めたら今度は離婚までさせられてしまいかねない。
DNA holder ー 10 with the lie
Except Ryukyu Okinawan, the Japanese is originally DNA holder -10 with the lie
Itsuo, the wish that the fact that I testified when person himself oneself "entered the police with the witness stand of the third trial court performed in March the next day (from the middle of the night) until around 6:00 a.m.", and was detained illegally was found out, the threat by the police for 14 years old, a "lie" compulsion case.
It is January 1 (2012) for the case day, 2,012 years.
I disappear in the Itsuo, wish for what time until about half past 0 a.m. is taken to the police the next day on New Year's Day from late-night about 11:40 on the last day of the year of the day before, and was detained illegally and am lost.
An event of the time of the day when I of father let you order it. The fact that let you look in front is removed.
Go to the neighborhood of Building No. 3 in two people, and let go to the Itsuo, wish one, and return once; and "cannot open a door". With the wish to say, I came back because I do not open out though I waited in stairs, it turns around with two to the east side over the parking lot and confirms the light of the porch of the fourth floor with the room with two.
When the porch side of the fourth floor judging from two is reliable, and is lighted, tell you that go towards Kinjo incense of Building No. 1 in the opposite side, and let go, and have build a telephone from the Kinjo incense, and return; and "yes." I had you talk on the telephone. Towards - which said, "mother could open a door" and a full moon to talk about "is so?" Time of the meantime when I went so and talked with -.
It was crushed by the police and prosecution, the court to decide "not to perform it in things of Itsuo, a wish the next day to the room of the Kinjo incense of ... Building No. 1" at the time of two parent and child until about half past 0 a.m. of New Year's Day from 11:40 p.m. of the last day of the year and continued it and was lost.
Itsuo, the wish is threatened in the Urasoe police station.
However, my lawyer keeps silent in it.
I am the only one that I help it and can do it. In natural (natural) and fair (wall to ask for) as for 眞理, 安聡 and non-princess.
When I collect it and the information from the lawyer whom I asked by (March 30) yesterday and analyze it, home mail encounters theft.
It becomes the home without a notice from the arriving Supreme Court.
Somebody certainly pulls it out.
I am about 2:30 a.m. for the police officers of the Urasoe police station on assault, New Year's Day arrested unfairly. From the case taken to the Urasoe police station "the arrest is illegal". There is the notice mail by this matter from the Supreme Court dated December 15 in the house. I am trying you now. The mail which talked disappears I let me go to a house because I go to a house and fetch it, and to finish doing it with -.
From "the Supreme Court" "is trial average". I contact it from this place if there are necessary documents. Please send it to (Second Petty Bench) then to here. - that the case number must agree with it in 2011 because it is a notice, it is 1192 (ク) and dozens of Urasoe police station police officers and next lawyer, judge, people of none of the prosecutor and others who I repeated it many times and accused it and talked, but did not do it when I would accept it at all. (they seemed to be upset later.) ) which is the disturbance over the notice from the Supreme Court which assumes the Naha District Court mentioned above the original judgment
It is four months from the unfair arrest.
You must call it. How will if I do not do it? There is the neighborhood, and the relations with the lawyer become strange, too. I added that there was never the meeting of the family to a part of the illegal investigation concealment work for Itsuo, the wish, and this matter ががあってだったことも share came. You must do an inquiry to the Supreme Court.
A lawyer said at the time of a meeting about it in this way. "A notice of the Supreme Court comes to the Naha District Court". Concerning the original judgment judgment. I boil it a thing of rejection somehow or other and do it. However, I examine it whether I should judge a constitution properly, and, not turning away at the door, there seems to be it. Therefore you must watch the contents. It was a purpose with - which influenced future trial depending on it. (Tuesday, April 3)
While I entered the Urasoe police station somehow or other, I understood that it was put out from the world.
There were the human rights violations of Itsuo, the wish just to understand it it is all right if it is oneself now.
And the mail in the home mailbox is stolen and, in addition, it is sprinkled a rose on Mr. of an area and the school with a forged photograph and devote itself to even all five nonage children, a meeting of father to stay in the house which I show it, and continues receiving handbill かせられたせいで humiliation and have it until a case to be because there is not it.
Such an uneasiness continues talking continually every day whenever to the people called the people who, as a matter of course, meet from New Year's Day arrested unfairly a lawyer at an opportunity.
Of course I give protest, frank advice on behalf of a lawyer towards trial カ in a saw and court.
For example, if turn it to the presiding judge by first utterance of the first of this matter trial first day; the presiding judge with what, "yes, is そうですかー} and a nibble". Everyone who waited was in an absent-minded state.
I sometimes repeated, "it would be natural for a court to guarantee the home maintenance, maintenance restricting".
When I detain father such illegally if I assume it me. It was natural for "果 たしているんでしょうね - and a court and the prosecution to repeat line うべきだ, a claim with - on behalf of me for not to mention the custody of five immature children and duty of the support" by having been considered to be it until an unfair arrest.
In other words I repeated it to finish doing reason to check the upper sliding that it was strange led by the bureaucrat of the national society called Japan which continued increasing since the Meiji Restoration that began under ー "the responsibility for the person produced the person who limited freedom at the same time, and to be accompanied" by and the principle of the free competition and required an investigation to a lawyer.
Otherwise I may be made to make the human rights violations serious until a divorce this time if I give it up.   

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2012年05月21日

うそつきDNA保持者ー9

うそつきDNA保持者ー9
琉球沖縄人を除き、元来日本人はうそつきDNA保持者-9


 子どもの人権まで侵害
 去った2012年(平成24年)三月二十七日午前10時に行われた第三回公判で、五男・望、十四歳に対する人権侵害及び脅迫での”うそ”強要が発覚した。
法廷の証言台でその本人自ら「翌日朝六時ぐらいまで警察に入っていました」と証言して、不法拘禁されていた事実を証言した。
そして、その事件のあった大晦日から元旦以来、「開けてくれなかったお母さんの三号棟の部屋のドアをその後、開けてくれるよう話に行った一号棟の金城香の部屋へは行っていない」ということにするよう警察と検察・裁判所から押しつぶされて続けているということになる。
 四月十八日(水)午前10時。案の定、裁判官と検事及び弁護士は前回の第四回目の公判のときに法廷で決めたこの第五回目の公判進行予定について嘘をついていた。
予定では今後の裁判の続きをいかに続けようか、との内容で本日の日程が定められていたのを無視している。
本日もその続きを続けるものと思って準備をしていたら、突然いきなりの検察官の論告求刑を始めてしまっている。そして弁護士も歩調を合わせるかのごとくに弁論要旨を述べている。
私は、そのような被告人を無視するようなことに対して裁判官に対して法廷で異議を申し立てたが、聞き入れてくれない。
しょうがないので、公判後拘置所に戻って、二月から続けている四度目の弁護士解任届けを提出した。
DNA holder ー 9 with the lie
Except Ryukyu Okinawan, the Japanese is originally DNA holder -9 with the lie
I infringe it to the human rights of the child
In the third trial carried out (2012) at 10:00 a.m. on March 27 in 2012 that passed, Itsuo, a wish, human rights violations for 14 years old and the "lie" compulsion by the threat were found out.
When the person himself "entered the police with the witness stand of the court the next day by oneself until around 6:00 a.m.", I testified and testified in a fact detained illegally.
And I am it is crushed by the police and prosecution, the court to decide "not to perform the door of the room of Building No. 3 of mother who was not able to open afterwards to the room of the Kinjo incense of Building No. 1 that I performed for a story to be able to open", and to continue it since New Year's Day from the last day of the year when we had the case.
Wednesday, April 18 10:00 a.m. The judge and the public prosecutor and the lawyer told a lie as expected about this the fifth trial progress plan that they decided at the time of the fourth last trial in a court.
A schedule of today ignores what was established by contents how let's continue the continuance of the future trial in the plan.
If I think that I continue the continuance today and prepare, I begin the closing argument of the prosecutor for the breath suddenly. And I give the public speaking point whether the lawyer adds a pace.
I stated an objection for a judge for ignoring such defendant in a court, but do not take it.
Because there was no help for it, I came back to the prison after trial and submitted the fourth lawyer dismissal notice which I continued from February.  

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2012年05月20日

うそつきDNA保持者ー8

うそつきDNA保持者ー8
琉球沖縄人を除き、元来日本人はうそつきDNA保持者-8

 四月三日(火)那覇地裁に最高裁判所からの通知が来ているとのことが弁護士からの情報で分った。
その最高裁からの通知が本人である私の手元になかなか届かないことについて弁護士はこう説明している。「最高裁判所からの通知が那覇地裁(原審裁)へ届いていて、その通知書は本村さん本人でなければ受け取れないと那覇地裁民事部が言っている。本村さんが拘留されていて取りに行けないと言っても聞き入れてくれない」と。
更に「私は刑事事件弁護士で代理人なので、民事代理人・弁護士でなければ受け取れないとも話している。もう一度かけあってみるけど、本村さんもこの那覇拘置支所内で看守職員に訊いてみてくれないですか。もしかしたら、拘置所から那覇地方裁判所へ取りに行かせてくれるかも知れませんから」とも付け加えて面会を終えた。
 一週間後の四月10日(火)、第四回公判が開かれた。
 三日後の四月13日、弁護士が一週間ぶりに面会に現れ、「弁護人の私を那覇地裁民事部に届いている最高裁判所からの通知受け取り代理人としてサインと指印をお願いします」というのでそれを済ませた。
その際、十四歳五男・望に対する浦添警察署の不当連行と、マスコミに対する発表、その他の件については時間が無かったので真新しい話をすることはなかった。 
 第四回公判の10日火曜日の前日、月曜日も来なかった弁護士。その公判当時の朝も来ないまま公判ぎりぎりの時間になって法廷へやっと現れた弁護士。
公判翌日の11日(水)も面会なしの弁護士。
そして今日も面会がとうとうなかった。何かあったのだろうか?
2012年(平成24年)四月十二日 本村安彦
・・・四月十七日、明日の第五回目公判を前に弁護士が面会に来ていた。その際、やっと入手できた最高裁判所から原審裁判所である那覇地裁民事部へ届いている通知書のコピーと、裁判長へその写しを渡した後の偽造証拠写真及び最期の三十三枚の私から裁判長に対する手紙のコピー等々も差し入れして貰った。
 以上のことから、本件法律第十五条第五項規定「保護命令は執行力を有しない」を適用し、即刻釈放を求める。
2012年(平成24年)四月十七日 本村安彦
DNA holder ー 8 with the lie
Except Ryukyu Okinawan, the Japanese is originally DNA holder -8 with the lie
It was revealed that a notice from the Supreme Court came to the Naha District Court on Tuesday, April 3 by the information from a lawyer.
The lawyer explains that it does not readily touch at hand of me that a notice from the Supreme Court is the person himself in this way. "A notice from the Supreme Court reaches the Naha District Court (the original judgment judgment), and a Naha District Court civil affair department says that I cannot receive the letter of advice if it is not Motomura". When I do not take it even if I say that Motomura is taken into custody and cannot go for it.
More because "is a criminal case lawyer, and I am an agent, talk even if cannot receive it if is not a civil affair agent, a lawyer". Though I splash it on each other once again, does not Motomura ask the prison guard staff in this Naha detention branches? Possibly I added, I might let you go for it from the prison to the Naha District Court and finished a meeting.
On Tuesday, April 10 one week later, the fourth trial was held.
On April 13 three days later, a lawyer appeared in the meeting after an interval of one week and was able to finish it because "a notice from the Supreme Court which reached the Naha District Court civil affair department received me of the defense lawyer and asked for a signature and thumb impression as an agent".
I did not have talk that is brand-new because there was not time about the unfair forcible escort of the Urasoe police station for 14 years old Itsuo, the wish and the announcement for media, other matters on this occasion.
The lawyer who did not come on Monday on a day before Tuesday on 10th of the fourth trial either. The lawyer who it was time at the very limit of trial without coming in the morning, and at last appeared to the court at the time of the trial.
Wednesday is a lawyer without the meetings for 11 days of the trial next day, too.
And there was not a meeting after all today either. Would anything happen?
It is Yasuhiko Motomura (2012) on April 12 for 2,012 years
・ ・ On ・ April 17, a lawyer came for a meeting ahead of the fifth tomorrow's trial. I had you present the copies of the letter for the presiding judge from forgery evidence photograph after having handed the copying to a copy and the presiding judge of the letter of advice which reached from the Supreme Court which at last was available the Naha District Court civil affair department which was an original judgment court and 33 pieces of us in last moments on this occasion.
Based upon the foregoing, this matter law Article 15 Clause 5 rule applies を where "the protection order does not have an execution power" and demands the release immediately.
It is Yasuhiko Motomura (2012) on April 17 for 2,012 years

  

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2012年05月20日

うそつきDNA保持者ー7

うそつきDNA保持者ー7
琉球沖縄人を除き、元来日本人はうそつきDNA保持者-7


では、その写真の二つの日付けのうちの一つの日付けの時とされる三年前の2009年(平成21年)10月の夫婦のいさかいはあったのかどうなのかついて今日までに分っている証言内容などを挙げてみる。
 妻が書いたとされる申立記述に「子どもの見ている前で・・・」とあることから、それを見ていた三男・自然(しぜん)の証言を引用するとこう証言している。(去った三月二十七日、第三回公判での証言台)
「はい、お母さんも手を出していて、お父さんのほうは平手打ちのビンタでした」-との内容。
 そのことは、その前に開かれた第二回公判でも妻も証言台でその通りの範囲内の単なる夫婦のけんか・いさかいであることを妻自らも「手を出している」ーと、証言し、認めている。(去った三月一日、第二回公判での証言台)
以上のことからつまり、その偽造写真の持つ意味は、単なる夫婦のいさかい・けんかを、いかに大げさに表現しようかと腐心しているに過ぎないことが分り、事実では「暴力」などとはかけ離れていたことを逆に証明していもいる。
よって、この偽造写真が最高裁判所で審理されている真っ最中に出回ること自体違法である。現在その最高裁判所からの審理結果を待っている。
 この段階では、その真実をまったく知らない報道機関。彼らは欺瞞だらけの警察発表をどのように捕らえ、内部処理や広報を行っていたのだろうか?
DNA holder ー 7 with the lie
Except Ryukyu Okinawan, the Japanese is originally DNA holder -7 with the lie
Then I try to raise the testimony contents which I am available whether there was quarrelling how and understand by today of the couple in October (2009) in time dated one day of charge accounts and 2009 three years before it is done on two days of the photograph.
Because there is it with "... in front of a child" in a statement description said to that a wife wrote it, I testify in this way when I quote testimony of third son, nature (natural) which watched it. (on March 27 that passed a witness stand in the third trial)
"Yes, contents with - that mother started the fight, and the one of father was a slap of the slaps."
It is the second open trial first, but the wife testifies that it is a quarrel, the tiff of the simple couple within the just what with a witness stand with ー where wife oneself "is involved" in and admits. (on March 1 that passed a witness stand in the second trial)
Based upon the foregoing, in other words the meaning to have of the forgery photograph understands I quarrel and how will express a quarrel exaggeratedly thing that I am bent on of the simple couple and I prove that I was far apart from "the violence" in the fact adversely and am.
Therefore, to be sold in the height when this forgery photograph is examined in the Supreme Court is illegal. I wait for a trial result from the Supreme Court now.
At this stage, the communications which does not know the truth at all. They catch the police announcement that is full of deceptions how and will be internal processing and to have press-agented it?



















































  

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2012年05月20日

うそつきDNA保持者ー6

うそつきDNA保持者ー6
琉球沖縄人を除き、元来日本人はうそつきDNA保持者-6


 そして本件法第一項第二号規定にある保護命令申立て要件である「・・・その時の情況」という重大な条件を満たしているかどうか、審理・審査をしなければならない、という局面を迎えていたとうことだった。
当然ながら、日付けを自由に操作できる写真プリントでは、証拠能力がない、と判断せざるを得なかったはずであったはずである。
それがまさか元旦に不当逮捕される前から、あるいはその不当逮捕当日から私を追い込むために関係者の間では普通にその写真のありもしない「暴力性」を前提に使用されているなどとは考えようもなかった。
なぜなら、経緯から、当たり前のこととしてその偽造写真は何時のものなのか裏付けが取れないことは皆承知のうえだったとしか考えていなかったのだった。
ましてや、いかにその写真は2009年(平成21年)10月頃の写真と申立書に書いてあったとしても、上記のような経過からは普通に考えてみた場合、裁判所の審理には使えないはずである。
また、仮にでもその写真がもう一つの日付けである2011年(平成23年)10月頃であったとしたなら、その時妻は、家を空け、私の手を離れ遥か二ヶ月が過ぎている頃にあたり、それも有り得ない話ということにもなるのである。
 根底にあるのはすべて身内警察官による身内に対する便宜供与を表に出したくない警察・検察の思惑である。
つまり写真はまったく意味が無いにもかかわらず、写真に頼らざるを得ないというところまで追い込まれた彼らの姿があからさまだった。
その証拠に、これほど追い込まれていたであろう妻。その妻の裁判所での証言。そして浦添警察署や検事取調べの段階でさえもその偽造写真に表れているようなそれこそ酷い「暴力」との申立記述内容など一切していないし、ありようもないのである。
ほんの夫婦喧嘩でのビンタ以外は一切無く、その偽造写真のように両目の周り、鼻筋、その上の額及び顔全体にかけた真っ黒になるまで、それこそ酷い写真に偽装・偽造されているのある。
しかもその写真が三年も前なのか、それとも家を空けて二ヶ月も経ってからのこの写真のようなことが誰かによってそれこそ「暴行」を受けたのか、-のいずれかの有り得ない時の写真を巡って、-である。
DNA holder ー 6 with the lie
Except Ryukyu Okinawan, the Japanese is originally DNA holder -6 with the lie
And it was the thing that I asked that I invited the situation that trial must examine to whether you met a serious condition of "the ... situation that was the protection order statement requirements in this matter method Clause 1 second rule at that time".
As a matter of course, I couldn't but judge that there was not weight of the evidence by the photograph print which could operate a charge account freely on a day.
There was not it since before indeed it was arrested unfairly on New Year's Day or though I would think that I was used assuming "the violence characteristics" that there was not of the photograph among the people concerned commonly to drive me from the unfair arrest day.
From process, all that I could not take proof whether the forgery photograph was a thing of what time did not think about agreement のうえだったとしか as a matter of course.
Besides I cannot use it for the trial of the court when I think commonly from progress such as the above even if the photograph was written on a photograph and a petition of about October to a cuttlefish (2009) in 2009.
In addition, called the story that the wife is away from home then if was in about October (2011) in 2011 when the photograph is dated another day, and leave my hand, and hit it when two months are over, and is far impossible as for it is.
It is expectations of the police, the prosecution which does not want to start all the grant of accommodation for the relative by the relative police officer on a list that there is in the root.
In other words, as for the photograph, their figure driven to the place that I couldn't but depend on a photograph though totally nonsense was open.
The wife who would be driven into the evidence like this. The testimony in the court of the wife. And statement description contents with terrible "violence" do not do that of which the forged photograph shows even at a stage Urasoe police station and public prosecutor investigation at all, and there is not the state.
Was able to write it in the whole circumference of both eyes, ridge of the nose, the upper frame and face like the forgery photograph without all other than the slap by just the quarrel between husband and wife; is forged camouflage by the photograph which is terrible as for it until become black; there is.
Besides, the photograph being in front for three years or the thing such as this photograph after I am away from home and pass for two months is - over a photograph when I am impossible of either of - whether it received "an assault" by somebody.  

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2012年05月20日

うそつきDNA保持者ー5

うそつきDNA保持者ー5
琉球沖縄人を除き、元来日本人はうそつきDNA保持者-5

その日に撮ったものかどうかいまだにその真偽については分らない。なにしろ写真の日付が二つあるからだ。
しかもその2009年(平成21年)10月5日という日付から三年ほど前とされるその前日の晩の夫婦喧嘩の際の口元のビンタ痕が少々残っていたのを隠す意味でマスクをしていた写真という。
そしてもう一つは、同じ被写体・同じアングルで妻が家を出て二ヶ月も経った日付である2011年(平成23年)10月となっている写真である。
その二枚とも同じ写真であるがしかし、その二枚の写真の顔全体のそれこそDV・「暴力」の痕跡のいずれも身に覚えが無い。
しかもその写真の存在を夫の私が知ったのが、昨年11月1日に受け取った那覇地方裁判所からの通知に含まれていた時だった。
 その写真を持って那覇地裁民事部の担当書記官の名城いつ子さんに初めて会いに行き、「偽装?」-との趣旨で示したところ彼女は直ぐに私の目の前で写真出所の方へ電話確認をし、「携帯からプリントしたらしい。写真が二枚になっている。その一つの日付が2009年(平成21年)であり、もう一つの日付が先月2011年(平成23年)10月。そして写真そのものは同じもの」-と、私へ説明した。
 つまり二つの写真プリントルート、或いはソースがあって、そのうちのいずれかによって日付が違うということだったので、その場で偽装性・偽造性を二人で互いに確認した。
そして、それについては今後の課題ということになった。
ーこれが第一審・原審那覇地方裁判所の段階である。
 一週間後、2011年(平成23年)11月9日。福岡高等裁判所那覇支部にての抗告の日。
橋本良成裁判長裁判官及びその場に関わった亀山良貴書記官が、その写真の日付や偽装に気付いてそのコピーを取ってファイルしたのをこの目で確認した。
その時ファイルしたのはおそらく、翌日に決められたことになった決定審理の際、他の二人の裁判官へ示す為に行ったのではないかと考えられる。(二人の裁判官とは 森 鍵一、山崎 威)
 福岡高裁の彼らがその時初めて見た日付偽装と、加えてその他の偽造が施されたその写真のコピーについて白黒コピーなのかカラーコピーなのかどうなのかなどといった保管方法や、その後の使途について一切分らないが、仮に、そのコピーが白黒で示されていたのだったとしたら、それこそとんでもないひどい「暴力」の痕のような顔全体真っ黒の写真を示されていたということである。
それを見た二人の裁判官やその他の裁判所職員は更にその写真を他の者へ見せていたということにもなる。
もしそうなると、日付の偽装・偽造は二の次となって審理が進められて行ったことが容易に想像がつく、
日付の偽造・偽装を裏付けるために取られたコピー写真。その後決してその目的である日付偽造確認は審理されることなく脇へ押しやられ、その真っ黒な顔写真についてのみ論じられ、その保護命令は通ってしまった。
 私のほうとしては、あくまでも原審の那覇地裁の名城いつ子さんとも、福岡高裁の裁判長及び書記官とのその日付の偽装を確認していたので、日付を重んじコピーをしたのであったと解釈していた。
だから写真の映りが白黒であろうがなかろうが日付の偽装・偽造さえ確認していればなにもこだわる必要はないものと思え、むしろそれで良かったぐらいにしか考えていなかった。
DNA holder ー 5 with the lie
Except Ryukyu Okinawan, the Japanese is originally DNA holder -5 with the lie
I do not yet know whether I took it on the day about the truth. Anyway this is because there are two dates of the photograph.
Besides, it is said with the photograph which wore a mask in a meaning to cover that the slap trace of the lips in case of the quarrel between husband and wife in the evening on a front of it day done (2009) approximately three years ago from a date called October 5 in the 2009 stayed a little.
And it is on the same subject, date when a wife leaves the house in the same angle, and two months passed one more and is October and the photograph that it is (2011) in 2011.
It is a photograph same as the two pieces, however, as for that of whole face of the photograph of the two pieces, there is not memorizing in the rudimentary each body of the DV ・" violence.
Besides, it was time included in a notice from the Naha District Court that it received on November 1, last year that I of the husband knew the existence of the photograph.
Go to meet fine castle Itsuko of the charge secretary of the Naha District Court civil affair department with the photograph for the first time, and after showing it in a purpose with "camouflage" -, she identifies a telephone in front of me immediately towards the photograph source; "seemed to print it from carrying". A photograph becomes two pieces. Another date when the one date is for 2,009 years (2009) is October (2011) last month for 2,011 years. And I explained the photograph itself to same thing - and me.
In other words there was two photograph print routes or sauce and confirmed on the spot camouflage-related forgery characteristics with two by either of those each other because it was that a date was different.
And it was a future problem about it.
ー this is a stage of the first trial, the original judgment Naha District Court.
One week later, it is November 9 (2011) for 2,011 years. The day of the complaint in the Fukuoka High Court Naha Branch.
I confirmed what disguised, Judge Presiding Judge Yoshinari Hashimoto and the description of Ryo Kameyama your letter official which affected the place noticed it on the date of the photograph and took the copy and filed with my naked eyes.
Probably, as for what I filed, in the case of the decision trial that would be selected as the next day, it is thought that I might perform it to show it to two other judges then. (with two judges forest key one, Takeshi Yamazaki)
I do not understand it about the safekeeping method that how about whether it is a color copy whether it is a black and white copy and the next purpose for which money is spent about camouflage and the copy of the photograph which, in addition, other forgery was put for at all on the date when they of the Fukuoka High Court looked for the first time then, but am that it was shown a photograph of the whole face black such as the trace of terrible terrible "violence" to it if monochrome, the copy was shown.
Two judges and other court staffs to see it are to have shown other people the photograph more.
Then camouflage, the forgery of the date becomes second, and imagination is turned on trial having been pushed forward easily,
The copy photograph which I had stolen to support forgery, the camouflage of the date. I determined it, and the forged confirmation was pushed away on the date that was the purpose to the side and was lectured only about the black photograph of the face, and the protection order has gone afterwards.
Because I confirmed the camouflage on the date with the presiding judge of the Fukuoka High Court and the secretary with fine castle Itsuko of the Naha District Court of the original judgment to the last for my one, I interpreted it when I respected a date and copied it.
Therefore thought that even camouflage, the forgery of the date did not have to be particular about nothing if I confirmed it even if there was not it even if the image of the photograph was monochrome and rather it was enough and thought. 
  

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2012年05月20日

うそつきDNA保持者ー4

うそつきDNA保持者ー4
琉球沖縄人を除き、元来日本人はうそつきDNA保持者-4

なにしろその写真というのは、顔全体をさも拳でひどくなぐり、それこそ「暴力」を振るった痕かのごとくのように真っ黒く偽造され、この数年間に亘り配られ、今回の娘の拉致・誘拐以来彼らは職を通じて女性センタ→警察官→留置所職員→検察官→書記官→裁判官→ときて、最期には一般人にまで、当の本人にはまったく知られる事無く見せびらかしていたのだから。
そして、去年一年間で2232件のDV相談のうちのたったの一件だけとして四ヶ月間の不当拘留を「本村家」の主の私へ行ったに末、彼ら元来うそつきの日本人らが出した判決がなんと3年間の執行猶予付き六ヶ月の刑だった。しかもその2232件うちのたったの一件を「本村家」へ科すというものだった。
DNA holder ー 4 with the lie
Except Ryukyu Okinawan, the Japanese is originally DNA holder -4 with the lie
Anyway really awfully hit the whole face with a fist, and the photograph is the trace which it showed "violence" in; of untying it because was and was black and was forged and lasted for these several years and was distributed, and they came through a job since abduction, the kidnapping of this daughter with woman center → police officer → tollbooth staff → prosecutor → secretary → judge →, and showed it off to a commoner without what was known to the very person himself at all in last moments.
And is one year last year; only as an affair of 2,232 DV consultation for four months the judgment that Japanese and others of the liar started was the punishment for six months with what a 3-year stay of execution them to me of the master of of "this village house" by custody essentially unfairly at the end of line ったに. Besides, I inflicted only the affair of the 2,232 houses on "this village house".
  

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2012年05月19日

「本村家」をマークし狙っていた

※上記ニュースデータからは、浦添警察署がいかに私共「本村家」をマークし狙っていたかがわかる。

つまり上記新聞のデータからは、2009年(平成21年2月か3月)。後々の2011年(平成23年)のDV相談件数年間で2232件の内の一軒が「本村家」とされるよう、当の本人である妻も知らない内容で浦添警察署によって偽造写真を元に無理やりありもしないDV相談としての記録が当時意図的に作られていたことが丸見えである。
そして、その去年の2232件分の内の一軒の「本村家」が、その2232件ものDV相談の内たったの62件しか保護命令申立てがなされていない(62/2232)ほどの少ない確率の内の1件として「本村家」の夫の私が加害者として娘拉致・誘拐隠ぺい目的で申し立てられていることになっていることも分る。
更に上記新聞からは、2232件の内のたったの2件だけしか保護命令違反で検挙されていないにもかかわらず、三年も前に夫婦げんか、或いは夫婦のいさかい程度と妻も法廷で証言している程度にもかかわらずその保護命令申立てが画策され、保護命令違反として不当逮捕までされている「本村家」が入っている。
しかも挙句の果てには、十四歳の五男・望まで違法に連行・監禁・脅迫・偽証言強要まで行っている。
2012年5月18日 無党派無宗教無断体 本村安彦
※ I understand how Urasoe police station set we "book village house" from the news data mentioned above.
In other words from the data of the newspaper mentioned above 2009 (February, 2009 or March). It is completely exposed to view that a record as the DV consultation not to be for the cause by force was prepared into the forgery photograph by the contents which the wife who is the very person himself does not know intentionally in those days by Urasoe police station so that one house of 2,232 is assumed "this village house" in the number of DV consultation year of (2011) in future 2011.
And only 62 cases that one "this village house" of 2,232 shares of the last year stood among the DV consultation of 2,232 understand that I of the husband of "this village house" am to be stated in daughter abduction, a kidnapping concealment purpose as an assailant as one case of the establishment that there is few it as (62/2232) which there is not where a protection order statement may be done.
Furthermore, the protection order statement is planned in spite of degree testifying in a court, and "this village house" done until an injustice arrest as protection violation of order enters tiff degree and the wife of a quarrel between couples or the couple at the newspaper mentioned above three years ago though only two cases of 2,232 are arrested by protection violation of order.
Besides, in an end of 挙句, I go until forcible escort, imprisonment, a threat, false testimony compulsion until 14-year-old Itsuo, wish illegally.
May 18, 2012 independents irreligion body Yasuhiko Motomura without permission
  

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2012年05月19日

うそつきDNA保持者ー3

うそつきDNA保持者ー3

琉球沖縄人を除き、元来日本人はうそつきDNA保持者-3

 その2009年(平成21年)10月5日付の偽造・偽装写真撮影の日から、2011年(平成23年)8月12日の娘拉致・誘拐事件の日までのおよそ二年間の親子八人の合計年数=8人×二ヵ年=約16年の人生が、この偽造写真が保管されているという脅迫観念が妻に対するプレッシャーとなって、妻と何も知らない夫間、及び家族間を精神的に分断してしまっていた。
 そして、その娘拉致・誘拐事件の日から、同年10月26日から翌11月2日にかけての本件原審保護命令申立ての日までのおよそ二ヶ月の間の親子八人の合計年数=8人×2ヶ月=約1年と4ヶ月の間の人生がその偽造写真によって分断された人生となってしまっていた。 
 さらに本件保護命令申立ての日から、翌年2012年(平成24年)元旦、1月1日午前2時30分に不当逮捕されるまでのおよそ二ヶ月の間の親子八人の合計年数=8人×2ヶ月=約1年と4ヶ月の間の人生が実は、その偽造写真を初めて見せられた夫及び、その他、次男、三男、四男及び五男といった家族対、社会一般との間に溝を形成させたしまっていた人生となってしまっていた。
 そして今年元旦の暴行・不当逮捕の日から、4月12日の本日までの約三ヶ月と二十二日の間の親子八人の合計年数=8人×3ヶ月=24ヶ月=約2ヵ年間の人生が親子分断に加えて、一般社会とも分断されてしまい、その上、父親は監禁され続けている人生にされてしまっている。
 つまり、2009年10月5日の偽造・偽装写真撮影によって、その日から今日までの親子八人の合計年数=197年+16年+1年4ヶ月+1年4ヶ月+2年=約221年8ヶ月の人生が実は、すべて無に帰されているということになる。
 そして、それを解決することができないとなると、今日から始まって、その先にある将来約30年余に亘る親子八人の合計年数=8人×30年=約240年と、今日までのその人生約221年の合計・累計=約461年の人生が全て無に帰されてしまう、とうことになる。
DNA holder ー 3 with the lie
Except Ryukyu Okinawan, the Japanese is originally DNA holder -3 with the lie
An obsession that this forgery photograph was kept became the pressure on wife, and the life for = approximately 16 years has divided it between the husband interval that nothing knew with a wife and families forgery dated October 5 mentally (2011) (2009) in eight two total number of years = X ヵ year of eight parent and child for approximately two years until the day of daughter abduction, the kidnapping on August 12 for 2,011 years from a day of the disguised photography for the 2,009 years.
And it has been with the life when the life between = approximately one year and four months was divided in eight *2 total number of years = month of eight parent and child between approximately two months from October 26, the same year to the day of this matter original judgment protection order statement from to November 2, the following day from the day of the daughter abduction, kidnapping by the forgery photograph.
Furthermore, in fact, it has been this matter protection order with the life when I put it away that formed a ditch between the family such as husband and others, second son, third son, four men shown with the forgery photograph for the first time and Itsuo vs. the society public the life between = approximately one year and four months in eight *2 total number of years = month of eight parent and child between approximately two months before being arrested unfairly (2012) at 2:30 a.m. on January 1 on New Year's Day in 2012 in the next year from a day of making a statement.
And the life in approximately two = ヵ year adds it to parent and child division this year for = 24 months in approximately three months from the day of an assault, the injustice arrest of New Year's Day to today on April 12 and eight *3 total number of years = month of eight parent and child between 22nd and is divided with the general public, and, besides, father is done in the life that continues being imprisoned.
In other words, in fact, the life for = approximately 221 years eight months is to be come all to nothing by disguised photography forgery of October 5, 2009 in +2 year for +1 four months a year for +16 +1 a year four months a year for total number of years = 197 years of eight parent and child to date from the day.
And if cannot solve it, begin on today and is come all to nothing the life for total, total = approximately 461 years for = approximately 240 years and the life approximately 221 years to date for eight total number of years = X 30 years of eight parent and child who will last for approximately more than 30 years in the future in there; will ask it.




http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-05-17_33850/



http://www.47news.jp/localnews/okinawa/2012/05/post_20120517110132.html

※上記ニュースデータからは、浦添警察署がいかに私共「本村家」をマークしていたかがわかる。
つまり上記新聞のデータからは、2009年(平成21年2月か3月)。後々の2011年(平成23年)のDV相談件数年間で2232件の内の一軒が「本村家」とされるよう、当の本人である妻も知らない内容で浦添警察署によって偽造写真を元に無理やりありもしないDV相談としての記録が当時意図的に作られていたことが丸見えである。
そして、その去年の2232件分の内の一軒の「本村家」が、その2232件ものDV相談の内たったの62件しか保護命令申立てがなされていない(62/2232)ほどの少ない確率の内の1件として「本村家」の夫の私が加害者として娘拉致・誘拐隠ぺい目的で申し立てられていることになっていることも分る。
更に上記新聞からは、2232件の内のたったの2件だけしか保護命令違反で検挙されていないにもかかわらず、三年も前に夫婦げんか、或いは夫婦のいさかい程度と妻も法廷で証言している程度にもかかわらずその保護命令申立てが画策され、保護命令違反として不当逮捕までされている「本村家」が入っている。
しかも挙句の果てには、十四歳の五男・望まで違法に連行・監禁・脅迫・偽証言強要まで行っている。
2012年5月18日 無党派無宗教無断体 本村安彦
※ I understand how Urasoe police station set we "book village house" from the news data mentioned above.
In other words from the data of the newspaper mentioned above 2009 (February, 2009 or March). It is completely exposed to view that a record as the DV consultation not to be for the cause by force was prepared into the forgery photograph by the contents which the wife who is the very person himself does not know intentionally in those days by Urasoe police station so that one house of 2,232 is assumed "this village house" in the number of DV consultation year of (2011) in future 2011.
And only 62 cases that one "this village house" of 2,232 shares of the last year stood among the DV consultation of 2,232 understand that I of the husband of "this village house" am to be stated in daughter abduction, a kidnapping concealment purpose as an assailant as one case of the establishment that there is few it as (62/2232) which there is not where a protection order statement may be done.
Furthermore, the protection order statement is planned in spite of degree testifying in a court, and "this village house" done until an injustice arrest as protection violation of order enters tiff degree and the wife of a quarrel between couples or the couple at the newspaper mentioned above three years ago though only two cases of 2,232 are arrested by protection violation of order.
Besides, in an end of 挙句, I go until forcible escort, imprisonment, a threat, false testimony compulsion until 14-year-old Itsuo, wish illegally.
May 18, 2012 independents irreligion body Yasuhiko Motomura without permission
  

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2012年05月19日

うそつきDNA保持者ー2

うそつきDNA保持者ー2
琉球沖縄人を除き、元来日本人はうそつきDNA保持者-2

申し立て自体偽造・ねつ造されているとの指摘ため、保護命令の手続きは中断されたままであり、確定されていない状態のままである。にもかかわらず、無抵抗の者へ暴行逮捕・監禁がなされており違法である。
中でも証拠写真とされている三年前の写真を、さも申し立て時の写真とするため三年も年も年月日を偽造しているのが明確になっていることは決定的だ。
加えて申し立て強要者である妻の妹わ介する男と、もう一人の妹を介する夫の志良堂せいほうの兄で警察官らと職を通じる浦添警察署と女性センターらによって妻が脅迫され書かされているそれと分る記述もある。
 本件事件法律第十五条第五項「・・・保護命令は執行力を有しない」に照らして見れば全ての原決定及び棄却を取り消しを免れない。
したがって、元旦の逮捕自体不当逮捕で、誤認逮捕であり、しかも暴行逮捕である。

二、原裁判及び関連裁判の存在と経過については上記事件番号を参照のこと。

三、即時釈放要請
 平成二十一年十月五日の偽造・偽装写真撮影によって、それまでの親子八人全員の当時の合計年齢百九十七年の人生が無に帰された。
DNA holder ー 2 with the lie
Except Ryukyu Okinawan, the Japanese is originally DNA holder -2 with the lie
I save statement in itself forgery, indication that it is forged, and the procedure of the protection order is stopped and remains in condition not to be settled. However, an assault arrest, imprisonment is accomplished to a nonresistant person and is illegal.
Above all, it is decisive that what forge the date in a year for three years to really assume a photograph three years before I am considered to be an evidence photograph the photograph at the time of the statement becomes clear.
In addition, there are it which a wife is threatened by Urasoe police station and woman center and others knowing it and is made to write a job with police officer and others in older brothers of the 志良堂 fault of a husband going through the man going through younger sister わ of the wife who is a statement briber and another younger sister and the description to understand.
If I light up this matter case law Article 15 Clause 5 に where "the ... protection order does not have an execution power" and watch it, I do not avoid cancellation by all original decision and rejection.
Therefore, by an arrest in itself injustice arrest of New Year's Day, it is an arrest of the wrong person and is an assault arrest, besides.
Refer to the case number mentioned above for existence and the progress of two, original judgment and the allied trial.
Three, immediate release request
It was come to nothing forgery of October 5, 2009 the life of total age 197 years at the time of a thing of all eight previous parent and child by disguised photography.

  

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2012年05月18日

うそつきDNA保持者-1

琉球沖縄人を除き、元来現日本人はうそつきDNA保持者-1

憲法第十六条の請願権に基づき下記の通り救済を求める。
平成20四年4月12日
沖縄県浦添市港川二丁目十番八号
五人の未成熟子の父親 本村安彦
被害者名  未成熟子との続柄 年齢及び学年
本村未姫     長女    十三歳  中学二年生
本村 望     五男    十四歳  中学三年生
本村公平     四男    十八歳  大学一年生
本村自然     三男    二十歳  大学二年生
本村眞理     次男    二十一歳 大学四年生
本村弘美     妻     五十二歳 主婦
本村安聡     長男    二十七歳 社会人  

 異議申し立て特別抗告状
事件番号 平成24年(く)第10号/(く)第5号/(む)第5号/(わ)第16号
事件名 配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律違反事件
福岡高等裁判所那覇支部刑事部御中
裁判長裁判官 綿引 穣 及び 裁判官 岡田紀彦 並河浩二 書記官 亀山良貴
事件番号 平成24年(し)第144号/(む)第69号
関連裁判所 最高裁判所 第三小法廷及び那覇地方裁判所
原審地裁
原審地裁事件番号 平成23年(配チ)第29号
原審地裁事件名 配偶者暴力に関する保護命令申立事件
原審地方裁判所 那覇地方裁判所民事第3部 裁判官 伊藤清隆 書記官 名城いつ子
原審ー高等裁判所事件番号 平成23年(ラ)第55号
原審ー高等裁判所事件名 配偶者に関する保護命令に対する即時抗告事件
原審ー高等裁判所名 福岡高等裁判所那覇支部民事部
裁判長裁判官 橋本良哉 裁判官 森 鍵一 山崎 威 書記官 亀山良貴

原審地裁 
原審地裁事件番号 平成24年(む)第69号/(わ)第16号
原審地裁事件名 配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律違反被告事件
原審地裁名 那覇地方裁判所刑事第一部
裁判長 鈴木秀行
 上記に対する平成二十四年四月九日付、貴裁判所が私の抗告に対して決定した棄却及び、その上級裁判所の特別抗告棄却に対し、憲法十六条の個人の請願権に基づき下記のとおり異議を申し立てる。
五人の未成熟子の父・本村安彦

 第一、申立ての趣旨
一、原決定及び棄却を取り消す。
二、被告人を即時釈放する。
 第二、申立ての理由
一、本件決定その他すべての裁判及び不当暴行逮捕・不当拘禁・起訴。そしてその原審裁判、平成23年(配チ)第29号 配偶者暴力に関する保護命令申立て事件は、現在最高裁判所第二小法廷で審理中である。
 なぜなら本件保護命令そのものが本件法第十二条第一項第二号規定の「その時の情況」を大きく三年も逸脱しているからである。

Except Ryukyu Okinawan, the existing Japanese is the DNA holder with the lie essentially
I demand relief based on a right of petition of constitution Article 16 as follows.
20, Heisei April 12, 4
2-10-8, Minatogawa, Urasoe-shi, Okinawa
Father Yasuhiko Motomura of five immature children
The relation age with the victim name immature child and school year
Motomura non-princess The eldest daughter 13 years old eighth grader
Motomura wish Itsuo 14 years old ninth grader
Kohei Motomura Four men 18 years old freshman
Motomura nature The third son 20 years old sophomore
本村眞理 The second son 21 years old senior
Hiromi Motomura Wife 52 years old housewife
本村安聡 The eldest son 27 years old member of society
Letter of formal objection special complaint
It is the tenth /( く) fifth /( む) fifth /( わ) 16th (く) in case number 2012
Offence case about prevention of the violence from a case excellent spouse and the protection of the victim
Fukuoka High Court Naha Branch Criminal Investigation Department
Judge presiding judge Minoru Watabiki and 裁判官岡田紀彦並河浩二書記官亀山良貴
It is the 144th /( む) 69th (do) in case number 2012
Associated court Supreme Court Third Petty Bench and Naha District Court
Original judgment district court
It is the 29th (配 チ) in original judgment district court case number 2011
Protection order statement case about the original judgment district court case excellent spouse violence
secretary original judgment district court Naha District Court civil affair Part 3 judge Kiyotaka Ito fine castle Itsuko
It is the 55th (lah) in original judgment ー High Court case number 2011
Immediate complaint case for the protection order about the original judgment ー High Court case excellent spouse
Original judgment ー High Court excellent Fukuoka High Court Naha Branch civil affair department
裁判長裁判官橋本良哉裁判官森鍵一山崎威書記官亀山良貴
Original judgment district court
It is the 69th /( わ) 16th (む) in original judgment district court case number 2012
Offence defendant case about prevention of the violence from an original judgment district court case excellent spouse and the protection of the victim
Original judgment district court excellent Naha District Court detective Part 1
Presiding judge Hideyuki Suzuki
For rejection and the special complaint rejection of the higher court that your court decided for my complaint on nine dates in April, 2012 for the above, I state an objection based on a personal right of petition of constitution Article 16 as follows.
Father, Yasuhiko Motomura of five immature children
The first, purpose of the statement
I cancel one, original decision and rejection.
I release two, the defendant immediately.
The second, reason of the statement
One, all this matter decision or other trials and unfair assault arrest, unfair detention, prosecution. And the protection order statement case about the 29th spouse violence is examining it now (配 チ) in Supreme Court Second Petty Bench in the original judgment trial, 2011.
This is because this matter protection order itself deviates from "the situation of this matter method Article 12 Clause 1 second rule at that time" greatly for three years.


  

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2012年05月15日

『誤解を解く』

『誤解を解く』





















  

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2012年05月13日

世相

前略 お客様各位
   
一読版 新概要説明書  
金城本村リフォーム設計 代表 本村安彦
2012年5月7日

 一昨年の夏(2010年・平成22年)、すでに小学校六年生になっていて、県内・市内の図画作文コンクール及び陸上競技、そして少年野球などで活躍していたことで、我が家六番目の子で末っ子の娘・未姫(みき)12歳が浦添市立港川小学校で評判になっていた。
ーと言うのも、その夏行われた東京代々木の国立競技場を舞台にした全国小学生陸上競技大会に沖縄県代表選手として出場することが先に行われた県大会で優勝したことで決まっていたからです。
 また、その年、中学新一年生になったばかりの五男・望(のぞみ)13歳も、浦添市立港川中学校野球部一年生部員として県一年生大会を目指してレギュラーの座を確保し希望に燃えていた。(その後も頑張っていて、現在も部活をつづけている)
 さらに、高校野球部二年生として、一つ先輩の三年生部員のその夏の大会活躍を伝統として受け継ぎ、「今度こそ俺たちが甲子園を目指す」-と勢いづく四男・公平(こうへい)16歳もいた。(その後、翌年の夏の大会では新改装された奥武山新球場・セルラースタジアム第一日目で敗れ去ったのを最後に大学進学への進路を選択し、現在は沖縄国際大学新一年生となって新たな目標である国語の高校教師を目指している)
 又もうひとり、浦添商業高校野球部部員として二度も甲子園球場まで行って来たという誇りを自信としてみなぎらせていた高校野球に別れを告げ、早々と大学合格を勝ち取り進学手続きをせっせと進めてている三男・自然(しぜん)17歳もいる。(その後、入学を果たし「自分の夢を見つけることが自分の夢だ」と、ひたすらに自分は何者なのかを模索し続けている)
 更にもうひとり、沖縄県大学野球の強豪校沖縄国際大学野球新一年生として県大学野球連盟新人賞を獲得し、主軸打者として不動の座をものにし活躍を続け、高校野球スカウト先の岡山県から戻ってきていた次男・眞理(しんり)19歳もいた。(その後も相変わらず)
 当時の我が家で不在の者といえば唯一人、すでに二十四歳を迎えていて、名古屋だとか三重辺りで働く長男・安聡(やすとし)24歳だけだった。
 両親の私たち夫婦はといえば、夫の私が自動車の運転免許証がなかなか取得できないことで自由にひとりで動き回れないことから、妻の本村弘美が二十四時間常に付き添って一緒であった。自営家業でも運転手役の妻と二人「夫唱婦随」といった具合でおよそ100軒の顧客先の無料のアフターサービスで営業も兼ねながら土日も休まず回り続ける毎日であった。

 同年、八月二十八日(土)、東京代々木の国立陸上競技場のスタンドでは、全国から集まってきた人々で賑わう片隅で娘・未姫の付き添い役兼家庭内教育・コーチとしてたたずみ、他の選手家族に混じり競技を見守る父親の私がいた。
 全国各地からやって来たつわものどもに交じって沖縄県代表選手としてボール投げでの遠投競技に出場した娘は見事全国一・日本一に輝いた。
~それからだった。それまで「本村家」に対してまったく見向きもしなかった周囲の人々らが我が家で育った六人の子へ注目をしだしたのは。
翌日の新聞は地元両紙揃って大きく採り上げていた。(その後も日本陸上連盟登録選手として身体潜在能力を登録するのに横浜科学センターまで再度フライトしている)
 そしてその秋には偶然、文化面での表彰が重なっていたこともあり県内の優秀児童を表彰する沖縄県優秀児童賞を浦添市立港川小学校を代表して受賞している。
その業績を知った両親の親戚や友人知人らが次々と振り向きだしていった。
娘・未姫に対する興味はもとより、そのすぐ上の兄の五男・四男・三男・次男そして長男らの港川小学校を皮切りにした兄だい全員並行しての小学校はもちろんのこと中学校・高等学校での皆勤賞の実績にまで目を向けだしていった。
 更にもう一つ偶然が重なっていた。
子どもたちの活躍の最中、電話がかかってきた。
電話は、その一年後になる昨年(2011年・平成23年)8月13日ではTBS全国ネット放送と、その前段で同年5月30日は長崎地区を中心に放送することになるNBC・長崎放送の収録出演依頼の電話アポイントメントだった。
直後、私たち夫婦二人だけで半年ほどその長崎放送の関口達夫ディレクターやスタッフと付き合うことになる。
最後まで妻が出演することは無かったが、自動車を自由に扱える者が妻しか存在しなかったことでそのスタッフの送迎や移動まで、少しだけではあるが、妻に自動車の運転手役をしてもらい対応することになる。
 (その収録の放送は昨年、新中学一年生(13歳)になったその娘・未姫が拉致・誘拐された昨年8月12日の翌日という変な日の13日に、それもまた東京TBSから全国ネットで偶然に放映された。それが昨年、2011年8月13日土曜日午後5時半から放送の「報道特集」だった。内容はと言うと、放送終了数日後、県内の新聞社でも掲載するほどの衝撃的な内容となり、「沖縄核密約」の裏付となって報道された)

 その昨年の2011年(平成23年)秋、これもまたまた偶然に始まった。
妻の母親、故・島袋照子が生前、わたしのその娘・未姫を初めて目にしていて興味を持ち出したのも。
 照子は、妻・本村弘美の生母である。だから娘の未姫からすれば当然、祖母にあたり、照子からすれば娘は孫になる。
しかしながら十五年前のとあること以来疎遠になっていて、孫・祖母の関係は娘が生まれてこの方、例えば一度たりともお年玉のやり取りすらも一切無かった関係だった。
当然ながら娘の方からしてもまったく見たこともなかった。
 その様なことは、夫で父親の私の親戚のほうでも同じことが続いていたが、それもその同時期に偶然にも親戚と会っていて、私の側の親戚とも初めての対面を果たしていたばかりでもあった。
いや、それは必然だったかもしれない。
ーというのも、同じこの沖縄県内という一種閉鎖的な狭い限定された一定地域内で暮らしていながら祖母と孫がまったく会わない。しかも十数余年も。
その”とあること”がきっかけで、互いの存在そのものがまるでこの世からかき消されてしまったような出来事というのはいまだに家族の子どもたちへはきちんと話していない。

 さて、話を戻すことにする。
その年、一昨年(2010年・平成22年)十一月のある日。その娘の小学校最後の運動会にもう何年も顔を見せたことがなかった照子が昼食時間に合わせて立ち寄ってきた。
「えっ、あの一番先頭で行進していた背の高い目立っていた子が孫の未姫?」と驚いていた。
 照子とすれば自分の孫にあたる未姫が十二歳に成長するまで一度も見たことがなかったのだから、いかに理由があるとはいえ、他の五人の孫に対しても同様に驚きを隠せないのは当然だったのだろう。(これはあくまでも推理だが、今思えば、その翌年(2011年)に拉致に至ったのはそれがきっかけだったのかもしれない。その時に初めて照子はその娘・未姫を急に欲しがったのはこの運動会での印象が始まりだったのかもしれない)
十四年余も疎遠だった私たち「本村家」が偶然照子と縁を戻したのはその少し前の月、七月頃だった。
 それとも互いにその必然性があったのだろうか。
 実は、今から十五年前。妻・本村弘美が、その照子の言う一言を信じきってしまっていたことが原因で、「そうではない。そんな行動をとってしまったら大変な目に遭うことになる」と言う夫の私の注意に対して「うん。分った」とは言いながら実際には聴いていなかった行動をとったことがきっかけでその直後、当時まだ生後三ヶ月という乳飲み子の五男・望を含め、四歳・四男の公平(こうへい)や五歳・三男の自然(しぜん)及び小学校一年生の次男・眞理(しんり)、そして中学一年生の長男・安聡(やすとし)らを抱える一家七人全員が路上生活を強いられることを余儀なくされた「県営城間団地強制立ち退き事件」が起こってしまった。
 それ以来照子とは互いに避けるようになっていった。
例えば「うちのことで、又は孫のことで何かをするとか、物を与えるとか、特にお金をあげるとかのときはちゃんと、一家の主である夫で父親の私に一言言ってからか、或いは私を通してからにして下さいね」といったようなことで、ごく一般的で当たり前のことを口に出して言うようになっていたぐらいで、別にこれといって特別に照子を拒むようなことではなかった程度であった。
 また、その15年前当時そのような生活苦を訴える為、夫の私側の身内についても家庭裁判所へ民法877条の兄弟直径血縁らの扶養の義務申立てをしてもいたぐらい経済的にとても厳しい情況でもあった。

 それから十四、五年経った昨年(2010年・平成22年)七月。それまで二、三十年といった長年ひとり住まいをしていた照子がその那覇市与儀から我が家からわずか百五十メートルから二百五十メートルしか離れていないそのかつては私たち「本村家」一家も十年ほど暮らしていた県営城間団地へ急に引っ越してくることになった。
当時、その団地にはすでに妻の妹の金城香(かおり)とその一家が引越してきていてかれこれ十二、三年ほどが経っていた。その時もまったく気が付かなかったが、その金城香の住む一号棟401号室にはすでに今回の事件を起こした真犯人の不審な男も一緒に暮らしていたということになる。
なにしろ今回のことがきっかけで調べたら妻の妹の金城香とその男の関係はもうかれこれ十年以上も前から続いていたことが分ったからだ。
そしてその香の不審な男性のことを照子はそれまでの十年余りも私に隠していた気まずさからか妻へも一切隠して置くようにとの指図をしていたことにもなる。同じ団地内の真向かいの棟に住むようになっていながら一昨年から昨年八月に亡くなるまでの時でさえも。
 実は、十五年前の路上生活を強いられた「県営城間団地強制立ち退き事件」も今回同様、浦添警察署立会いでなされた。立会いの刑事が県住宅課の極悪役人稲嶺側に付き並んで只立って見ていただけで、そのような人権侵害を止めさせるどころか逆に私ども一家が悪者にされている様子だった。
その時も今回同様、主のいないその団地の部屋へ届く郵便物の扱いは、浦添警察署が主の私どもからなんの断りもなく受け取る権利を剥奪し、その後も配達制限し違法に実行支配管理保管していた。毎日届くはずの郵便物を主の私ども一家へは一言の通知すらしてこない。
その当時の郵便物が何処へ消えてなくなったかもいまだに分らない。その事に対する詫びの一言もいまだに一切ない。
 これもまた、偶然といえば偶然だが、今回も昨年大晦日までには届いている最高裁からの通知や、那覇地裁からの郵便物が消えている。また、昨年大晦日から今日現在までには家に届いているはずの最高裁などからの届くべき郵便物などを巡って今現在トラブルが続いている。

 話はまた元に戻るが、照子の入居先である三号棟401号室へは当時もすでに私の金城本村リフォーム設計の主力商品としている台所用浄水器をレンタルで設置している。
偶然にタイミングが良かった。丁度レンタルを始めたばかりだった。引越しついでにと入居前に設置し喜んで貰った。その延長線上でその娘・未姫の運動会での出会いにも繋がっていった。
また、当時、それまで低迷していた妻と二人の自営家業が娘・未姫の大活躍のおかげで元気を出し始めてもいた。
つまり、「子は親の鏡」ということで信用が高まり十年以上も前の古いその嫌な話は忘れさせてくれてもいた。それどころか逆に互いの生業上の手伝いもするようになっていった。
例えば団地入り口階段上り口踊り場の壁には私の営業用チラシを貼り付けさせて貰った代りに、出来るだけ照子の生業である琉球沖縄古来の神女組織の流れを汲む「拝み」家庭判断という職業をアピールするための名刺作りを、妻のすぐ下でもうひとりの妹で今回の真犯人志良堂せいほうの妻・志良堂ちあきにするようにとの指示を妻を介して出し、作成するよう持ちかけさせるなど、仲良くしたりしていた時期でもあった。
しかしながら、三十年前、私が二十代の頃以来自動車の運転免許証を持たないため、婿の私が一人で照子への何かを手伝ってやれる事はなく、わびしい思いもしたりしていた。
 三十年前、自動車の運転免許証の更新があり、ちゃんと届け、適法に手続きを済ませた。
しかし、今でこそ即日で新しい運転免許証が貰えるが、当時は数日経ってからしか貰えなかった。
今現在は豊見城へ移っている当時の県公安委員会運転免許課は、琉球沖縄の人々が毎年除夜の鐘を打ち鳴らしに行くお寺が波の上宮と隣り合わせで横並びにあって、その界隈・近所に存在していた。
その切り替えた運転免許証受け取り待機期間内に仕事で東京への出張が案の定あった。
要するにその運転免許証そのものはその公安委員会運転免許課に預けたままの形になってしまっていた。
そのまま次の更新時期までやむを得ず切り替えを済ますことが出来ずに期限切れをしてしまった。つまり行政処分で取り消されてしまったということになった。
私は、そのことを不服として申し立てをした。というのも、当時の道路交通法でいうところの運転免許証を行政処分するに当たり当局は必ず本人対して行わなければならない公安委員会の執るべき「聴聞」の機会の通知なり何なりの機会を与えられるべき機会を私に対して与えていなかったことは違法だとして最高裁判所へまで抗告をして争う羽目になった。
結果的にその審判は棄却され、そのことが原因で手続き上の争いをする術がなくなった。
その後、そのような当然の権利を行使した私に対す差別待遇が公然と行われるようになって以来、現在まで運転免許再取得トライする度ごとに何らかのトラブルが付きまとうようになっている。
十五年前に思い切って一発勝負といわれるチャレンジをするも半年かけ・40回トライして仮運転免許証がやっとだった。
今回も仮運転免許証はすでに取得してあったかんけいで、残り期間最長でもあと二週間もすれば本免許が手に入る寸前でもあった。
要するに、警察関係者の仕事と言うものがそもそも形式や建前を理由にして差別待遇を繰り返しているということである。
警察権力に対して相対するその者の過去に何かがあって記録が残っているとする庶民と、そうではない庶民とを水面下ではきちっと分けているということである。只単に多様な庶民一人ひとりを各々別個に対応することに対して面倒くさいし、したくないのである。
だからひと括りに束ねたいのである。そのほうが現場で働く未だ寛容精神を養っていない30歳~40歳という年代の警察官にとっては仕事がし易いのである。「運転免許証は自練に金払って取得すること」と、不寛容に切って捨てているのである
そうやって建前の形式論を持ち出したり、或る時は民事不介入を盾に隠れ蓑にし一切無関心を装うその一方、血縁や親戚関係者側に対してだけは秘密裏に職を通じた寛容な”便宜供与”を警察官・警察機構・検察庁及び裁判所や法テラスー地域の弁護士会といったその地域の法曹界全体で嘘の共犯者としてはたらくのである。

 さて、話を一昨年に戻すこととする。
 そうするうち娘・未姫の小学校最後の運動会も終わり、県庁講堂で県教育長賞受賞式。浦添市役所広報室からは写真撮影。そしてその写真がそのまま市内全世帯への市広報誌に掲載されて配布された。
この時でもまた「子は親の鏡」が自営家業である金城本村リフォーム設計の営業活動に好影響を及ぼし、その自営家業はますます上昇気流に乗り出していった。
わが社が扱っているその逆浸透膜浄水器というこれから先の日本・琉球沖縄では欠かせない放射能汚染対策・内部被ばく防止に役立つ商品なので自信を持って契約・取り付け・販売・レンタル・リフォーム工事などの営業代理店として上り調子でもあったことでゆくゆくは照子へも代理店になって貰うことにもなっていた。
何しろ、照子の暮らしは苦しかったようだった。
 何とかしてやらなければ、と思わせる素振りも照子は見せていたりもしていた。
そのことは妻の実家の暮らしの半分が実は宜野湾市真栄原売春街新町の売春婦相手のゲーム機喫茶店を経営する志良堂せいほう兄弟と、妻のもうひとりの妹の香の男たちが行うかつてのような商売・商法での収入次第であったようであるのを直感させた。
かつてのような商売・商法とは、つまり、今から三、四十年ほど前にもあった那覇市辻町や、その近辺に散在する波の上神宮近隣では現在でも大晦日に初詣客で賑わう除夜の鐘のあるお寺界隈の売春街のようなかつての商売・商法のことである。
当時はまだ日本復帰前の琉球政府の時代で、日本ではすでに施行されて20年経っていた売春防止法が此処沖縄では未だに適用されていなかった時代の話である。
 私が子どもの頃は、その波の上宮へは大晦日から元旦にかけ、初詣客の一人として毎年のように通っていた。そして大晦日の時間帯はその神宮横のお寺で除夜の鐘も並んで突いたりもした。
だからその売春街通りというものを知っている。その通り沿いの店舗というもののなりわいを知っている。
生前の照子も一度その辻町通りに面した店先辺りで商用をしていたのを妻と二人で逢いに行ったのを覚えている。夫の故・金城良守側の親戚による半ば強引な引き離し離婚策に対し、安易に受け入れてしまい、「離婚させられた」と言って悔しがっていた頃だから、もう三十年も前の話ではあるが、、、。
 「離婚させられた」は照子の口癖でもあった。
何しろ当時はまだまだ乳飲み子の義明(よしあき)に、二、三歳になったばかりのあきら。四、五歳の香(かおり)といった幼い子どもたちに加え小学生の志久実(しぐみ)に忍(しのぶ)。そして中学生になったばかりの篤(あつし)もいればその直ぐ上の姉のちあきも未だに中学生という八人全員が乳児・幼児・児童生徒ばかりだった。その子ら全員夫の家に残しての離婚だった。他にも今は亡きもう一人長男のあーきーが居たが、当時ですでに一度しか家に居る姿を見かけたことがなかったぐらい家を離れている年齢に達していた。
その照子の気持ちを思うと一概には言い表すことなどできようもない。
 照子とすればこの三十年間。一人ひとりの自らの子どもたちが成長してゆく度ごとに後悔の念が増してゆく一方というか、連続であったであろうことは想像するにそう難しい事ではないように思うのは婿のわたしだけではないはずである。
無理やり引き離され、年々苦悩がかさむ一方の照子の心情。それをどのように乗り越えてきたのだろうか。
「もう少し出て行かずに踏ん張ればよかった」と苛まれているのだろうか。それとも「あの場合は仕方が無かった」と諦めていたのだろうか。
或いは、やっぱり口癖になっていた「あの親戚によって引き裂かれた。おかげでちゃんと親としての責任を果たせなかった。子育てに十分関われなかった」ーと、本心からそう思っていたのだろうか。
 照子は経済的にも苦しかったようだった。私の妻で照子の長子で長女にあたる本村弘美から昨年八月辺りにもそう訊いている。
例えば「本村家」は子沢山貧窮というか貧乏というか常にお金に困っていて、その半年の間に妻へ言って照子へお金を無心させたことがあった。その時に一、二万円も大変だったようだったので一週間ほどで直ぐに返したことがあった。
夫の私と妻とすれば、娘の未姫やその上の兄らの活躍もあって照子ともよりを戻していたのだから、逆にお金を何とかしてやれるものであれば何とかしてやらなければならない、と思わされ、それを「何も出来なくてごめんね」と口頭で婿の私の方から言い表わして話したこともあったりした。
妻の話では「今、せいほうからお金を借りていて、それで団地の家賃でさえも支払っていたりしていて大変だ、と言っていたから、おっかぁーは今お金ないはず。大変だはず」-とのことだった。
その時初めて照子とせいほうとの力関係を知り、急に不憫(ふびん)に思えてならなかった。
その「せいほう」とは、志良堂せいほうといって、私の妻(長子)の直ぐ下の妹ちあきの夫のことである。
 この妹夫婦の夫の志良堂兄弟と妻のもう一人の妹の金城香と一緒に生活をしている不審な男らはこの十年ほど、宜野湾市真栄原の売春街新町通り内で唯一の売春婦を相手にゲーム機喫茶店を経営していて稼いでいる。
客取りをした後の彼女らが体を休めにやってくるのである。彼らはそのサイフを開けてくれるお金目当てにである。照子はその稼ぎのお金に頼ってしまっているのだからよっぽどであったに違いない、と直ぐにピンときたのをその妻の話を聞いたときに感じ取っていた。
しかも驚かされたのはこのような理由もあったからだった。
この十数年、志良堂の妻のちあきの暮らしは豊かだった。また、もう一人の妹の金城香もお金に困っている、という話は一度も聞いたことがないどと、不思議なくらいだった。
なにしろ香には三人の中学生や高校生といったお金のかかる子どもたちが居る上、母子家庭でありながらも何とか乗り切っているという。そしてそれどころか、持っている車やその他、姿形というのが聞かされている勤め先などの職場情報の割にはバランスがとれないほど生活感を感じたことがなかった。
きっと、金回りのいい志良堂夫婦らとうまくやっているのだろうぐらいに思い込んでいただけにそこまできつくなっていたのか?と思ったものだった。
ーと言うのも、照子のそのお金に困っているという話を聞いた頃というのは丁度、宜野湾警察署と県警本部合同で大きな売春街摘発、との報道があった時期であったからだ。
女の子を抱える父親、そして長子で長女の夫という立場からすれば、当時のその売春街新町を題材にした花村萬月のルポルタージュ本「沖縄を撃つ!」で知っていただけに、その場所から離れさせるだけの力の無さに無力感とじくじたる思いを抱いている時期でもあった。
いわばこれもひとつの「沖縄問題」のひとつと捉えていた。
 その年の暮れから翌年(去年)に掛けてだったと思うが、その報道というのが実は、妻の妹夫婦らの男供が稼いでいる店舗があるその新町を摘発した、という報道だったのだから容易に思い至っていた。
何しろ大掃除という表現をするほどの一大摘発だったようで、その新町そのものが消え去るのではないかと思えるほどの物入りだったとのタクシー運転手らの話もあった。
それだけにその照子がお金に困っている、との話はきつく感じられ、「そうか。そんなことで僅かなお金でさえも暫くでさえも応援できないんだ」と察してもいた。
 案の定、その後妻が家を一人で出る少し前のとある日。そのちあきと香へも話してくれないか、と妻から無心させたとき、「今ぜんぜんお金ない」と言われたと言って、一万円しか借りられなかった、と妻が済まなさそうに話していたから、今思えばこの時にちあきや香及び照子らはその「本村家」のお金にまつわる何らかの話か、その直後に一人で家出をすることになる妻の本件事件と絡む何らかのお金の話をしていたのかもしれない。
 妻の実家の家計の殆どを占めるその一番の収入源の新町での警察による手入れというのは大変大きなものだったようである。何しろその一斉摘発から半年以上経った昨年の七月ぐらいの話でさえもそのような景気の調子だったからである。
また、カムフラージュとして始めた今回のことが無かったとしたら私はその場所と店舗の名前をまったく知らなかったであろう浦添市内で三年前からやっている支店の食堂も元々からぜんぜん売り上げが上がらなくて「仕入れ食材代もない」と言って困っていることも話している、と妻から聞かされてもいた。
 志良堂夫婦らとすればこれまでの十年以上もその売春街が多少摘発されたからといって自分らの店まで摘発されていた、などということは一切なかった中での落ち込みようだったのだからいかに直接手入れが入った訳ではないにも拘わらずかなりの経済的悪影響があったことになることがわかる。
 また、これは本件事件の第二回目の公判(平成24年3月1日)で妻がこう証言していて分ったことだが、「西原にならあります(ゲーム機喫茶)」。
そしてこうも「何時頃の話ですか?」と、新町の売春街で妹さん夫婦がゲーム機喫茶店をしていますか?との弁護士の質問に答えて、さも「今はその新町の店は名義を変えています」とも受け取れるような答え方をしていて濁している。
それからすると、どうも大急ぎで名変をしているようでもある。単に店舗そのものは以前から西原にもありました、というものではなさそうである。何しろ私は実際にその売春街新町の店を知っているからである。店内で志良堂が切り盛りしていた。
そして三年前にも、去年二度も店内に入っている。
 また、こうも考えられる。妻の証言はつい先月、三月一日である。私がここでいう照子がお金に困っていたというのが一昨年の暮れから昨年春ごろから夏にかけて。そして、ちあきと香が困っているって、と妻が話していたのが妻が一人で家出をする少し前の話であることから昨年の八月頃である。この時に何かの本件事件と関連する何らかの話をしているかもしれない。
売春街の手入れのあった当時は、売春婦らが実際には那覇の栄町と沖縄市の吉原へはいかい移動していたのだから、おそらく彼女たちが自らの住まいのある新町へ帰ってくる深夜から翌早朝にかけての動きに合わすためのシフト変更へ切り替える経費が嵩んでいて、お金に困っていたのだろう、きっと。
そして、ちあきと香がお金に困っている、といっていたその昨年七、八月ぐらいというのはちあきの長子のあいりがそろそろ物心付く小学校高学年生になってきたこともあって、表向きその裏商売から脱するイメージ作りのためでも設けていた浦添市内の食堂を西原のゲーム機喫茶へ集中シフトするためお金がかかり、その工面に困っていたと見ていいのではないか。
だから、妻が無心していたことをちあきや香らから聞いたせいほう・香の男、そしてせいほうの兄らとすれば、まったく妻以外の「本村家」の家族へは興味はないのだから、そんな時期にお金の相談をしに「こないでくれないか」としか妻に対しては返事しなかったのだろう。
つまり、その時はすでにちあきや香、そして照子らではお金を自由にさせてくれるなどというそれまで続いていたようなゆとりがなくなっていたのだろう。
 その人員整理や確保でお金に困って居たのかも知れない。そしてそんなに「本村家」がお金に困っているならと、妻をその新シフトの人員スタッフとしての条件で金は貸し、そしてゆくゆくは家出をしてこの店を手伝って、-と、その時はすでに声を掛けていたのかもしれない。夫の私へは一切内緒でと釘を刺し。
だとすれば、その妻が一人で家出をする直前のあの苦悩に満ちたイライラが納得できる。
 というのも、これは今回の五男・望の供述調書で分ったことだが、その望に対して父親である私の妻に対するありもしない「暴力」を植えつけていた時期だったようでもある。「あんたのお父さんがお母さんへ「暴力」を振るっていた」と思い込ませている記述があったことも併せて考えるとそうなるからだ。
また、その直後とまではいかないが、私は昨年十月と十二月には実際にその新町まで行き調べているからいえる話でもある。
 今度は西原を調べなければならない。新町までは調べていて西原を調べない訳にはいかない。何しろ浦添市西原といえば私にとっては親しい者が沢山いるし、その近くには四年ほど前に全体用の大型浄水器取り付け工事と水道工事を請け負った代金六十万円ほどの売上金をめぐり最後には踏み倒された入仲敏夫という元警察官の者もいる。
当時、そのことを私が当たり前に浦添警察署市民相談室へ訴えていて、その事に対して逆恨みを持っている輩だ。またその他にもちゃんとした顧客も存在するからきちんとその辺りを調べ、知る必要がある。
 裁判ではこのようなやり取りもあったことから、当時上り調子の我が家の自営家業に対する志良堂兄弟や香の男、そして入仲ら以外のねたみは、それらとは別の他の親類間でも同時に行われている可能性もありうる。
 拉致誘拐されたままになっている娘のことで「未姫ちゃんもその店へ行ったことありますか?」との弁護士の質問に対して妻が「ありません」と答えているが、あり得ない話であり、絶対に連れて行ったことがあるに違いない。確信が私にはある。何らかのお金が妻とちあきの間にはあって、その背景には影で隠れてそれを指図している男の姿が必ずそこには存在するはずである。
 また、昨年八月十二日には娘が拉致され、その翌日十三日にはTBSの全国ネットテレビ報道番組に私が出演したことでも、お金が絡んでいる、と見ている。言い換えればそれがなければ訳のわからない巨大なものが背景に存在することになり、訳が分らなくなるくらいおかしなことということになる。

普通一般的に起こる地域や親族間のトラブルとして考えた場合、当たり前の話としてそこにお金が絡まないと整合性がとれないのである。お金を出し入れできる権限を持っていたであろう者は照子が亡くなって以降はちあきしかどう考えても考えられないからである。
そうでないと、当時から妻は一円も持たずに家を出て離れていることとのつじつまが合わないのである。だからあり得ないのだ。もうあれから九ヶ月が経っている。その間、お金を一円も持たない妻と娘の身の回りに関していったい誰が食費やら、その他のお金を賄っているのだ、ということに当然なる。
志良堂せいほうらにとっては、売春街の店舗も、少し離れた浦添市西原の店舗も何らの違いはない。どれもこれもみな、同じお金でしかない。彼らに一般的な道徳観念や公序良俗など通用しない。売春婦らが客である場合であってもおかしくないし、薬物(覚せい剤や大麻及び脱法ドラッグの類)のお金でさえもそういう意味では何の違いもないのだ。

始まりは単なる食堂の手伝い勤めから始まっていく。そして馴らし、麻痺させておいてその次のステップへと辿らせていくのであるに決まっている。
 その新町のその店舗のことは、夜の商売や風俗店の店員を長くやっている者なら「新町売春街の入り口から入って直ぐの左手三、四軒目で正面に大きな駐車場を持つゲーム機喫茶」と告げるだけで誰でも知っているほど有名な店である。
そして誰に訊いてもこう答えが返ってくる。
「覚せい剤を一番多く消費するのは売春婦らに決まっている」と。そしてこうも「最初は無料で薬物漬けにする。タダであげるらしい」とも。
更に怖いのは「暴力団絡みだから、警官では『マル暴』も絡み、段々と馴らして行き、手放せなくなった頃に『もっと欲しければ金を稼げ』と体を売らす。そして売春婦として仕立てあげて行く」「そもそもは、普通の女の子、特に女子中学生や高校生あたりの年齢からデリヘル辺りで始めさせられる」という話であるから娘を持つ父親とすれば誰でもゾッとする話である。
ましてやゲーム機喫茶店とはいえ、妻の妹夫婦らが二組も揃ってその売春街の通り内で稼いでいて、しかもその兄には警察官がいることまで揃っているのだからなにも外側の話、別世界の話でもなんでもないことで、よそ様の話では終わらない。
特に今回、浦添警察署の拘留中に他のその筋の者らからも訊いてた詳しい内容には驚かされていて、放っておける話ではない。
 その新町の店舗が本件事件によって明らかに捜査や密偵の追及の手を逃れるために名義変更だけを先行してなされているはずである。
しかもそれは私が警察へは被害届として、検察庁へは告訴をしていたこの数ヶ月の間の動きと見ていいのではないか。あんなに儲かる場所をそう簡単に易々と手放せるわけがない。
手入れで一時期から通りの看板もなくなり、店舗も閉まっているように見えていた。その情報は昨年春頃の報道でも分る。しかし、今度のことで十月と十二月にその店へ行き、まさか娘の未姫がその違法なゲーム機喫茶に居ることはないだろうーとの確認に店内に入って調べてきた。
その店は現在、(昨年十二月の段階で)表玄関入り口からは閉まっていて入れないが、裏口へ回るとなんと朝まで大繁盛である。数年前にも今回同様の出来事が数回あったときに見た店内の様子とその売春街全体の様子は何一つ変わっていなかった。
やはり「手入れ」は見せかけの表向きで一時期という噂は本当で、売春婦らも住所までは移していなくて、裏口からは二十四時間営業状態で稼いでいる。珍しくもなんでもないのは、なにしろその志良堂せいほうの兄は警察官である。そのせいで一切摘発されたことのない違法ゲーム機喫茶店であるということを殆どの男性陣が理解している場所でもある。
そんな男どものために、そんな環境へ娘を染めさせるわけにはいかない。また、妻をそれこそ男尊女卑思想から脱却させなければならない。

 昨年、平成23年(2011年)二月~三月頃までは娘・未姫及び他の子どもたちの頑張りに加えて、私の長年のボランティア活動なども実り、調子も上々であった。
しかし、その一方では、今回の事で分るように様々な暗い影が付きまとっていたことも明らかになってきた。それら今回の裁判を通じて明らかになった事柄を下記に少々列記し、「本村家」の妻・本村弘美がいかに金で、そうとは知らずに左右され惑わされていたのかを浮き彫りにし、今後の事件解決に役立てたい。
一、2009年二月か三月頃、夫の私が妻へ単なる夫婦のけんかについてありもしない「暴力」を振るったとして浦添警察署へ相談したとの記述のある偽装された保護命令申立書の内容の一つは実は誤りで、本当は夫の私が出した自動車の盗難届けに対する浦添警察署による妨害だった。
 つまり、浦添警察署ー妻の妹の志良堂夫婦の兄で警察官による妻への便宜供与ー警察官自らの身内に対する「民事不介入」を盾或いは隠れ蓑にした私「本村家」への私的な切り返しであった。若い警官らと職を通じた「運転免許証も持っていないくせに届けやがって」との子供っぽい動機も重なったのだろう。
自動車が消えていて、妻がそのまま乗り回しているのかどうなのか分らなければ持ち主の私が110番通報して届け出るのは当たり前の話である。それを本末転倒にありもしない夫婦間の「暴力」相談と称して処理をするとはとんでもない話だ。
そのことを今回の第二回目の公判で妻が証言したから分っていいようなものだが、それが無かったら一生その記録で終わってしまっていたことになる。
警察官によるいい加減で侮辱的な事件記録である。当時、市国民健康保険が、市児童家庭課が振り込んだばかりの八万円の子供手当てを違法に差し押さえたことを巡って争いをしてまで取り戻したことと重なり、アドバイスをしてくれた法務局人権擁護課と今度その辺りを調べて、今後の対応についてアドバイスを貰わないとならない。
二、同じく2009年四月頃の夫婦げんかををありもしない「暴力」ということで偽装されている保護命令申立書記述内容にしても上記一、の延長線上での話である。
三、同じく2009年十月頃の夫婦夫婦げんかをありもしない「暴力」と偽装させている保護命令申立て書記述内容でも今回の第二回目の公判で「はい、私も手を出していて(単なる夫婦のけんかの証拠証言)」と妻が証言したからそれはそれで済んでよかった。
しかし、この時も夫婦げんかの主原因は市国民健康保険課の対応と労働金庫の対応が結託されていておかしかった点だったことと、それは市民相談室でも人権擁護課
や浦添市会議員を間に立ててまで問題になっていたことを明らかにしなければならない。
当時、その件で新都心の合同庁舎の金融庁の担当係官を私ども「本村家」と労働金庫との間に立ててまで相談を持ちかけていて、そのことを巡って市と労働金庫から我が家が攻撃されていた時期である。
その時も夫婦揃ってあっちこっちへ相談に出掛けているが、その件も併せて今後追及しなければならない。
四、上記(2009年)の十月頃の件で十一月頃に女性センターへ行ったとされ、その十月五日付けの写真を撮って保管されているとして今回の保護命令申し立て書に添付されているその写真は、娘・未姫が当時小学校五年生で五男・望が小六の頃ということになる。
と、なると、だいたいどのような情況の中で、その中のどの人物・どのお母さんが撮影したかもある程度想定できた。そして時間帯も分ってきた。おそらく早朝薄暗い時間帯か、夕方の薄闇の中で撮られていたであろうことも分ってきた。そして被写体の妻が車内の運転席に座したまま外側から携帯電話機を使って撮られたものだろうということも分ってきた。
そのせいで顔上部半分が暗くなっていて、二十代のころの結核の影響で少し寝不足や疲れが溜まっただけで表れる症状の一つの元々目の周りが黒っぽい妻の目の周りが真っ黒になっている画像となったのだろう。写真を蛍光灯などの光へかざして見れば直ぐにその偽造性が明確になる。そうすると、ハッキリと偽装されている写真だと分る。
鼻筋の通った妻のその鼻筋頂部に黒く色づけされているのが見える。これも分った。
さらにその写真の日付が二つあった。一つは妻が一人で家を出て二ヵ月後の2011年10月というのと、もう一つは三年前の2011年10月というのがある。
その写真が反転されていないとすれば、顔の右側、つまり写真に向かって左側部分の唇と頬辺りが少々ビンタの跡のようにごくわずかだが目を凝らしてじっと見ると分る程度であるが分る。そしてその頬の真上の目の辺りが少々そのビンタの影響と思える薄く黒ずんでいるのも分る。
それらがもし仮に夫の私と妻の間の夫婦げんかの際のビンタの跡とすれば、右利きの私が左手でビンタをした状況のようであることも分ってきた。
そこまで見えてくると、次のことが分ることになるが、その前に一つ押さえておく必要がある。
妻の供述調書や公判での証言、そして保護命令申立て書の記述などは一貫して妻は口の中の傷及び顔の頬の腫れは正直にハッキリと述べているが、目を殴ったとか鼻を殴っただとかとは一言も一切出てこない。
つまり、その反対側の目の周りが黒いことに違和感を持つことに繋がっていくことになる。
なぜならばその向かって右側の目の下の部分にくっきりと二重の小じわラインが白く見え、その目の周りの黒い色が単なる暗がりがかった写真であることが分かり、しかもその上部の頭や額全体が運転席外側のドア枠や屋根に接していてその影の暗がりのせいで鼻から上部が黒くなっているだけであることも分る。
そしてその写真を現像する際、そのことにいち早く気がつくであろう写真現像技術者であれば露光を調節・調整して再度現像をやり直しをするはずである。
しかし、それをせずにわざわざ誤解を招くことを承知で作業を終え提出していることからすれば意図的・作為的にその写真を提出していることも分ってくる。
それらは実は、すべて意図的に妻の顔全面が酷く殴られた跡の酷い写真として偽造して見せていることも分ってきた。
その意図がある者とはいったい誰だろうか?という疑問も新たに湧いてきた。
 もっと恐ろしいのは、鼻の筋をいかに色付けをしているのか?それはもしかして何らかのスクリーンを被せて透写したのか?それとも手作業で作り、移し替えて行ったのか?それらも併せて調べてみる必要がある。これはあくまでも推測だが、実は浦添警察署がそのプリントの段階で何かをしていると見ている。
五、上記の三年前とされる写真を女性センターへ提示させたと見られる同年2009年十一月だが、案の定女性センターへ行っていることが申立て書類を見るとそのとおり提出されている。
その時には浦添警察署へ二月か三月頃に行っていることもすでに分っているのだからその話もその女性センターでは行っているのだろう。
この時も労働金庫及び浦添市市民相談室で宮平国民健康保険課統括と揉めている。また、確かそのようなトラブルについて琉球新報紙の知花亜美記者が取材に来ていたから何か知っているかも知れない。
琉球新報紙の知花亜美記者はその市役所との争いを巡ってきちんと新聞紙上で取り上げていたのだから、その写真等々の偽装・偽造についても何か知っていてもおかしくはないし、またその時は浦添警察署とどのような絡みでその女性センターへ行ったのか?どうなのか?についても何らかの情報を持っていないのかどうなのか?-を。
六、五男・望へちあきか香がありもしない「あんたの父ちゃんがお母さんを拳で殴っていた」と”うそ”を話していることが昨年十一月ごろその望からの情報で分っている。まるで見ていたかのごとく話てたのだろうか?そのような証言内容は一切妻本人の証言台でも供述調書からも見当たらない。
その妻の妹ら二人はいったい何の目的でそのような話をわざわざその当時小学校六年生か中学一年という大切で微妙な時期に”うを”を伝えたのだろうか?
七、次男・眞理の同級生が当時まだ父親の私でさえも知らない売春街新町通り内の違法なものも扱うゲーム機喫茶店の支店である食堂「ふく家(屋)」でアルバイトをしていると、今回不当拘禁された浦添警察署留置所で聞いた。それは妻の介在でしか起こり得ない確率である。
八、三年も前から父親の私の了解もなしにその売春街の支店である食堂へ当時六年生の五男・望を連れまわっていることが裏付けられた。しかもそこまで関わらせていながらその場所や店の名前を子どもの父親へ一切何年間も教えさせない、知らさせないその意味の持つ真相とはいったい何なんだろうか?
九、毎年の習慣として、もう何十年も浦添総合グランド横のその食堂のある通りへは浦添市のてだく祭り、そして娘の陸上の練習、息子たちの練習、三男・自然の高校時代の練習グランドとして使用している。
我が家で唯一の運転免許証保持者である妻は、当然のようにその子どもたちの送迎をその間の十年ほど行っている。となる、そのすぐ隣のその食堂へは夫の私へ一切隠れて出入り繰り返しを強要されていたことになることも分ってきた。
十、元々からその食堂と売春街の違法なものもあるゲーム機喫茶店を家族の長である私へ伏せながら、六人の子どもたちへは知らせ、その兄だいを分かつ目的があったかどうなのか?そのような疑問も浮かんでくる。それの指示は照子の指図なのか、それとも男供の指図なのかどうなのか?
十一、妻の妹の香の男が十年以上も前から一緒に暮らしていること。なのにどうして秘密にしておかなければならないのか?どうしてきちんと入籍をしていないのか?
十二、これだけの内容を書いているうちになぜか、昨年8月13日放送直前に届いたNBC長崎放送ディレクター関口達夫からの現金書留でのギャラが一万円という僅かな金額だったことで、妻が酷くショックを露にしていたのを思い出した。
十三、上記問題の全てが、私自身が自動車の運転免許証を普通に他の家のご主人同様に所持していたとすれば一切起こり得ない問題であることに気付いた。私が自動車の運転免許証を持っていればすでに上記の問題の全てを自分自身の目での確認を済ませていたことであろう距離の場所で行われていたことだった。
そうすると、考え方が反転してくる。
つまり、親戚関係でありながら何とか情報提供だけでも便宜供与してでも、妻の夫である私へその車社会の沖縄の社会人として必須条件が欠落している運転免許証をなんとかして取らせようとすることなどを一向に行わなかった妻の妹の夫の兄で警察官の姿が余計に気にかかる。
なぜなら、その妻の親類の警察官は今回のことでそれほどまでに身内間の便宜供与を行うことができるのなら、どうして身内でもある私への便宜を図ろうとしなかったのだろうか?
聞けば、運転免許証再取得の裏ルートというのが警察がらみで間違いなく存在するというのになぜそれを薦めようともしなかったのだろうか?もう十五年以上も前から親戚関係にあるというのに。
ーすると、ありもしない「お酒」絡みの「暴力」であったなどとの決着の落としどころへ持ってゆきたい思惑は実は、そのような身内であっても自動車運転免許証を持たない私への便宜供与を行わなかった言い訳を私の妻やその他の親類に対しても、職を通じる警察官同士へも繰り返していたのではないか?
さらに、これもまた在りもしない「自動車運転免許を便宜したとしても飲酒運転の恐れがある」などとの”うそ”を現在でも繰り返しているのかもしれない。
つまり、お酒のせいで運転免許証を取らさない、という表向きの筋を通しひたすら警察関係者の保身の道を歩む、との思惑が透けて見えてくる。 
十四、今回の事件は妻・本村弘美と警察官との一致点について考えるきっかけをあたえられた。
そこで以下のような「共存共栄」しているかどうかも考えてみることにした。
①偽造写真:妻個人としてならば共存共栄する。
②運転免許:妻個人としてならば共存共栄する。
しかし、妻が娘や息子を伴っている限りはそれは「共存共栄」出来ない。
十五、今回新たに気付いたことというのはその他にも多くある。それが人間というものなのだろう。留置所に四ヶ月居たことで分ったことが山ほどある。
返す返すも、留置所でさえもそれだけのことが分ったのだから、もし仮にその間留置所の外側の世界に居たとすればどれだけのことが前へ進んだことだろうか。
写真でいえば、昨年10月27日に保護命令申立てをさせられた段階で妻はそのプリント写真が偽装され、添付されていたなどとは承知していなかったのだろう。
☆印拘置所から上記を書いた後にこうメッセージした:「未姫、望、公平、自然、眞理、安聡、そして弘美、どうしてい面会に来れないのか。元気か?おやじ」2012年・平成24年4月5日、拘置所内から、おやじ

 前年から収録が進み、ほぼ編集も終えたNBC長崎放送の関口からはその後ちらり、ちらりとだけ裏取りの電話連絡があった、、、。

 フクシマ原発事故発生の二週間ほど前(平成23年2月二十七日)。
それまでは自営家業の金城本村リフォーム設計では営業上でも上り調子を維持していた。
 インターネット上では沖縄の水道水の問題を顧客へ提供しながらその一方、更に、那覇市の教職員組合の分科会研究会のような存在の「語る会」で五十年ほど前のビキニ核実験実態や、それにまつわるその当時の死の灰が琉球列島へもたらしたであろう被害内容などについて仮説を打ち立てたりしていた。
 かつては全国一の長寿県が今や七十歳未満の世代では全国一の早世・短命に急になり、深刻な状態に陥っている点について議論を重ねたりした。
 今や全国を上回る不妊症夫婦の割合だったり、極めつけは未熟児・低出生体重児の多い割合が第二位の青森県を一ポイント以上も引き離してのダントツ全国一であるなどという背景にはその15年も続いた米軍によるビキニ環礁での核実験の際におおくの死の灰の混じった天水を当時の琉球列島の我々が多く飲み続けたり、その放射能雨そのものを体全体に付着させたまま数日間も洗い流すことをせずそのまま床に付くなどと、内部被ばくの予防が情報源を巧みに制限されたため出来なかったであろう当時の琉球沖縄住民の健康問題について深刻な議論も続けていた。
当然ながら、そのビキニ環礁での核実験の死の灰後の枯葉剤散布によるダイオキシン国管理六ダム汚染問題。そして現在の鉛水道管が溶け出す問題を抱える水道水や環境問題などについて議論を繰り返していた。
 自営家業での訪問販売では信用が第一であるため、相手客側が安心して話を聞いてくれなければまったくアウトである。
話を聞いて貰うためにはそれなりの有益な情報提供が必要でもある。当然ながらそれら一連の流れは無償で行わなければならない。

 妻と二人で営業周りをしながら様々な地域密着型の社会貢献をする必要があることは照子は十分承知していたようである。
だからその当時問題になっていた名護市幸地川や世富慶川でのヒ素騒動、住宅敷地内の水道メーター周りに現在でもいまだに存在する鉛水道管の問題であったり例のビキニ問題、、、つづく 2012年5月7日 無党派無宗教無団体 本村安彦

以下つづけることとする:
例のビキニ問題以前に既に明らかにされていた米軍による枯葉剤散布訓練の際に含まれていたダイオキシンの影響で、そのダム周辺小動物の奇形問題などを分りやすくしたチラシなども配布したりしていた。
その事がどれだけ深刻で重要な問題であるかを説明するため、その前年の2010年10月に行われた県庁前広場での、山口さんなどによる名古屋COP10に向けた展示会の様子などのチラシも当然配っていた。
 その後も照子からすれば孫にあたる「本村家」の子どもたちの活躍の報告も含めて時間があるときは通うようになっていた。
 そして翌年の年始早々から始まった市広報に掲載された娘と妻の写真入り記事のコピー。更にには三月十一に起こったフクシマ原発事故によって、偶然にも照子に使ってもらっている台所用逆浸透膜浄水器が実は、日本国内では唯一放射能まで除去できる台所用浄水器であることにも言及したりして喜ばせたこともあった。
 ーそんな中、昨年2011年のその春に六番目の娘・未姫が小学校六ヵ年間皆勤賞受賞での卒業を果たしたことで、上の五人の兄と合わせて兄だい六人全員達成となり、奇跡的記録ということで新聞にhttp://ryukyushimpo.jp/news/storyid-175672-storytopic-7.html掲載された。(2011年・平成23年4月4日付琉球新報紙社会面)
 しかし一方、その当時といえば宜野湾市真栄原売春街新町への一斉摘発の影響で、そのようないい状況の「本村家」とは正反対の状況であったということになっていたのだろうか。今思い返してみれば思い当たる節も多々あることはあるように思えてならない。
 -「本村家」の自営家業に陰りが訪れたのはおよそその一ヶ月後だった。
その間、娘・未姫が五月二十日。市民会議賞(健全育成賞)を代表受賞。
同日、自宅の家主不動産である沖縄商会・沖商不動産から「和解しません。出て行ってください」との意味の那覇地方裁判所和解案による総額およそ八十万円一括支払い期限日でもあった。(この時期、NBC長崎放送では私が出演することになる「封印された核」番組が五月二十九日深夜から翌三十日かけ放送ーとの予定が水面下では決まっていたのだろうが、私のほうへの知らせは一切なかった。しかし、八月十三日にTBS「報道特集」で報道する中で、長崎放送の関口達夫は「外務省はその本村さんの指摘する核施設を調べようとしない」との趣旨の発言をしていることからすると、この時点で外務省が何らかのメッセージを沖縄県警へ送っていた可能性も考えられないではない)
三日後、五月二十三日。インターネット上でhttp://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3566420.html先の二月二十七日に打ち出した仮設を掲載しhttp://jp.mc1008.mail.yahoo.co.jp/mc/welcome?.rand=f3gndcvtk5716&noFlush&YY=1619734396#_pg=showMessage&sMid=1721&&filterBy=&midIndex=21&mid=1_1323874_AMD52MsAAJBnTWn1qAC26nqMS9U&lastCount=1725&m=1_1319438_AL752MsAANksTWqeegkRz17Se%2BA,1_1320318_ALz52MsAAUPbTWqdcwjZJVi4xaQ,1_1321076_AMj52MsAAGTSTWqZZAtV2H6cIAE,1_1321974_ALr52MsAASbZTWqYbw5mpV%2BVG1c,1_1322789_AMj52MsAARBxTWovzQrLUUeBa1w,1_1323874_AMD52MsAAJBnTWn1qAC26nqMS9U,1_1325045_AMH52MsAAPG3TWi1oAjzmWJMvpM,1_1325882_ALz52MsAAXJITWh5pQMnzCWwUb4,1_1326938_AMH52MsAAKc0TWhmsgLPAzqtybk,&sort=date&order=down&startMid=1700&pSize=25&hash=7f2eb70003ca64cd8b2d078e0415ef40&.jsrand=6278755
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翌日、五月二十四日早朝。浦添警察署による突然の結局でっち上げで終わった家宅捜索が違法になされる。
ーそして、本件事件へと繋がってゆく。(この時点、五月二十日の娘・未姫の市民会議賞受賞式写真付き新聞記事掲載を沖縄タイムス紙が四日後の五月二十八日に行うことを検討中と言うことになる。その一方、琉球新報紙はその報道を見送っていたということになる。また、この時点ではNBC長崎放送が五月二十九日深夜から三十日未明に放送することになる「封印された核」が、TBS全国ネットで八月十三日に放送されることが水面下では進められていたことにもなる。)
 五月二十八日朝刊。沖縄タイムス紙社会面に娘・未姫の市民会議賞代表受賞の写真が掲載される。
 2011年・平成23年八月二十一日夕方から翌日二十二日。照子が「亡くなった」-と。そして、「来ないでよ」-と、前日病院で浦添警察署の豊里警察官が私や家族に対して刑法230条の名誉毀損及び、同胞231条の侮辱罪を犯してまで「本村家」から娘を分断させ、妻と娘だけをその病院へ残し、その他の五人の本村家の兄だいら家族を追い払うという暴挙を行った。、、、つづく 2012年5月8日 無党派無宗教無団体 本村安彦

以下つづけることとする:
 五月二十八日沖縄タイムス紙社会面に娘・未姫の市民会議賞代表受賞の写真が沖縄タイムス紙に掲載され、 2011年・平成23年八月二十一日夕方から翌日二十二日に照子が亡くなったその間、妻は八月四日に一人家出した。
そしてその八日後の八月十二日に娘が拉致誘拐された。
 浦添警察署の豊里警察官が「本村家」を病院から追い払う暴挙を行ったことで錯乱していた妻・本村弘美へ電話をかけ、その後早く家へ帰って来なさいと娘とその妻を呼び戻すつもりの私からの電話に対し、「亡くなった」-と。そして、「来ないでよ」-と、その一言だけ言い残して妻は電話を切った。
 照子からすれば「やーすーは何処?」-との言葉を最後に、初孫の愛(いつみ)の直ぐ下の弟で初の男子孫である私と妻の間にできた長男の安聡(やすとし)に対する言葉を最後に、照子の人生は終わったことになっていた。
それはまた、TBS報「報道特集」に出演している画像の私を娘が拉致誘拐された翌日の八月十三日に見終えて数日後でもあった。

『沖縄の女性史』昭和五十四年版。著者 宮城永昌・発行 沖縄タイムス社~から以下抜粋引用しながら、それを土台にした私個人としての歴史認識を織り交ぜ、故・照子や妻・本村弘美ら彼女たち沖縄の女たちが持ち、精神に内在する新旧二つの魂について歴史を通じて照らし合わせながら本件事件の解決を試みてみたいと思う。
平成二十四年四月五日、那覇拘置所内にて 本村安彦
(97ページ)
「4・女性の社会的・法律的地位」
序章(略)
 沖縄のそれは、日本の歴史がちょうど室町。そして九州が島津の時代である。
 近世社会階級の確立
 沖縄の社会的階級は、尚真王の時代に確立された。
(一四七七~一五二六在位)琉球列島は、一万二千年ほど前から興り始めた琉球文明を誇っていた。しかしその痕跡はそれまでも地理的に水没を繰り返していたことが原因で失われたことが海底考古学の研究進展でこの二十年かなりのことが分ってきている。
世界的にもあのエジプト文明よりおよそ八千年も古く、中国の文明よりも更に古い文明が実はこの琉球列島には存在していたという。
 日本列島でいえば貝塚時代にはすでに琉球には巨大な文明が存在していて、その一万年後の今からおよそ二千年前の日本がまだまだ古墳時代と呼ばれる時代、すでに琉球列島各地にはグスクと呼ばれるほどの多くのお城を備え持つ姿が出来上がっていた、との科学的根拠が示されてもいる。(琉球大学教授の木村正昭氏らの炭素年代測定法で)
その事は、飛鳥、奈良、平安の時代という日本列島での時代よりも遥かに古い時代の歴史には此処琉球列島にはすでに武士の時代がおとずれていて、遥かな古の時代には武力による戦というものの本質を十分過去のものとすることができていたということをも物語っている。
 エジプトや中国文明を遥かにしのぐ琉球文明の歴史を裏付ける海底遺跡。そして古墳や飛鳥時代からすでに存在していたとう琉球列島各地に存在するグスク遺構から浮かびあがってくる琉球列島各地で興っていた群雄割拠の時代。
それからおよそ千三百年後。
一三七二年。それまでの今帰仁グスク・浦添グスク・大里グスクを中心とした琉球列島三軍(三山)の時代からひとり抜きん出てきたのが浦添グスク。いわゆる中山王の察度である。
察度は他の軍勢を抑え、一足先に中国の明と交易。そして更に、察度は日本列島の室町や鎌倉といった幕府よりもはるかに早い時代に国際社会へと躍り出ている。
そしてそれに続けとばかりに同じ琉球列島の他の南山・大里、北山・今帰仁らもいち早く国際社会へと飛び出すのである。当時、攻め入る隙を狙う島津軍を横目で睨みつけながら。
一四〇六年。尚巴志(佐敷)が浦添城を攻め落とし、その後首里城に拠点を構える。当時最もな外的関係の島津軍と戦いながら。その十年後の
一四一六年。尚巴志は今帰仁城も攻め落とし、更に十三年後の
一四二九年。その尚巴志は三山、いわゆる全琉球三十六島とまではいかないが一応の統一を成し遂げて首里城を拠点とする「琉球王国」を誕生させている。
以後、その尚王統は一六〇九年までの百八十年後になって初めて徳川幕府をバックにした島津軍勢の侵略を許すまでひたすらに戦い続け、勝ち続けることになる。
 その一四二九年は、そのような歴史の中での琉球の社会階級が成立された尚真王の時代の一四七七年まで残り僅か四十八年だった。
 この時代、第一尚氏王統が一四六九(文明元)に絶え、尚円による第二尚氏王統が始まった。この王統は前代から日本・明そして朝鮮との交通に加えて、南洋貿易を盛んにし、政治・経済・社会などの面で、琉球沖縄の黄金時代を築いた。
 先島を完全な統治下においたのもこのときであり、また政治組織・社会組織と並んで一四六九年完成の、尚円の王女日清が初めて使命をされたおなり神である聞得大君(きこえおおきみ)を長とする神女組織の中の神女がおかえ=役人化したのも、このころからであるーと、文献によると記されているようである。
そして、以下の薩摩の政教分離政策を読んでいるうち、薩摩侵攻を許してしまったであろう尚家の姿も私なりに浮かび上がってきた。
 その時代(一四六九年)すでに神女組織を確立していた琉球古来のそれまでの百四十年間。神女組織としてまではゆかずとも存続し続けていた古の母権制・母系性社会という流れを汲む組織。、、、つづく 2012年5月8日 無党派無宗教無団体 本村安彦

以下つづけることとする:
「神女などの地位を宗教世界に限定しようとしても、政治への接触を止めることは困難であった」ことがこの文献からはよく分ることから、おそらくそれなりのバランス感覚としての役割がその神女組織にはあったであろうことを容易に想像させる。
いわゆるその神女組織の存在のおかげでそれまでの「琉球沖縄における祭政一致の体制はなかなか崩れなかった」とのことのことのようである。
 「一六〇九年(慶長一四)の侵略で琉球沖縄を支配するようになった薩摩は、その体制を喜ばなかった」ともある。そして「薩摩の専制支配をおこなう上には、国王の守り神となり村落結合の中心となって、社会規範の主役とまでなっている神女たちは邪魔であった」ともある。
「そのために占領後琉球沖縄に与えた掟十五条中の一条に、「女房衆え知行遣はさるまじきことと規定」したともある。
ーそしてその掟を破った者の扱いについてはおそらく、女性といえども男性政治犯同様、今でいえば「消す」との表現なのだろう。その個人のあらゆる情報を抹殺。具体的には通信(郵便)まで違法に支配・入手していたのだろう。
そして当時「知行すなわち俸禄を受ける女性といえばほとんどが聞得大君以下の神女関係者であった」とのことなのだから当然ながら王女といえども長である聞得大君をも或る程度罰していたのであろうことは想像にそう難しい話ではない。
更に、「薩摩は彼女たちの収入を取り上げることによってその地位を低くし、宗教の持つ勢力を弱めようとしたのであった(略)」ーということなので、殺害が伴うのが戦なのだから当然ながら婦女子への多くのレイプも横行したであろうことは言うまでもなかろう。
ーこれは当たり前の想像だと思うが、女性の政治関与を取り締まるにあたり、「収入を取り上げる」との表現があるが、取り上げるというよりもむしろ、逆にお金をレイプや専制支配の手法・代償として「これは誰にも言わないで」とのニュアンスで神女による政治関与を抑え込むための金銭や物を陰で与えることによって、徐々にその神女が属する組織を離反させていったのではないか。
そしてそのような神女を増やすことによって、薩摩の掟に従わない女性に対しては収入を取り上げ続け困らせ、最後には何とか金銭や物を受け取らせることによってその「隠し事」を繰り返えさせながら組織そのものを破綻させていったのではないか。
そうなると、ほとんどの女性は与えられてしか生きてゆけないようになり、お金さえ手に入ればいいとの、まるで動物のように社会性を喪失し、主体的に生きてゆこうとする自己意識すらも失い、とうとう「人間性」そのものでさえも消し去られてしまうようになっていったのではないか。ーいわゆる究極的には”いじめ”の被害者のように無気力に陥っていってしまっていったのではないだろうか。
そのような私の勝手な想像の表現は筆者・宮城の引用、「伊波普猷は、『琉球史上における武力と魔術との考察』の論文で、『琉球沖縄の神道は、三六島の統一でその使命を全うした。その上、島津氏の支配によって琉球沖縄が奴隷の境遇に沈んだが、それが却って尚家の地位を安固にしたので、民族的宗教はますます手持ち無沙汰になり、神女たちはしだいに政治の方面から駆逐されて・・・邪道へ走ってしまった・・・(略)男子は儒教や仏教の・・・で迷信を脱することができ・・・』」ーなどとのの部分が私の脳裏を最も強く影響した結果の次第である。
ーおそらく伊波普猷のいう「奴隷」とは、上記でも触れた「人間」的な道徳のことだったのだろうと考えられる。
 つまり、琉球王国が一つの家庭と置き換えて考えると分り易くなるように、例えて女房または妻でもある(この場合神女)一家の主婦に対して薩摩とは政治上で敵対する一家の主・夫に隠れて手にする自由のための手段の源の一つである金銭や物を「得した」と思わせるかどうかの戦いに矮小化してしまっていいたのではないか。
それで、神女の本来の使命である村落人民の結合や社会規範の主役という重大な役割は二の次へと押しやられてしまった、と考えられる。
 伊波普猷の本の一部の論文からの私見ではあるが、一国の王家のことをそのように一家庭に仮定してみた場合、それこそ伊波と同じ男性である私の同位目線からはまさに奴隷の境遇そのものである。
そのことを伊波普猷は「邪道へ走ってしまった」と表現しているのだろう。そのせいで村落も国も一体化する術を失い、国は破綻する一方。尚家という一家族は薩摩と和睦し、結びついて政という重大な今でいう政治という民族統合をもそっちのけで安固になっていった、という現代でいう”いじめ”的出来事が発端となっていたことが事の真相ではないか。
 ーこのことは、事実は別としてかつての米軍被占領後の琉球沖縄の三条貴族と呼ばれた経済界トップのつわものらが苦渋に満ちた位置に置かれた境遇と、復帰前の沖縄女性教職員組合員を中心とする庶民感覚とがダブっているようでもある印象を持った。
 そのような、王家と庶民の”いじめ”的分断の跡を現すことの一つに、ヤガマヤ(毛遊しび)慣習を挙げることができるのではないか。
つまり国が国でなくなる。家族が家族でなくなる。家庭が家庭でなくなる。そうなると各々の村落内で防衛本能が働き各島・各地域社会で小さな政治が行われるようになっていったのではないか。
ーそして、当時の琉球沖縄の人々とすれば最低限度の自由を得るために必要な「金」と「名誉」と「権力」のうち(この場合主婦)、最低限保持できたであろう「金銭」でしかなかったのではないか。そうなると金銭でしか自由を手にすることができない境遇であったことは間違いないのだから、この場合やむをえなかったのではないか。
ーそうなる前に何とかくい止めなければならなかっただろうに、、、。それができないぐらい多勢に無勢だったのだろう。仏教や儒教を根源とする日本的思想背景を持つ島津による侵略がもたらした男尊女卑思想という封建的社会が、琉球沖縄の古来の母権制社会を喰っていってしまったのではないか。
それこそ目に見えないほどの大きな力の部分という巨大な、、、つづく 2012年5月9日 無党派無宗教無団体 本村安彦

以下つづけることとする:
 分断され、やむを得ず一個人として活動しなければならなくなったかつては神女組織の一員でもあった彼女たちからすれば、たかだか島津・薩摩といえども、とてつもなく大きく、その全体像が目に見えないほどの力の部分・織田信長や豊臣秀吉という時代の幕藩体制を持つ背景をバックにした徳川幕府という巨大なものに黙って押し潰されていったのだろうか?
そして琉球沖縄の村落の人々はそれをあえて忘れてしまうことで薩摩支配のもたらす非人間的で不道徳という、不当な力にせめて屈してしまわないよう、自らの存在をうやむやにしてしまうことにもややもするとなりかねないヤガマヤという文化を一か八かつくりあげていったのだろうか?ー仮にそうなると、もしやカチャーシーもそれと同類であったとするのかもしれないということにもなりかねないが、、、?
 そのことはおよそ三百年後の謝花昇の時代辺りや、当山久三及び新垣弓太郎の時代ぐらいまでは士族の道徳観と庶民の道徳観とでは明確に分かれていたことが分ることと何らかの因果関係があるやもしれない鍵を握るのか?
 筆者・宮城はそのことを「『・・・男子は儒教によって迷信を脱することができたため、民族宗教を政治以外に放遂することができた』と、伊波普猷は述べておられる」と表現することでそれらを言い放ちたかったのであろうか、、、。そしてその元凶は実は尚家が島津・薩摩と和睦したことで始まった、と言いたかったのだろうか?
自己意識や主体性というものと、社会性や自立というものを当時の琉球沖縄の社会の男女を通して分断していったのだろうか?
ーであれば、一六〇九年の薩摩の侵略の根底にある占領する者の本質とは”レイプ”であること。そして、その占領地の女性を思い通りにさせつづけようとする尚家の内なる統治作用へ抗う民族の姿という世界中のそのような歴史との整合性がとれることになる。
 また、各々の庶民個人の立場上、抗うこと自体不可能で、抑圧を掛け続ける薩摩や王家の下では自立してゆけない社会環境や境遇の者の集団らは、いかように必死に自己意識と主体性を持って生きてゆくかというテーマを解決するための最後の手段として自らが出来うる村落単位社会をせめてそのように構築していったのであろうか?
 狭くても男女が現実に存在し、子どもが新たに生まれてくるし、年老いた者は死んでゆく。そして病の者へは養生を施さなければならない人間としての最低限度の地域社会、又は家族・家庭というものが必要不可欠なのだから。
 抗い続けた者たちの墓が太平洋の島々に散在しているというとある大学の研究チームによって事実調査が済んでいるが、一六〇九年から今日まで四〇三年。幾人が、幾組の家族が「救国」のため抗い続けて散っていったのだろうか。新たな報告がわれら民衆議会ではひたすらではあるが待たれる。

「・・・(略)その一方、固有的な宗教はその後も社会的規範維持の支えとしつつ、男性は政治意識の高まりが迷信打破の有力な武器となったのである。(一部省略)」ーなどともあるように、ーその後はおそらく、庶民は庶民なりに、武家社会は武家社会なりに各々の道徳観念を備え持つようになっていったのだろう。
その状態はおそらく一八七九年のサンシー事件まで続いていくことに繋がっていくのではないか。、、、つづく 2012年5月10日 無党派無宗教無団体 本村安彦

以下つづけることとする:
 その後も明治維新を越え、サンシー事件以前から確実に受け継がれ継承された士族階級間での一般的道徳観念と、その間にも古から長く続けられた庶民階級での村落人民の結合の中心となり社会規範維持の主役を担い続けた神女らの果たした一般的道徳観念との一種独特な琉球沖縄社会での融合は、やがては”父性”や”母性”といった「人間」を育てるため根源的な各々の家庭内教育術として完成させていったのではないか。
その経過として、筆者・宮城は「・・・(略)その一方、固有的な宗教はその後も社会的規範維持の支えとしつつ、男性は政治意識の高まりが迷信打破の有力な武器となったのである。(一部省略)」との記述の後、こう続けている。
「・・・(略)そのことは、神女の持つ神権的な政治に代わって、意思的な政治が琉球沖縄に訪れたことも意味していた。しかし、為政者たちは、神女が政治に干渉しない範囲内で国や村落の人民結合の中核になり、社会規範の主役になることまでは否定しなかった。(略)」ーと。
 その点について、私が思うに、薩摩はむしろ逆利用する目的で支援したのではないかと考えられる。
例えば、専制支配に向けた薩摩の敷いた掟十五条の中で、神女組織へ課した政治不介入政策によって、現代でいう「民事不介入」原則のようなものの原点だったのではないかと考えられる。
または、今でもなかなか果たせない「政教分離」の必要性の始まりだったのではないかとも考えている。
 つまり、一四六九年完成の聞得大君を長とする神女組織の神女がおかえ=役人化していたということは、現代で言う公務員である。その百四十年続いていた琉球王国の公務員を合法的に支配するにはそれなりの段階を踏む必要があったのではないかということである。
そう仮定してみた場合、侵略を果たした薩摩は先ず真っ先に、日本仏教や日本神道を元にした社会規範に則った占領政策の掟十五条の一条に「女房衆え知行遣はさるまじきこと」と、現代でいう「民事不介入」=「警察」=「政治」に干渉させない範囲内で国や村落の人民結合の中核になり、社会規範の主役になることを支援・逆利用していったということになったのではないか。
具体的には、例えば、国、村落で人民同士が政治論争をする。
その際、神女が止めに入るのである。
理由は、その中には必ずといって百パーセントの確立で民族宗教である火の神を守る女房が存在するからということになるのだからがんじがらめであったといえる。
そうやって付け込み、掟違反としてその情報を提供させ、報酬として裏金を貰うよう奨励していったのではないか。
それが、いまでいう警察裏金=情報屋=アングラマネー化していったのではないか。
 そして、それを嫌う神女らは、志として、政治へも干渉しながらその役割を果たし続けて行ったのではないかと考えられる。
その代わり、その取り上げられた収入または報酬をいかに補っていったかについては、おそらく現代で言う「訪問販売」の原型のようなことを発生させていたのではないかと考えられる。
「社会関係資本」という村落内外での「信用」や「信頼」を武器に、人々から報酬を得、それを暮らしの糧とするなりわいとして成立させていったのではないか。
だからこそ、一種独特な琉球沖縄社会での”父性”や”母性”といった「人間」を育てるため根源的な各々の家庭内教育術として完成させることが出来たのではないか。
そしてそのことは運よく、先の一四六九年に、尚円の王女日清によって三六島の神道統一が半ば強制的に行われる以前の数千年も前から続いていた琉球沖縄元来のニライカナイ思想やイチャリバチョーデー精神を培った神道の姿へ回帰することへと繋がって行き、現代一般にまで受け継がれ残されてきたのではないか。
 一方、アングラマネーへも、元来の民族的宗教へも、どちらへも属さないような神女たちは(この場合普通の主婦)は、中間的な道を歩みだしていって、ヤガマヤ文化やカチャーシー文化などを生み出すことで、負け犬にならないよう、生きて存在を示していったのではないかと考えられる。
それを分りやすく分類すると、以下のような三派に分類できるのではないか。
仮説を立ててみた。
一、権力の情報屋になり下がった一部の神女。
二、ニライカナイ思想やイチャリバチョーデー精神という民族宗教を活用することで「社会関係資本」という訪問販売を完成させ、志を全うする神女グループ。
三、上記いずれのグループにも属さない普通の主婦で、割とおとなしい神女グループ。

 女性の社会的地位

「同階級における男女の身分差の甚だしさは、日本社会と同じだった。(略)・・・かつて母系社会を築いていた女性の社会的地位が低落したのは、・・・(略)・・・と、それに儒教や仏教、そしてキリスト教などの道徳ならびに宗教の男尊女卑思想が、女性の地位の低下に拍車をかけた。」
「ことに日本の近世社会では、男女の位置そのものが封建的秩序を維持するための身分差すなわち主従の関係とみられ、女性はもっぱら女大学流のしつけを受けた。男性に無条件でかしずくものこそ、貞淑な女性であった。」
「琉球沖縄では仏教の影響はそれほどでなかったが、儒教は士族階級以上の階級へはかなりの影響を与えた。しかし、百姓の女たちは特別な思想的拘束を受けず、本来の人間的性格の上で、男女の関係を保つことができた。」
「その点で琉球沖縄の一般女性は、貧しくとも自由であったともいえよう。(略)」
 ーこのことは、明治から大正、そして昭和に掛けての日本社会と琉球沖縄社会の違いを現している様々な事例や現象、そして文献を見れば明らかである。
また、戦後の米軍占領期を経た後々の社会現象や、一九八0年代という近年における沖縄返還後の日本社会と沖縄社会の違いを例える諸現象でも露になっているのは間違いないことは論を待たない。
 
 刑事無能力者

 「一七八六年(天明六)編集した琉球科律一八三一年(天保二=尚育四)科律の追加法典として成立した新集科律一八六0年(万延元=尚泰一三)民衆に読み聞かせて刑法の知識をあたえ、犯罪を予防する目的で編集した法条などによると、女性は完全な刑事能力者ではない一方、時には財物と同視されさえされた。」
「女性に重い刑を負わさないのは、単に女は弱い存在であったからだ。」
 ーつまり、琉球沖縄の特殊事情である母権性や母系性社会を形成した神女の「村落の人民統合の中核となって、社会規範維持の主役」という役割や立場を支援している官の側の都合も併せて琉球沖縄社会の刑事罰の扱いを見ないと見誤りかねない、といういうことである。
要するに神女=現在でいう警察の交番・警察への情報提供者であったという視点を忘れてはならないということである。
それらのことについて、筆者・宮城は「女性はいつも貞節を守り、廉恥を重んじて男性に服従さえしておれば、罪を犯すことが無いという男尊女卑思想が、女性を刑事上の制限能力者にしてしまっていたのである。」
「あくまでも男性の都合のよい立場から女性の法律的地位を規定しているに過ぎない。」-と、琉球沖縄とはまったく違った日本人の女性に対する考え方そのものをばっさりと切り捨てている。
 
 「地震 雷 火事 親父」の原点

 「法律上十五歳以下の女子を幼少をみなすことは男子とて同じであったが、成人については、男女間にいろいろの差異があった。」
「例えば、名例律によると、家族が共謀して罪を犯した場合、たとえ女子が張本人であっても、その中の尊長(自分から見て本宗の叔父父母以上と兄弟)の男一人を処罰することになっている。それは女子は何ごとも男子の計画通りに動くものであったからである。」

 「夫唱婦随」の必要性

 ー例えば、妻・本村弘美が罪を何らかの犯した場合でも、その妻・本村弘美の兄だい姉妹の子どもたちのすべての責任を、夫でその中の尊長にあたる私・本村安彦は処罰されることにもなるーと、なって、普段からそうならないような指導や言動、そして目配りを自然に行うようになる。
 ーそれに対して理解が至らないならば、口やかましく思われても仕方が無い。
 そのように思われることをも織り込み済みで口やかましく指導する夫、又は父親の私が家庭内道徳教育責任者として「うそをついてはいけない」と当たり前に「夫唱婦随」で頑なに教育指導することに対して、「気に入らない。普通の手段ではなかなか崩せない」ーとの理由だけで単なる夫婦げんかまたはいさいかいをわざと酷く見せるために写真に撮り、偽装・偽造までしてわざわざ何年間も残しておく。
その間、ありもしない「暴力」を、その偽造写真を使い、更にその偽造写真を保護命令申し立てを強要させる際のプリント段階でも黒く偽装・偽造して提示することをもってして、さも「暴力」を行ったこととすることを妻・本村弘美本人とその親類・友人知人、最後にはその家族へも遠まわしに脅しながら同意を脅迫・強要。
しかも三年も前の自分以外の他の家族の崩壊に繋がることにもなりかねない偽造写真。それをわざわざ日付までその示す度ごとの日付にすり替える偽造まで行っている。
 狙いの、「その時このように物凄い『暴力』が行われた」-ものと写真を見る者を思い込ませるためと、それによって他の事件を偽造したことをも隠ぺいする目的(平成二十三年(2011年)五月二十四日付、家宅捜索の令状を取ってまで我が家へ家宅捜索に入った浦添警察署。その後起訴できなかった面子を補う目的まで兼ねようとしたのか、その写真を意図的に黒く着色プリントまでして酷い写真へと仕立て上げられている)で妻・本村弘美に書かせた、或いは聞き取りしたテープ録音からその保護命令申し立て書へ記載させる内容を抜粋。
意図的に作られた文章に仕立て上げ、保護命令の審査をスムーズに通過させる目的が達せられることをも狙っていた。
その証拠にその文章内容も、写真もすべて三年以上も以前のもので、いずれもその保護命令申し立て法第十二条第一項第二号でいうところの要件である「申し立て時の情況」に合致していない。
そのことを那覇地方裁判所での審尋でも指摘したがその写真の真偽を十分審査することもなく棄却された。そしてその四十分後、福岡高等裁判所に対する即時抗告でもその写真の偽装・偽造性が無視され、後日棄却された。
 更にはその福岡高等裁判所決定の数日後、昨年十一月中旬、その経緯でもってその上訴裁判所である最高裁判所に対する特別抗告を行った私の異議申し立てに対しても最高裁判所は一ヶ月と10日後の今年一月二十五日、最高裁判所第二小法廷審査の結果として、保護命令申し立て法第十二条第一項第二号でいうところの要件である「申し立て時の情況」に合致していない、というような法令違反の主張であることは認めるものの、民事事件に対する最高裁判所管轄要件の「憲法違反」とまではいえない、との回答を出している。(調書(決定)、事件の表示:平成23年(ク)第1192号。決定日:平成24年1月25日。裁判所:最高裁判所第二小法廷。裁判長裁判官:古田祐紀、裁判官:竹内行夫、須藤正彦、千葉勝美。当事者:抗告人:本村安彦、相手方:本村弘美。現裁判の表示:福岡高等裁判所那覇支部平成23年(ラ)第55号(平成23年11月10日決定)。裁判官全員一致の意見で、次のおとり決定。第1、主文:1本件抗告を棄却する。2抗告費用は抗告人の負担とする。第2、理由:民事事件について特別抗告をすることが許されるのは、民訴法336条1項所定の場合に限られるところ、本件抗告理由は、違憲をいうが、その実質は原決定の単なる法令違反を主張するものであって、同項に規定する事由に該当しない。平成24年1月25日、最高裁判所第二小法廷、裁判所書記官 古澤秀行印、これは正本である。同日同庁裁判所書記官古澤秀行印)
 つまり、平成23年11月10日をもって決定をされた保護命令は、最高裁判所への特別抗告によって、翌年平成24年1月25日の最高裁決定を待つまで決定はしたものの確定はせず。
その間の今年一月一日、元旦午前2時30分ごろに違法・不当逮捕された私の身柄は不当に拘禁され続けていた、ということを裏付けている。
それは、法第十五条第五項規定の「保護命令は執行力を有しない」に反する浦添警察署による不当逮捕ということになる。
だから、逮捕時に逮捕状が無かったのはもちろんのこと、警告すらも無かった上、逮捕の要件も何も一切持っていない豊里警官・嘉数警官・義保警官ら三名・浦添警察署が、その違法性の発覚を恐れ、携帯電話で県警♯9110番などの相談室へ相談しかけた無抵抗の私の口封じのため、問答無用とばかりに背後から無言で手を取り、手錠を掛け無理やり逮捕・監禁目的でコンクリートの階段踏み板へ顔面を押し付け、側面・眉間の皮がズリ剥け血が滴り落ちろほどの怪我と、前歯をへし折るなどの暴行を加えた後、浦添署留置所に連行したということである。
 その数分後、その不当逮捕監禁・不当拘禁事件をもみ消し、警官・警察の正当性をでっち上げるため、家の中にいた僅か十四歳の私の五男・望を違法・強制的に脅迫・連れ出し、浦添警察署にて刑事訴訟法第197条1項に反する脅迫供述強要を行っている。


 話は保護命令申し立て書内容に戻ることとする。
また、平成二十一年二月か三月頃、ありもしない夫の「暴力」相談で浦添警察署へ行ったと記載されている部分についても、去った三月一日第二回公判で妻・本村弘美自身が自らの証言で「それは違います。その時は夫の車を自分が勝手に持ち出し、その事を夫に何も告げづに家を出ていたので、夫が浦添警察署か県警の110番へ電話をかけたからその時に見つかって調べられて話したときのことです」ーと証言している。
だから、その保護命令申し立て書にある内容は誤りであり、「夫の暴力の相談に行った」との内容が間違っている事を認めているということになり、それも事実に反することである。
その時に妻が身元引受人として呼んだ妻のすぐ下の妹である志良堂ちあきと、その夫の志良堂せいほうの兄で警察官のでっち上げがその記録内容として残されているのでしょう。
それこそ完全な身内警察官による職を通じた悪意の便宜供与でしょう。
 それに、偽造された写真の日付を改ざんしているため、ありもしないもっと酷い「暴力」を振るっていると思わせる目的で、妻へその部分だけ間が抜けた文章として第三者が半ば強制的に書かせていることが私には一目で見抜くことができた内容もある。
 一つは、妻が何の辞書も用いずに直接的にいきなり書き込み使用できないような難しい漢字の活用の件。それは、一度ワープロかパソコンで書き取った文章をマークアップして、再度妻へ示し、更に妻がそれを手書きで写し代えている作業であることがこの三十年余り伴にそのような作業や、著書まで二人で作成し、製本までしていたりと、同様の作業をしてきた私には直ぐに分った、というものである。
なにしろ妻と私の本業の仕事はまさにそのような作業を三十年毎日行ってきた設計事務所なのだから確証をもって言えるのである。
 それと、「実家の玄関で、娘を連れ去ろうとする夫の私と実母がもみ合いになりその場で倒れ救急車で運ばれましたが、その2日後に意識の戻らないまま亡くなりました。」ーとある。
ーこれは、その他の文章もそうだが、その事実を知らない者がその文章を書く段階で間に介在しない限り起こり得ない間違いであることがはっきりと分る内容が明らかになっている。
その文章を見た一目で、「これは偽装だ」ーと分った。
私は、その時その妻の母親とは一切揉めていない。
揉みあいなどしていない。
その事実を知らない者がこれを書かせてある証拠である。
なにしろ、その妻の母親が倒れたとき、私は後ろ向きで座っていて、その座っている私の後ろでその妻の母親は倒れたのである。
その時は一切その妻の母親の体へ触れていない。
私はテーブルを前にしてベランダ側を向いてそのベランダ側に立っている妻と娘へ向かって説教をしていた。(その前に子どもたちへ電話をかけて呼び寄せることで照子と合意してあって、その子どもたちを待ちながらの状態である)
すると、後ろでドンと音がして、目の前の妻と娘が目を丸くして大きな声を出して驚いていて、その目線が私の斜め後ろを指していたことから、私も振り向き後ろを見たところ、照子が膝を付き、倒れて仰向けに(頭を玄関側に向けて)倒れかける瞬間だった。
それはその後に病院で取られた妻と娘、そして私の三人がまったく別々の場所で取られた供述調書でも一致してそうなっている。

 妻の言うその保護命令に書いてある「玄関から入って来て、、、揉みあい、、、云々」の話は、私が座って二人(妻と娘に向いて)説教をする五分から十分ぐらいの前の段階での話である。
 それは、保護命令申立てがなされるはるか数ヶ月前の昨年八月二十日。玄関から入って、娘の手を引っ張って連れて帰ろうとする私と妻の母親や妻というよりも、その娘の手を妻とその妻の母親の照子が無理やり掴まえていたのであって、私が何か妻や照子と揉みあいになったことになっているようだが、そんなことなど一切無い。
指一本照子にに触れていない。
それなのに、その申し立て書ではまるで私と妻の母親の照子が揉みあい、その場で倒れてそのまま病院へ運ばれ、、、云々となっている。
これはその現場に居た妻が自分の意思では絶対に書けない部分である。
逆に言えば、その現場を知らない者の指示・指図がなかったら書けない文章になっている。
なにしろ、その照子が倒れた瞬間の現場にはもう一人、娘が妻と一緒に並んで目の前(私の側の部屋)で見ているのだから直ぐにその文章が間違いと分る内容である。
誰かが、妻の書いた文章をマークアップして再度妻へ書かせている。
 そのような偽造・偽装までして私の口封じがしたかったようである。
逮捕されたその元旦に、私を不当に待ち構えて逮捕しようとしていた妻の妹・金城香の男ー志良堂の兄で警察官ー浦添警察署ー豊里警官ーその他の一味。
そしてその妻へ保護命令申し立て書を書かせた者が、誰かからその報酬を貰っているのか?
 お金といえば、今から六、七年前。突然「家賃が五、六ヶ月分溜まっていますよ。奥さんから聞いていないんですか?」と唐突に言われたことがある。
家主の不動産屋の沖商不動産の担当者の知念からである。
それまでは100パーセント全ての財布を預けていて、任せていた妻がその少し前辺りからお金に関して変だったことで、いさかいをした矢先のその不動産屋からの初めての私に対する突然の督促の電話だった。
その後、妻の了解の下、家計等々に関する財布を完全に夫の私が自分自身で見るようになったのが二、三年かけてだから2008年(平成二十年)頃だった。
以来、妻は僅かなお金でも持っていない。
だから、今回のそのような弁護士への費用であるとか、報酬であるとかを支払えない。よって、そのような費用を賄える者自体が意識的にそうしてお金で持って恩を着せ、妻と娘を脅迫している可能性を疑わざるを得ない。
その者へ、妻に代わって支払った者が存在するということになるのが自然の流れである。それらの要素を総合すると、妻の意思でその保護命令申し立て書が書かれてもいないし、申し立てられてもいないことが分る。

 此処で突然話は宮城の著書「女性の社会的地位」に戻るが、その女性に対する一五0年前当時の法条では更にこのような内容もあることも紹介している。
 例えば、「婦人が強窃盗の手引きをし、自分の家を謀議や贓品配分の場所に提供したとき、在宅中の夫や男の子たちがその情犯を知っていたならば、それらに、代罪を科し、婦人は処罰しないことになっていた。」
ーという例も挙げられる。以上、平成二十四年、四月七日、本村安彦。(那覇拘置支所内にて)
 以下に、上記の例を今回の事件に照らし合わせてみることにする。
 ー例えば、妻・本村弘美が三年ほど前からすでに夫の私に隠れて、自営家業の仕事の際、運転免許証を持っていない夫の私が客先で話中とか何らかの会議であるとかで車が要らないこととなっていた時などの時。手持ち無沙汰になった運転手役の妻が何処かへ何かを行いに出掛けていたとかという場合も上記例に該当することになる。
 ーこれは昨年八月十九日の出来事で、そのおよそ二ヶ月後になって初めて保護命令申立てをするが、その八月の出来事の一ヵ月後の九月頃に五男の望から聴かされて初めて知った事実の中の一つに、三年も何年も前から夫の私に隠れて妻は食堂のキッチンなどのアルバイトをしていることが新たにわかったことがある。
私が自動車の運転免許証を持っていない事で、妻の妹の志良堂ちあきの夫やもう一人の妹の金城香の男らとすれば、私の妻・本村弘美を自分たちの店でアルバイトをさせたとしても、夫の私はどうせ徒歩なのだから見付かることはないだろうと、三年も、何年も前から隠れてそれをやっていたーと五男・望が教えてくれ、突然驚かされている。
 驚いたというのは、妻と二人で自営家業の「金城本村リフォーム設計」という妻の旧姓まで頭に冠して付けた社名のあるとおり、もう何十年も前から共同経営の妻の運転手役が条件の仕事を続けてはいるものの、この二十年で二十回はそうやって原因不明のまま四、五日間も放棄・遺棄させられていたからだった。
つまり、蓋を開けてみると、大変な背信・背任行為を妻へさせようとキッチンのアルバイトの報酬という僅かなお金で妻をそそのかし誘い、夫と自らの子どもたち六人をも持つ妻自身の家族を裏切らせていたーというになるのだから大変な犯罪行為である。
それを妻の自己責任とさせられたら我が家はいったいどうなるというんだろう。
 妻自ら、自らのなりわい自営事業も家族も、しかも数日間・何十年にも亘り遺棄・放棄させ、損失を出させる一方、身内だけでまかなう自らの店舗ではその長女とういう有益な労働力の利益を生みだす。
自らの売春街新町の店も、西原の店も、そして浦添市内の食堂「ふく屋(家)」という支店も稼ぐ。しかも、違法な売春婦を相手に違法なものもあるゲーム機喫茶店で、売春婦らがその体を張った財布を開くのを待ち構え狙って。
売春婦らが稼いでくるお金を目当てにした店舗からの稼ぎで賄う経営者から妻が夫の私に内緒で金銭を得ていることまで、現在中学生二年生になった五男の望が小学校四、五年生の時から知っていて、その情犯まで中学二年生になった現在は知ってしまっている。
ーそれに対して、十五歳を超える頃になる今年の八月の誕生日辺りには代罪を科せるーということになり、その経営者らは自らの犯罪を僅か十四歳の望にすり替えたことになりはしまいか?
そしてそのことに対してその男供の妻らも贖罪すらしないのだろうか?
平成二十四年四月七日、本村安彦。(那覇拘置支所内にて)
 、、、しかしそれにしても大変な事であることを彼らは知っているのだろうか?
そのことをもし仮に、その現在十四歳の望。更にはその上の四人の兄ら。中でも直ぐ上の四男・公平十七歳、三男・自然十九歳、そして今年二十二歳になる次男・眞理や、もう二十七歳を超えている長男の安聡ら皆一人でも承知している者だとすれば、彼らすべて十五歳を超えていた時点での婦女子の犯罪ということになり、そのような代罪を彼ら男子へ科さなければならない、ということになることを。
 ーその事は、「人身売買行為の場合も同様であった」-との内容にもなっている。
 そして、「だからといって、男子側が自分の子や・孫の妻や妾をだまし売ることができるのではなく、自分の妾や子孫の妻をだまし売る者は所払い三百日(子孫の妾は二等減の二百日)、自分の妻をだまし売る者は一世流にした」-とある。
 ー話は戻るが、五男の望が今十四歳であるから今はとがめられない、との話の続きをしよう。
 大晦日の翌日で不当逮捕された当日の元旦。当然のこととして、昨年八月四日に妻を追い込んで家出までさせ家族や家業を遺棄・放棄させ他所で働かせ、その八日後の十二日には娘まで拉致・誘拐した真犯人が誰で、その後追及の手を逃れんと偽造写真や偽造文書まで作らせてまで保護命令を申立てさせ通過させ、それまでの親子八人の人生を破綻させようとするどころか、それ以降の家族の八人の人生の全てを奪い去ろうとした者が誰なのかを聞かなければならなかった。
何しろそのような長年に亘る行為が実はすべて母親でもある妻自分自身の意思だとしたら万が一。私たち家族の中での完全なる背信・背任行為であるからだ。
 仮にそうであってもなくっても、それは家族全員で話し合わなければならない。そのことで親子八人家族全員がどれほど苦しんだことか知れない。
当然なこととして最後には許しあうのだが、例えそれが悲惨な結果を知ることに繋がったとしても事実を知ることは、これから先に子どもたちの人生にとってとても大事なことで、生きてゆく必須条件でもある。
 しかし、その日は望を責める訳にもいかず、その他の事でも未だに十三歳の娘をも責める訳にもゆかないのだから妻を責め、自分を責めなければならなかったのは当然だった。
 それまでは保護命令に対する用心のためのせいで出来ずじまいのままになっていた。仕方がないのでその大晦日の前日の三十日まで仕事で動き回り家に帰ってからは、扶養の義務を果たす事の繰り返しをする傍ら、三男の自然へ妻と娘宛の手紙を持たせていた。
娘を誘拐までさせられた元はといえばそのような妻で母親の「”うそ”隠し」が重なったからである。仮にそれがいくら僅かなお金で左右されてしまっていたこととはいえ、そのような普段の姿勢や心構えが、すきが妻の心の中にあったから付け込まれ、五男・望の部活での「”うそ”隠し」にまで繋がっていったのだから。
 妻本人は、その事などを指摘され、大声で怒鳴られるであろうことを単に恐れているのであって何も保護命令要件の身体的・生命の危険を感じるものでもなんでもない。
妻は、その事で「謝罪」ぐらいはないといけないんじゃないか?親としては当然のことじゃないか?ーなどと私に言われるであろう事から保護命令をいいことに言い逃れをしようとしている面も十分にある。三十年一緒に暮らしているのだからよく分る。
だからといって、ただそれだけのことで真犯人である食堂「ふく屋(家)」の真の経営者で売春街新町のゲーム機喫茶も経営している志良堂せいほう兄弟と、金城香の男及びそのせいほうの兄で警察官と結びつく職を通じる一部の悪徳警察官に繋がってゆく情報を隠し通しているとも思わない。
只、単に知らないだけである。気付かないだけである。
 妻へは、「人間万事塞翁馬」と言う夫の私を信じてすべてを明らかにして貰いたいし、そうすべきだと伝えたいと常に行動をしている。当然ながらこれから先の人生のほうが長い娘・未姫や望そして公平ら兄たちのためにも。

 ここでまたかつての「女性の社会的地位」に戻るが、、、。
「刑の執行についても、女性には死刑は別にして正科を科さないのを原則にした。(略)、、、牢込めにせず、親類預けにした。」
そして「その外、女性特有の生理現象に属する妊娠・出産などについても特別の考慮が払われた。」
更に「これら女子を優遇する根底にあるものは、やはり刑事上の制限能力者であるということであった」ーなどともある。
ーこのような専門的知識のある者が今回の事件の背景・影には存在することが分ることで、志良堂せいほうの兄の警察官やその職を通じる悪徳警察官。そして具体的には弁護士や故・照子の関係者などの存在なしには考えられない、と踏んでいる。
 つまり機関的には、妻・本村弘美と、娘・未姫の名を借り、その名義を隠れみのにさえしていればその間は自らも、そして妻・本村弘美が罪に問われることがないことを熟知している者らー女性センター、警察、弁護士、法テラス、法務局人権擁護課、その他児童相談所などということになる。
だからこそ、その職を通じている売春街新町の店と関連性のある妻の妹の志良堂ちあきの夫の兄で警察官が浮かび上がってくるのである。
 これまでの経緯を振り返ってみると、保護命令は実は申し立てさせられ、書かされた内容である事の一部を「違う」と妻が証言台で証言してからは、次々と警察官を義理の兄に持つ妹のちあきを介したであろう便宜供与が浮かぶようになってきている。

 「女性を財物視した例としては、妻妾や子どもを借財のかたにすることがあげられる。」
「この場合、貸主が妻妾を強引に引き取るときには貸主を罰したが、借主に返済のみちがないために、妻妾をかたにすることを願い出たときには引き取られた。」
「夫や父親から見て、妻妾や子は財物と同じであった。」ーとあるが、これを読んだとき、とある話を耳にしたことを思い出していた。
、、、ーそれは、浦添市仲間の石川ヨシさん(九十歳前後)がとっさに、「いなぐわらびぇー うちういんちさがやー」と、昨年、娘が拉致・誘拐された直後の八月と九月頃に相談した際に実際にヨシさんがうちなーぐちで言葉にしていたことからも分るように、昔の風習と、それに対する法条や刑罰が現実にあって、しかも今現在も行われかねないことを示唆していることに対する懸念から恐怖を覚えさせられた。
そのことは、そう遠くない時代にはそのように実際に妻や娘を借金のかたにされていた、ということを物語ってもいた。
 昨年妻を初めてその食堂で見付けた時、(八月十九日)その売春街新町の支店の浦添の食堂で妻が働かされていたのも、実は娘の未姫を伴なう条件付の借金のかたとして拉致・誘拐をさせられていた目に遭っていたという事も考えられることから、今日、今現在も心配でたまらない。
 特にその不法逮捕された元旦は、娘の安否情報入手はもちろんのことということどころか娘の身を案じることすら浦添警察署は阻止していた。
当然ながら、未熟な若い警察官らがそのような成熟した親の複雑な気持ちについて分る訳がなかったことは否めない。
その大晦日のその時までもその不安はづーと付きまとい続けていて、それを堪えながら過ごしているのだから、浦添警察署と検察官ら、彼らがでっち上げているような作文のようにそう易々と保護命令違反という危険を冒す理由がなかった。
三月二十七日、那覇地方裁判所法廷の第三回公判の証言台に立った五男・望の口から実は、私が四ヶ月も不当拘禁されていたことは若い警察官らのでっち上げが元であったことの証拠・証言を果たした。今日は元気で居るだろうか?
なんとその若い警官らは私を違法逮捕直後、自らの保身のため母親の下にいた僅か十四歳のその五男・望を拉致・浦添警察署へ連行・監禁し、脅迫していたという事実がその法廷で発覚した。







 ・・・夫婦間の量刑上の差の一例

 「一家の内部でも、夫や夫の祖父母は名分恩義が重い。」
「妻がその非分を訴えられない。」
「犯したものは倫理上、寺入五百日に処した。」
「夫側がそれをやると無罪であった。(略)」ーというほどの差があった、-とある。
 更に「近世社会は親類のための報復が認められ、犯人との和睦は許されなかった。」ー古い時代の琉球沖縄社会がその通りであったであろうことは容易に分る。
それで、「夫が殺されたとき、妻が下手人と和睦した場合には流刑一0年に処された。」
「その反対の場合には、寺入り七0日で夫婦間の地位の懸隔がひどかった。」
 ーしかしこの例えはあくまでも薩摩支配下で行われた科律なのであって、彼ら日本人の持つ儒教や仏教の影響を受けた男尊女卑思想の及ぶ士族以上の封建社会に通用したのであろう。
必ずしも古来の母権制・母系性社会が神女などの力によって維持されていた琉球沖縄の農家などの一般的な琉球沖縄の庶民感覚であったとは言い切れないのではないか。
 私が思うに、母権制だからといってまったく夫と妻の位置が逆転まではしなくとも、同律の科料が科されたのではないだろうかと考えられる。
 ーこれは先日、三月二十七日、三男の自然と、五男・望が本件事件第三回公判で証言した背景として仮にでも二人が意識的に事実に反して不当逮捕までした浦添警察署の豊里警察官をかばう、または警察署が有利になる”うそ”の証言をしたとしたら、十九歳である三男・自然は多少の責任がその和睦になり伴なうことになるということになる。
なぜなら、その三ヶ月間の間、自分の父親を不当に逮捕した者ともその他の者及び、その背景に存在する志良堂兄だいなど、その兄だいの兄で警察官と職を通じた浦添警察署関係者らと和睦したことになるからだ。
そして、五男の望についてはまだ十四歳という少年なので、いかに犯人らと和睦していたとしてもその罪は母親や父親である両親へ向かわざるを得ないという理屈になるのだろうか。
 ーそして妻・本村弘美はまたしてもそこで名義上罪を被ってしまう事になる。だから事件の解決をするためにはその背景を解決しなければならないということに結論付けられる。そうしない限り、子や妻を正しく導くために責め続けなければならなくなるなるのだから。
もしそうなると、一時的にではあっても不幸な家族に陥ることとなるということになるのだろうが、より良い希望に満ちた未来への道を六人の子どもたちに開かするためには当然の過渡期の出来事として考えていいのではないか。
ーそしてそれよりもなによりも、その背景さえ解決できれば、幸せになれるというチャンスが訪れるということでもあることに希望を傾けるのが父親の取るべき道ではないか。
ーそういう道理で行動しなければならない。

 罵詈罪(ばりざい)について

 「罵詈は社会的非礼であり、喧嘩打撲の基になるので、罵詈律で禁止されていた。とくに貞淑でなければならない女子にとって悪口は絶対に慎むべきものとされていた。」との記述について。
 ー昨年、平成二十三年五月二十四日早朝、浦添警察署に家宅捜索に入られたとき、妻・本村弘美は一切、夫の私・本村安彦の罵詈をすることはなかった。
その頃急上昇中の「本村家」に対する妻の妹の夫・志良堂せいほうの兄で警察官ルートやその職を通じた権力による弾圧であった。
 その事も知らない妻が罵詈をする理由がなかった。
警察署は私の名誉を潰して私たち「本村家」の影響力の力を弱めようとした。 
平成二十四年四月七日、本村安彦(那覇拘置支所内にて)

 ここで、来る第四回目の公判(四月一0日)に合わせて提出した『誤解を解く』でも書いたその「平和基盤の共有」という章の続きを以下に続ける。
 一九九七年以来「本村家」が続けている”いじめ”予防策としての家族結束方法。
今日もラジオからは北朝鮮の危険性報道が流れていた。
まさにその原点の環境下に今の沖縄が強いられている中で、このことを論じる意義はさておき、その特別でもなんでもない普通の家庭教育について語ることにする。
 私たち夫婦は六人の子の両親として互いに、父性と母性のバランスを整えながら、子どもたちの成長に合わせながらそのバランス感覚を駆使しています。
 しかしながら、片方だけがそのバランスの大切さを声高に叫ぼうが、その必要性が理解できないことをいかに乗り越えてゆくか、という段階を毎日繰り返して行かざるを得ないことをこれから先もひたすら続けて行かなければならないことについてはその『誤解を解く』の「平和基盤の共有」でも論じている。
 それが憲法十九条の良心の自由を貫くことであることも論じている。
 そうすることが、毎日のようにアドバイスやレクチャーをすることすなわち、妻・本村弘美の個人の尊厳を尊重することであることも論じた。
 琉球沖縄という特殊な地域社会環境では、ややもすると、現実ではない環境をさも現実の環境と思わされてしまう擬似環境の現実環境化というバーチャルてきな場面の場合が現実にあることも論じた。
そしてその「現実環境」という現実の平和基盤上で生きて行ける強い子たちを育て上げよう、と結束してきたことも語っている。
その詳しい内容についてはその章をご覧いただきたい。
 また、その他、沖縄返還をした当時の総理大臣の佐藤栄作首相がどのような日本人的思想を背景にして「教育権分離返還」や、「核抜き本土並み」という理外の理を駆使した処世術をもってしてわれら琉球沖縄の人々願いを裏切っていったかということについても六人の我が子どもたちが分って貰ったらそれで十分だ、とも考えている。

 さて、我が母校の浦添市立仲西中学校で行われた立会い演説会の時代へ戻って、この四月中学三年生になる五男・望へのはなむけとしよう。
 ちょうどその時代は私が中学三年生だったという偶然も手伝いをしてくれている。
 これもまた不思議なことだがなんと今日、四月八日は当時の琉球沖縄の総意であったあの米国との「教育権分離」返還構想が当時の総理大臣・佐藤栄作首相によって打ち消された日と同じ日でもある。(一九七一年四月八日)、、、那覇拘置支所内にて 父・本村安彦
 五男の望へ届け!!

 当時、中学三年生(浦添市立仲西中学校)
 一九六八年(昭和四十三年)十一月二十一日に初の琉球政府行政主席選挙が行われた。
前年(一九六七年十一月十五日)に佐藤ージョンソン会談が行われた関係で、その沖縄返還合意をめぐる対応型戦となった、と手許の資料・元新聞記者 比嘉康文著「『沖縄独立』の系譜」にある。以下史実はそれに沿って記し、加えて私の持論を当事者・現地の中学校三年生としての立場で加筆もした。
 その時立候補した一人の人物のことを五男・望へ伝えたい。後学のために。
 その人物とは当時「立候補で時の人となる」や、「一石を投じた」と言われた人物のことだ。
その人物は「口では自立経済を求めながら、なぜ独立を異端視し、そして怖がるのか」-と主張。
 一九六八年十一月三日午後0時半。私の母校の仲西中学校に三千人の聴衆を集めた立会演説会。
その人物は立会演説会のくじ運もよく一番くじを引き、
「金が主体なのが現在の選挙だ。公権力で政治は行われている。主席へ権力を集中させてはならない。当局が手加減する。(拍手)市町村も同じ。本選挙は政策で争うべきだが、現実は有能だからではなく金があったからなったのだ(笑)そういう意味で選挙は公営にすべきだ。高級公務員の不正が見られるが、規律の強化策を実施する必要がある。(拍手)」(翌日、一九六八年十一月四日付琉球新報紙朝刊)
 その人物の政見発表へは、「復帰すればすべての矛盾が解決するという復帰賛美の声に警鐘を鳴らしたもので、住民らが自ら真剣に考えずに復帰一辺倒に流れている世相にもっと理性的に判断することを求めた」-とのジャーナリスト評が付されてもいる。
 また、当時成田空港では「この戦いは日本国民として沖縄県民の基本的権利である『即時無条件全面返還か』『差別と屈辱の歴史の固定化か』の戦いであります」と述べる演説や、「アメリカ支配に『ノー』という意味意志を表示する・・・絶好の機会だと強調している」などの声が飛び交ったようだった、とも紹介している。
 そしてこのような演説もあったことをも紹介している:
「施政権返還するために沖縄と本土の一体化をはかりたい。とにかく国政参加は復帰につながる。決して現状を固定化するものではない」。
 望へ。
今ちょうど「今日は佐藤首相が沖縄の(教育権分離返還ではなくて)一括返還を発表した日です」と那覇拘置支所の独房のラジオ放送から流れていた。
2012年(平成二十四年四月八日、那覇拘置支所内にて 父・本村安彦
   

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2011年12月07日

うらがねと警察

詳細はブログ→http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3824783.htmlをご覧ください
「概略」報告と説明
             様 
 しばらくの間、訪問での御挨拶が遅れておりましたので以下、その理由の報告説明をいたします。
平成23年12月5日 金城本村リフォーム設計 代表 本村安彦 電話098-876-5538番 
 ご承知のように金城本村リフォーム設計代表者の本村安彦は訪問販売の営業活動を通じ、この18年間、無党派無宗教無団体という庶民の立場で様々な沖縄社会の問題をボランティア活動の一環として提起し、自由に議論して頂きながら皆様のご協力の下、多くの沖縄社会の問題を解決してきました。これからもよろしくお願いいたします。
しかし、残念ながら去る5月24日以降から、その金城本村リフォーム設計の特色であるそのような社会貢献がまったくもって行えないようになりました。今日はその報告と説明をいたします。
 ものの本によると、弾圧(だんあつ)とは、権力を濫用(らんよう)し与える加害行為で、権力者側による弾圧を組織的弾圧と呼ぶこともある。または、おさえつけること。特に、支配者が権力を行使して反対勢力の活動を抑圧すること。「言論を―する」などとありますとおり、今まさにその弾圧によってこの金城本村リフォーム設計の言論ボランティア活動が現在のところ行えません。
事の成り行き:
※2011平成22年11月21日。
これは大した関係はないとは思うが、しかし一応はこの記事に付け加えておく。
「このトンネルが出来、ヒ素混じりの地下水が大量に川へ流れる」との情報を聞きつけ、2010/11/21 17:42:20にインターネット上で当時、小生は名護市の幸地川や世富慶で出た”ヒ素”騒動をしきりに名護市役所や北部国道事務所へ調査を依頼していた。→http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3250815.htmlこれは当時のブログのURLです。ご覧ください。

※2011年2月27日。以下の仮説をインターネット上とチラシ配布で発表する。
先ず今日現在沖縄の健康状況から:
1、1946年以降生まれ世代の全国1早世・早死にの問題。いわゆるつい最近まで長寿日本1の沖縄が現在は26位に下がり、数年すれば47番目の最下位に向かう最大の原因である70歳未満世代の早世・早死にが男性全国1で、女性も5位の高さ。男女合わせると全国1の早世・早死にという問題。
2、全国平均不妊症カップルの割合が10組に1組なのに、なぜ沖縄では7組に1組と多いのかという問題。
3、低出生体重児・未熟児(1500グラム以上2500グラム以下)が生まれる率が全国1高い沖縄。全国2番目に多い青森県でさえ9パーセント台(10人中0.9人がその未熟児が生まれる)なのに、全国1の沖縄ではなんと11パーセントを超える(10人中1・1人がその未熟児が生まれる)問題。低出生体重児や超低出生体重児は幼少時期からかなりの成人病・生活習慣病のリスクを背負って誕生するそうです。だから問題なのです。
仮説第一回目:
1、の原因その1、1946年から始まったビキニ環礁での核実験。終了する15年後の1962年までに米国などによっておよそ合計70回行われた。よって、約70回もの核実験による放射性物質を含む放射能雨が琉球列島へ15年余連日のように降り注ぎ続けた。
米軍の核実験時の放射能雨の情報を握りつぶした当の米軍の米軍基地は慌てて水道を敷いた一方、その間の琉球列島の住民約80パーセントは琉球気象台の情報を操作された関係でなんの疑いも無く天水を利用していた。特に当時生まれたばかりの頃の年代の者、いわゆる現在70歳の者は 満15歳になるまでづ~とその放射性物質を含む天水を毎日摂取していただろうから全国1の早世・早死にの短命になっている。
1、の原因その2、上記に加えて1960年代のベトナムで使用された枯葉剤に混入していたダイオキシン散布の問題も重なった。つまり、1962年にビキニ環礁での原爆の実験が終わった頃の1960年代初頭から後半にかけて沖縄本島北部の米軍北部訓練場内でダイオキシンを含む枯葉剤が散布実験・訓練として散布し ていた問題。その地域には実は、その1960年代後半から1970年代にかけて敷かれた水道本管のうち沖縄県民の60パーセントが利用する水道水の水がめのダムが五つも出来るのである。
2007年に暴露されるまでまったく知る由もない県民はその水道水を飲み続けるわけだが、特にその現在70歳未満の者は原爆の放射能雨から連続していることから被害が多く、全国1早世・早死にになるのは当然の結果と言える。
1、の原因その3、戦後沖縄の教育行政で現れている通り、特殊教育対象児童の急激な増加時期とビキニ環礁との因果関係性の問題。戦後の沖縄で盲ろう学校という特殊教育が始まった1951の盲対象児童がほんの10人(全体では32人)で、その4年後の1955年にはその盲対象児童がなんと132人にも上り 、更にそれから7~9年後の1962年から64年に流行した風疹(三日はしか)が原因と認定され新たに生まれた374人もの特殊教育対象児童(内339人は難聴児童)らの主原因とされる妊婦母体の出産当時年齢が17歳~27歳という現在70歳未満の早世・早死に年齢という問題。つまり、放射性物質で免疫力も衰え、弱り きった世代が妊娠をし、風疹(三日はしか)に侵され、全国総数でも僅か1,000人しか対象児童のいないその時期の特殊教育対象児童をたったの1県・沖縄だけで374人も一挙に出産することに繋がったのではないのか。当然の結果として、この年代の沖縄での健康診断時で「必ず病院へ行くこと」として持たされる有所見率 は全国1である。
2、の原因その1、上記65歳未満の年代の健康問題を考えると、ちょうど彼等の子ども世代が現在の不妊症で悩む世代となっている。
母体への汚染が仮に放射性物質などであった場合、時系列からいって当たり前と言えば当たり前の結果だろう。1、の原因上記のような原因であれば。
あえてここで特筆するなら、後々の70~80年台には県民の60パーセントが飲料水として利用することとなる5つもの水がめが建設されるその土壌、森林や水辺へ、当時もその場所が米軍の北部訓練場ということで1960年代のベトナム戦争当時から長年に亘りダイオキシンを含む枯葉剤を散布実験・訓練していたこととの因果関係だろう。
3、の原因その1、問題の70歳未満の年代からすれば丁度母体や父親がその息子や娘世代で、低出生体重児・未熟児がその孫に当たる問題。
 参考資料:2007年に発覚した五つも県民の水がめであるダムが存在する北部米軍訓練区域内のそのダム周辺に米軍がダイオキシンを含む枯葉剤を長年に亘り散布。(2007年7月9日付沖縄タイムス紙夕刊一面及び同日付琉球新報紙夕刊一面)これはお願いですから皆さん是非図書館へ行って下さい。
 さらにもうひとつ沖縄の県民すべての世代にとって見過ごすことができないかなり深刻な事件がある。 1954年の米国政府によるビキニ環礁での水爆実験の際に被爆した沖縄のマグロ漁船のマグロは一匹も棄てられた記録がないこと。また、実験直後から日本への放射能汚染への懸念が全国的に広がったが、沖縄では当初は米軍による調査で、検査値の結果も明らかになっていない実情があること。そして、当時の県内は80パーセントが天水の利用だったが、実験の後、米軍基地は急いで水道を敷いたこと。加えて、実験の後県民の相当な人が(放射能物質を含む可能性があった)天水を飲んだのではないか」との研究報告から、沖縄は当事も米軍占領下だったことから、実験国が支配していた状況で、本土と対応が違い沖縄の米軍基地内と外との対応の差別的違いが明らかになった調査結果。(2010年11月22日付琉球新 報紙22ページから)
 ※2011年3月3日(木)。沖縄では本村安彦仮説から始まった沖縄タイムス紙スクープ↓
沖縄タイムス紙一面「ビキニ死の灰沖縄に」「死の灰嘉手納で本土の2倍」「54年水爆実験後米が観測」「人体の影響専門家調査へ」。社会面「何も知らず被ばくか」「沖縄に死の灰」「米統治下情報奪われ」「近海の船員早世相次ぐ」
※2011年3月11日。フクシマ原子力発電所から放射能が漏れる。
※2011年4月4日。琉球新報紙、本村家、きょうだい6人皆勤賞 港川小2011年4月4日 きょうだい全員小学校皆勤賞を達成した本村家の(左から)五男望君、三男自然さん、末っ子未姫さん、次男眞理さん、四男公平君=3月29日、浦添市港川http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-175672-storytopic-7.html
 【浦添】浦添市の港川小学校を今春卒業した本村未姫さん(12)が皆勤賞で表彰された。未姫さんは6人きょうだいの末っ子で、きょうだい全員が同小を1日も休まず卒業。兄たちは中学校も皆勤賞を取り、未姫さんは「兄ちゃんたちがやってきたことで当たり前だと思ってきた。港川中学校の3年間も頑張りたい」と語り、父安彦さん(57)は「共働きで一人一人にゆっくり付き添うことができない中、自分たちの力で頑張ってくれた」と子どもたちの成長を喜んでいる。

  ※4月5日(4月8報道)。フクシマの放射能が沖縄で観測される。      
 ※4月24日。沖縄電力も原子力発電を7年前から研究問題が新聞で発覚。
 ※5月23日。夕方、インターネット掲示板   http://groups.yahoo.co.jp/group/ml_ryukyu_400130/  上で、今回のフクシマ現地の放射能雨の汚染量より、かつてのビキニ環礁での核実験による放射能雨が琉球列島に降り注いだ当時の琉球気象台の記録、17万カウントのほうがかなり凄い放射能汚染量であることを伝え、公表し警鐘を鳴らす。
 ※5月24日。浦添警察署生活安全課による人通りの多い時間帯での、沖縄の核貯蔵庫撤去市民運動歴17年間の主人の個人的な市民運動に対するこれ見よがし的な妻と二人だけの零細自営家業の個人自宅への突然の家宅捜索。そしてその後の2ヶ月に亘るも数回だけの取調べなどの長期嫌がらせによって商売上の信用が顧客との間でぐらつき、以来、この約半年収入が20分の1に激減した。  
 信用が第一の商売。とうぜんながら自営家業の商売が危うくなる。すると売り上げが上がらなくなることで金銭的にお父さんやお母さんを圧迫し、家計や商売がうまくいかなくなり出します。そして、その被害行為が長引くと当然に精神的にも圧迫され続けることになる。そうなると、当然ながら家庭内では多少の混乱が予想されます。
★11月に入ってまもなく、上記のその零細自営家業の我が家へなぜ浦添警察署が別件をでっち上げてまで家宅捜索までして深く入り込んで来たかが分かる情報が飛び込んで来た。
★一つ目はこの↓妻への手紙の内容につづってある:

以下↓は24日自然(しぜん・三男)に持たせた手書きの手紙と同じ内容だけど、ワープロだと読みやすいだろうから、こんどこそ返事をくれないか?


それと、これを未姫(みき・長女)にも見せるといい。きっとおやじの手書きの手紙は読めなかっただろうから。おやじ

弘美へ
平成23年11月24日おやじ
 
 金は大丈夫か?
 弘美、これは○○○さん→△△→おやじが聞いた話だけど。
 10月に△△からtelがあって、用件を聞くと○○の○○○さんから「水の出が悪い。前と同じ症状だから」−との事だった。
実際にみてみたら、まったく以前と同じだった。
 作業中と作業が終わって今度の浦添警察署の汚さを話したら聞いてくれた。(「ん?奥さんは?」という話もあって)

どうも当山小学校横の××××と数年前にもめた事も絡んで複合的に入り組んでいるみたいーとの話だった。

 すると、○○さんは「浦添警察署の生活安全課なら以前から知り合いが居るから早速その裏側を調べてみる」−との事だった。
(○○さんは、知っていた。××が元警察官で、その当山小学校横の××××××所はゴロツキ刑事がゴロゴロしているのを)

 その翌々日に電話をかけたら○○に出掛けていて携帯電話が繋がらなくて話を聞けないままいたら、丁度○○の○○○○が同乗してくれていたからその足で△△の事務所まで行った。

△△とは2,3日前から(11月21日月曜日から)△△が保身に転じていてあまり信用できなくなってしまっているが、その日の頃はまだ割りと親身になって我が家の事を心配していた。

△△が言うには「○○さんの話によると、そのゴロツキ刑事らがよってたかって『本村を潰せ』ーと号令を掛けているらしい。気を付けたほうがいい。その食堂「ふく家」の店主をしている妹の夫の兄のゴロツキと一緒になって(いつのまにか)浦添警察署生活安全課とつるんで『本村つぶし』をしている。権力相手だからこれ以上向きになるのは止めたほうがいい。これ以上その食堂などを相手に告訴とか何とかを続けるなら『本村をもっとやってやる』−と言っている」−との話しだった。
おやじ

 弘美へ。返事が無いから仮説を続ける。おやじ
 ○○ちゃんの戸籍が気になるから教えて?

一、何で○○ちゃんは(○○年前生まれたばかりの当時)一人だけ家族と切り離  されて○○の○○○の故・島袋照子のお姉さんの嫁ぎ先の「○○」家へ養子  みたいにそこで育っていたの?
二、何でおやじと弘美で連れに行くことになったんだろう?

三、その○○の○○○のおばさんには子どもが授からなかったの?

四、○○ちゃんは戸籍上どうなっているの?
  A、出生届は?
  B、母親は?(その時の届け出の)
  C、まさか「○○」になっていないよね?

五、その事は、宜野湾のおばあちゃんも(本村キヨ)、無くなったおじいちゃん  も(本村寛)、同じく亡くなっている次男の徳光(のりみつ)も、○○らも皆知っているの?(誰が何の目的で知らせたの?の意味)

六、当時、何の目的で知らせたの?(誰が何の目的で知らせたの?の意味)
  そして、今回の未姫へも何の目的で知らせたの?(誰が何の目的で知らせたの?の意味)

  そんなことしたら、知らない血縁と知っている血縁とでは埋まりがたい溝が出来るんじゃない?(しかもおやじだけが知らないことになっていたということになるから、悪質だ。これも誰が何の目的で隠していたのか?) 

おやじ

 弘美へ
 返事が無いからそのまま仮説をつづける。

その前にこれは答えて。おやじ

 やつらは罪を逃れるため、お前が8月4日当時出て行ったのも、8月12日に未姫が拉致されたのもみんな「夫婦喧嘩」のせいにしようとやっきになっている。(刑事事件から夫婦のいさかいにすりかえれば自分たちは逃げおうせると考えているから)

 おやじが知りたいのは、そのやつらの狙いを知ってて加担までしているのかーという点。だからこうやって仮説をたててる。

 なぜなら、だとすれば「脅迫」されているのだから、何をもってして「脅迫」しているのかを探っている。

これはよくある話だけど、「世間一般ではよくあることで実は何でもない事なのに、それを過剰に『知られたら大変な事』みたいに洗脳させられてしまって大げさになってしまっていてそれを盾に脅迫されていた」ーなんて話はよくある話。

もしそんなことがあるとすれば、早くオープンにしておけば決してやつ等はお前をこれ以上はそれをネタに二度と脅せなくなる。

2011年11月26日 おやじ

★二つ目は、実はこの時点で妻は浦添警察署へは二年も前にその犯人らにそそのかされて行っていて、妻は後悔していたようである。
これも↓妻への手紙となっている:

 お母さんへ。以下の内容と自分の取らされた行動を分析してみてくれないか。
もしかしたら、お前はその外圧を受け、それが原因で当時の夫婦のいさかいになっていた可能性があるから。おやじ

外圧と夫婦のいさかい(夫婦喧嘩)

一、
 ★以下のような状況が、妻が当時からすでに犯人の彼らにそそのかされ、単なる夫婦のいさかいを大げさにする目的で、
犯人の彼らが妻を家出させた8月4日以来、約三ヵ月間も夫の私に会わなかったその間の先々月、平成23年10月26日に書かされ、しかも今現在起こっている事件にもかかわらず四年以上も前の
「平成19年3月頃自宅の駐車場で夫婦のいさかいがあった」と配偶者暴力に関する保護命令申立て書に今回書かされている当時の本村家の妻が一主婦としては訳の分からない外圧を受けるであろう要素。

①出版本 「琉球自治州の構想」を共著で出したのが2007/01/09日となっている。
②また、「五年も前に!県議会や県、浦添市、那覇市は”実感”したが・・・」と題してネット上で2007/02/15日に「これは’01年(平成13年)7月5日の第3回沖縄県議会(定例会)で採択された、当時の小生の陳情案件の内容の一部です。以後の参考になれば幸いです。詳細な内容一式につきましてはこのブログでこれから公表しますが、もし早急に必要であれば小生に云うか、県議会で取り寄せてください。」「陳情第110号 「沖縄県ポスト3次振計等に関する陳情」 (沖縄振興特別部会)」の「陳情書 沖縄県議会議長殿」「振興新法・計画は"本土との所得格差是正”明記を」ーという公文書となっている当時からすれば五年前の公な出来事を初めて伝えている。
③「それは児童手当を出す意味からすると違法ではないか?!」と2007/02/17日には浦添市役所の国民健康行政に対する「児童手当差し押さえ」に対する抗議をネット上でしている。
二、
 ★以下のような状況が、妻が当時からすでに犯人の彼らにそそのかされ、単なる夫婦喧嘩を大げさにする目的で、
犯人の彼らが妻を家出させた8月4日以来、約三ヵ月間も夫の私に会わなかったその間の先々月、平成23年10月26日に書かされ、しかも今現在起こっている事件にもかかわらず二年半以上も前の
「平成21年2月か3月頃自宅の廊下などで夫婦のいさかいがあった」と配偶者暴力に関する保護命令申立て書に今回書かされている当時の本村家の妻が一主婦としては訳の分からない外圧を受けるであろう要素。
★(その情報によるとこの時は、浦添警察署へ相談とある。相談内容は一時保護と保護命令の制度について情報提供を受けるとある)

③この頃までは単に「リフォーム設計」という自営家業の名前だったのを「金城本村リフォーム設計」と2008/12/16日にネット上で「『金城』本村リフォーム設計」と妻の旧姓を冠として使用することを強調する戦略に出た。
②「日本国総理大臣麻生太郎君へ浦添市港川2-10-8本村安彦から」と題して2009/02/01日にネット上で総理大臣の沖縄に対する政策が理不尽なのを指摘している。
例えば、 県内のとある政党は十四日、国土交通省政務官に対し、時間がかかるピアーチェックのことで沖縄一県だけが被害を被る今回の理不尽な法の手続きの迅速化を要請した。それに対し国交省はいかなる小規模住宅であれ沖縄県独自で解決するようたらい回ししたなどとの事を無視している政府を批判した。
③「ご意見を下さい。沖縄県浦添市国民健康保険課統括の宮平君」と題して2009/02/19 日にネット上で浦添市の国保行政の市民いじめについて公表している。
三、
 ★以下のような状況が、妻が当時からすでに犯人の彼らにそそのかされ、単なる夫婦喧嘩を大げさにする目的で、
犯人の彼らが妻を家出させた8月4日以来、約三ヵ月間も夫の私に会わなかったその間の先々月、平成23年10月26日に書かされ、しかも今現在起こっている事件にもかかわらず二年半以上も前の
「平成21年4月頃自宅の台所と洗濯室の間で夫婦のいさかいがあった」と配偶者暴力に関する保護命令申立て書に今回書かされている当時の本村家の妻が一主婦としては訳の分からない外圧を受けるであろう要素。

①「薩摩の琉球支配400年を問う シンポジューム・大激論会」と題して3・29(日) 午後1時~6時
教育福祉会館大ホール(3F)
(那覇市モノレール古島駅徒歩2分)
 
 沖縄よ! どこへ行く?

 今年は薩摩が1609年に琉球王国を侵略・支配してから400年、明治政府が
琉球処分(廃藩置県)してから130年の節目の年になります。現在、沖縄を取り巻
く問題は山積していますが、政府が進める道州制をはじめ、自治州、現状維持、
独立、東アジア共同体本部を設置した独立国、非武装中立国などいろいろな自立
の動きがあります。
ーというよう運動の中に私も加わって居た。
②「琉球処分130年を問うシンポジウム・大激論会」の第二回目の激論会を5月24日(日) 午後1時~5時 那覇市民会館中ホールで基 調 講 演に  金城正篤氏(琉球大学名誉教授)「琉球処分を考える」
パネリスト 福地曠昭氏(沖縄人権協会理事長)「大衆運動と琉球処分」
      宮城弘岩氏(沖縄大学講師)「400年の経済支配を問う」
      平良勝保氏(琉球歴史研究家)「周縁史から見た島津支配400年」
      後田多敦氏 (『うるまネシア』編集員)「〈琉球併合〉を救国運動から考え      る」
主   催 「薩摩の琉球支配から400年・日本国の琉球処分130年を問う会」
      (会長・金城実、彫刻家)
ー当時その呼びかけ人の中に私は加わって居た。
四、    
 ★以下のような状況が、妻が当時からすでに犯人のかれらにそそのかされ、多単なる夫婦喧嘩程度を大げさにする目的で、
犯人の彼らが妻を家出させた8月4日以来、約三ヵ月間も夫の私に会わなかったその間の先々月、平成23年10月26日に書かされ、しかも今現在起こっている事件にもかかわらず二年以上も前の
「平成21年10月頃子供の目の前で台所と選択室の間で夫婦のいさかいがあった」と配偶者暴力に関する保護命令申立て書に今回書かされている当時の本村家の妻が一主婦としては訳の分からない外圧を受ける要素。

①「最大級(昨日9月5日付、沖縄タイムス紙と琉球新 報紙から)」と新聞に載った沖縄のホワイトビーチ寄港原子力潜水艦では最大級の核搭載型の原子力潜水艦報道の話題をネット上でわざわざ取り上げたのが2009/09/06日。
②そして「もしや、「沖縄”核”密約」では新報に15年遅れだから ?」と題してまったく核密約を無視し続けている沖縄タイムス社を批判する記事をネット上で書き込んだのが2009/09/15日。
③「第3回 シンポジウム・大激論会『国連の先住民勧告をどう考えるか』を来る11月1日(日)那覇市、教育福祉会館で行う」とのチラシ:
テーマ 「国連の先住民勧告をどう考えるか」
開催日 11月1日(日曜日)午後1時から
場 所 教育福祉会館 *モノレール古島駅下車。 
参加費 1,000円(資料代を含む)
主 催 薩摩の琉球支配から400年・日本国の琉球処分130年を問う会
http://www.ntt-i.net/ryukyu/index.html

第1部 シンポジウム
基調講演 喜久里康子(沖縄市民情報センター)
     「国連の先住民勧告と琉球・沖縄民族」
パネリスト
  ?安里  進(沖縄県立芸術大学教授)「沖縄人はどこから来たのか」
  ?貝澤 和明(北海道アイヌ協会) 「アイヌ民族と国連勧告」
  ?村上 呂里(琉球大学教授) 「アジアから照射する沖縄の言語教育」
  ?渡名喜守太(沖縄国際大学講師)「国連先住民族の権利に関する専門家機
構の報告」 
  *コーディネーター 仲里 効(映像批評家)
第2部 大激論会
ーとの内容をネット上で琉球独立党の屋良朝助氏と並んだ写真を掲載したの2009/10/22 日。当時その中に私は呼びかけ人の一人として加わっていた。
★(その情報によるとその後、約一ヶ月ほど経った11日20頃、配偶者暴力相談支援センターへ保護命令について情報提供を受けるとある)
その年の11月といえばこんな出来事があった:
①「自宅保管にしたのは琉球人を侮辱する内容だからだろう。」と佐藤首相を批判している書き込みが2009/12/22日。
②「佐藤栄作の遺品から沖縄「核」密約日本側文書見つかる」と書き込んだのが2009/12/22日。
③「腑に落ちない。何故??吉野文六は「”核”密約」は黙る?」と書き込んだのが2009/12/03日。
④「いずれも自民党政権が国会答弁などで一貫して否定。」-として来たこれまでの核密約に対するコペルニクス的一大転換を迎えた様子を書き込んだのが2009/11/27日。
⑤「一方、失効している「1960年安保改定時核密約」は確認」と書き込んだのが2009/11/27日。
⑥「第 3 回 シンポジウム・大激論会 お知らせチラシ」を掲載したのが2009/10/22日。
⑦「表だって「児童・生徒指導支援」の「カルテ」というが」と教育指導カルテの存在を批判していたのが2009/10/19日。
⑧「6日に開かれた県立高有識者会議。」と県教育庁のこの問題を巡るきな臭さに反論を繰り返していたのが2009/10/18日。

更に、今回の事件では:
★平成23年8月12日と30日にも妻は再度犯人の彼らにそそのかされて配偶者暴力相談支援センターへ行かせられている。
平成23年8月11日。父親の13歳のアスリートの実娘に対する通常の厳しいトレーニングや、人間的な教育的指導監督がその日もあったことをその犯人らは知り、拉致に利用しようともくろみ、自らの刑事犯罪を何とかもみ消し、その刑事事件から夫婦のいさかいや13歳の娘に対するDVによって家出をしているとのシナリオ工作を行い、自らが犯した刑事事件の矮小化を狙う目的と同時に、ありもしない大げさな夫婦喧嘩としてでっち上げる目的で、
犯人の彼らが妻を家出させた8月4日以来、約三ヵ月間も夫の私に会わせなかったその間のあいだの先々月、平成23年10月26日に書かされ、しかも今現在起こっている事件にもかかわらず
二十五年以上前の夫婦のいさかいや、二年以上も昔の夫婦の喧嘩を大げさに表現させ、今現在起こっているかのごとく偽装までしたと思しき内容で持ち出し、
「ほれっ、今起こっている」ーなどと揚げ足を取ろうとのあせりからか、あろうことか「父親は13歳の実娘に対し性的虐待やDVまであった」ーなどと真っ赤な”うそ”をでっち上げ、更に大げさにする目的で、この時もわざわざ★配偶者暴力相談支援センターへアリバイ作りとしてその13歳の娘まで違法に連れて行かされ、その8月12日の日に自らが指示し、拉致させられていたその13歳の子への接近禁止命令を求める事情を話しているともある。また親族等への接近命令を求める事情もすでに相談しているともある。

以上、列記してみたが、やはり関連がありそうだ。
★特に、平成21年10月の夫婦のいさかいをわざわざ11月になって相談に行かされたあたりは、丁度、お父さんのライフワークが十五年ぶりに認められ、沖縄の高校教科書にまでなった「核密約文書総理私邸で見つかる」の報道があったほどの一大事件があった時だ。
☆それからすると、なんらかの外圧がお母さんへかかっていて、その事をまったく知らないお母さんはイライラするというようなことを繰り返しているのではないだろうか。そして、それらが私へ「何らかの隠し事があるのではないか?」などと、問い詰められたことがきっかけで夫婦のいさかいになった一例かもしれない。
2011年12月5日 おやじ・本村安彦

      
 ※六日後の2011年5月30日深夜。長崎放送放映の沖縄の核兵器報道に妻と二人だけの零細自営家業の主人・私本村が出演。以後、8月3日までの約二ヵ月半浦添警察署生活安全課による取調べが続く。

ところで、手前味噌ですが私、本村安彦はこの二十年間。妻と二人で六人の子どもたちへ教育上良くないと思えるような人物とはいかに親戚といえども悪影響を受けないように以下の①~⑤の少年法でいう五点に特に注意を払った教育方針を執ってきました。
①親の正当な指導監督に従うこと
②正当な理由も無く家を空けないこと
③いかがわしい場所に出入りしないこと
④いかがわしい場所に出入りする不道徳な者と付き合わないこと
⑤自他の徳性を害しないこと
※今日現在も未だに中学生二人を含む未成熟子五人を浄水器販売なども行うリフォーム設計の自営家業で支え、抱えている。

 ★浦添警察署の裏金目当ての情報屋と警察関係者である犯人の彼らは、私、本村家の自営家業の浄水器販売とはまったく違ったメーカーの浄水器会社のネットワークビジネス参加なり、その会社の浄水器を個人的にも使用している。
別のメーカーの浄水器を販売している私、本村家自営家業のライバルの浄水器メーカーであるアムエやエナジックなどといった浄水器メーカーとの金絡みのある宜野湾市真栄原の売春街の新町で売春婦相手のゲーム喫茶を十年余り開業している。
★その店とは、妻の妹とその夫の兄で実質経営者との噂の有る警察関係者のその者の影響でその店が表通り側はシャッターが下りて閉店と表示されている同時間帯にも裏口の出入り口を利用して朝まで開業している。しかも、にもかかわらず摘発された話を聞いたことが無い店である。
ですから、その関係者とはいかに親戚といえども六人の子どもたちへは私の教育方針の
③いかがわしい場所に出入りしないこと
④いかがわしい場所に出入りする不道徳な者と付き合わないこと
★ーその本村家の教育方針に従い出来る限り一切の付き合いを相手が妻の実母といえども、或いは妻の実の妹やその夫などといった親戚関係にあたろうが、なんであろうが父親の私が知る限りではこの13歳の娘の拉致監禁事件が起こった8月12日まで絶たせてきました。
★ですから、娘は現在その妻の実母の住んでいた県営団地の一室にいることになってはいても、実際はその場所も、その実母も、その周辺に住む妻の妹一家ともこの拉致事件までは一切逢ったことも無ければ見たことも無いはずである。

 ☆おそらく、この二十年近く。かねてから、色々と個人でボランティア活動を行いながら飛び込み営業を適法に行う一種変則的な本村家の自営家業に対する偏見から、違法でもないにも関わらず単なるその「変則的な」というだけの理由で本村家の自営家業でしかも企業として当たり前の「特性」の生業を「潰す」狙いのある浦添警察署の裏金目当ての情報屋と警察関係者であるその娘拉致の犯人の彼らは、自らの懐を太らせる個人的な狙いもあったのでしょう。
★その証拠に去った4月4日の琉球新報紙に「本村家兄だい皆皆勤賞」などと私の一家を大きく取り上げていたことに対して、なんのわだかまりも無いのであれば本来なら本村の知人なり、親戚として大いに祝うかと思いきや実際にはそのまったく逆で、特にその妹の夫や情報屋の石川やもうひとりの妻の妹の金城香の男らは私の妻がこの二十年家出ばかりを繰り返している割にはその二十年間もの間、夫婦仲良く過ごさないとあり得ないような快挙を達成したことから、普段から自分らへは悪く話す姉である妻の本村家での夫の私との話しなどとは違う側面があることの証拠が出たことへの不信感から、妻とすれば世間一般的な単なる社交辞令程度の話しであったにもかかわらず極まともで、「正常な夫婦関係」の「本村家」であるにも関わらず邪推もし、このままだと本村の仕事を潰すどころか逆にその新聞などの影響で元気が出てくるのではないかなどと懸念をしていたのでしょう。
そこで彼ら犯人らは、浄水器という自らのライバルである
★(その宜野湾市真栄原の店舗の裏口のドアには浄水器メーカーのアムエの表示があるのを8月に見つけている)
☆私達本村一家がその妻と二人だけで行う家業の浄水器販売の仕事を潰す目的に協力させるなどの踏み絵目的で、運転免許のない私に仕事をこれ以上させないようにこれまでもそのようなことをしていた経緯に沿うことになる。
★ちなみに、警察裏金を狙う情報屋の石川はエナジックから金が回る仕組みになっている。そして、これも情報屋と思しきその食堂「ふく家」で働くもうひとりの妻の妹の金城香の男がその食堂「ふく家」での手伝い。またはその真栄原のゲーム喫茶なり、何処なりのキッチンで手伝いをしながら何処の浄水器メーカーと取引をしているかは知らないが、きっと志良堂ちあき夫婦と同じアムエか石川と同じエナジックなのかもしれない。

 ※2011年7月30日。来る8月13日の全国ネットテレビ放送ニュース番組に私が出演するこが決まる。すると、警察裏金狙いの情報屋がうごめいたのではないか。
 7月30日。
☆おそらく、この日の時点では来る8月13日当たりには全国ネットのテレビで放送されるニュース番組に私が出演することは妻も承知していたから、当然妻の妹らを介してそのことをその犯人の男どもは承知していたのだろう。
だからこの日、新町で売春婦相手のゲーム喫茶を十年開業している妻の妹の夫が三年ほど前からその新町でのいかがわしいゲーム喫茶の表向きのダミー支店として出している★浦添市伊祖四丁目の食堂「ふく家」付近を私自身のライフワークの「沖縄から核施設を撤去させよう!!」のボランティア運動と併せ、放射能まで取れる逆浸透膜浄水器の販売営業を徒歩で一軒ずつ歩いている私の情報を、彼らがまさか「警察の裏金目当ての情報屋」などとは考えも付かない私の妻から聞き出し、そしてその私の妻へ「本村をここから歩かせないで」のような趣旨をしきりに電話したのではないか。
★そのダミー支店として出している浦添市伊祖四丁目の食堂「ふく家」だが、それがダミーである証拠としては、その店へ父親である私へ隠れて妻が当時小学校の頃から連れて行っていたことが先月10月になって中学生の息子の証言で明らかになっていることもある。
おそらく、私の一家の教育方針である:
③いかがわしい場所に出入りしないこと
④いかがわしい場所に出入りする不道徳な者と付き合わないこと
ーとの、本村一家の教育方針に従わざるを得ない本村の妻に対して、その「ふく家」を普通のありふれた「食堂」店として営業することで妻がその店を経営する妹夫婦らへ寄り付きにくい原因だった”いかがわしい店"を経営する妹夫婦らという難点を曲がりなりにもクリア出来たと彼らは思っていたのだろう。しかし、私に言わせれば、三年もの間妻の夫の私へは知らすことが無かったという点が逆にダミーである証拠と言える。
また、この時点ではその食堂「ふく家」という食堂の名さえも、場所すら知らなかった私に知らせることなく三年余りも隠してきたというやましい思いなどもあり、注視するようにとの意味も込めて妻へ知らせた意味も含んでいたのではないか。
★また、その食堂「ふく家」では何らかの浄水器メーカーのサーバーが置かれているのを8月19日に妻をそこで最初に見つけ、妻が家へ戻る条件の誓約書を書いた時に確認していることもある。

 ※翌日、8月1日。☆食堂「ふく家」の実質経営者でもある兄の警察関係者から浦添警察署へ「本村潰し」の商売上のデマを混ぜてのやらせ的問い合わせ。
その食堂「ふく家」で働く妹らから相談を受けた経営者の実質経営者でもある兄の警察関係者から浦添警察署へ放射能の影響などの現にフクシマや関東で評判になっている放射能除去能力のある逆浸透膜浄水器の沖縄での宣伝営業活動に対するデマ通報を行ったんでしょう。
 と言うのも、家宅捜索直後の5月30日に出演した長崎放送に続き来る8月13日には、今度はTBS「報道特集」全国ネット番組出演予定となっていたことから、多少のあせりもあったのかもしれない。
問い合わせや通報を受けた浦添警察署とすれば、「いかに『沖縄電力の原発研究』を報じる新聞のコピーを持ち歩こうがどうしようがすでに20万部も発行している記事であり、違法でも何でもないが、本村がボランティアを兼ねて営業活動として動けば何かと浦添警察署生活安全課へ幅広い問い合わせが増えめんどくさい」ーと、常々潰したいと思っていたのだとすればの話だが、本村の会社が生き延びることに間違いなくなるテレビ出演予定には困っていたのだろう。
おそらく、この時点。5月24日の本村家の家宅捜索後の5月30日に私が出演した長崎放送に引き続き、来る8月13日には今度はTBS「報道特集」という全国ネットでの番組に私が出演することを妻の妹らを通じて知っていて、「本村が歩けば別に違法ではないが、何かと浦添警察署生活安全課への経・財・政界の大物らから一般庶民といった幅広い問い合わせが多くなりめんどくさくなることは間違いない」ーとのことから何とか潰したいと常々思っていたであろうそんな矢先の本村の会社が、今度は逆に生き延びることになるテレビ出演などの状況が立て続けに起こりつつあることで困っていたのではないか。

☆そして、そのデマを聞いた浦添警察署は、”デマ”は分かりつつもその日のうちに呼び出しの電話をし、その食堂「ふく家」の実質経営者で警察関係者の意向に沿い嫌がらせをする。
浦添警察署とすれば、その通報で需要と供給が一致し、去る5月24日のデマによる家宅捜索に絡めて、デマとして終えたはずのその件の残務があるからなどと、その日のうちに呼び出しの電話をし、その食堂「ふく家」の警察関係者の意向に沿う格好で本村家へ嫌がらせをすることになったのではないか。
★その時の電話で、取調べの日時を二日後の8月3日の午前十時から二時間ぐらいとした取調べの約束をする。
※2011/8/3 ↓
     ※8月3日午前8時24分、お母さんの携帯へ食堂「ふく                家」の経営者の妻で、妻の妹の志良堂ちあきから電話                が入る。(??)

     午前10時丁度、お母さんがお父さんを浦添
                警察署へ送り届ける。
                これで※5月24日から始まっ
               た一連の浦添察署生活安全
               課による金城本村リフォー
               ム設計の本村安彦に対する
               取調べが終わり、嫌疑が晴
               れ、事件が終息した。 

 ※8月3日。浦添警察署生活安全課は最後の仕上げとばかりに、妻と二人だけの零細自営家業の個人へ間をおいた取調べ攻撃を2ヶ月ものらりくらり続けたあげく、「貴方の放射能除去浄水器販売自営家業・生業と核兵器撤去ボランティアは早くやめなさい」とのある種の脅迫メッセージを届けることに成功する。  

    午後1時ごろ、 お母さんが浦添警察署近くにいるお父さ
           んを迎える。
    午後1時49分、お母さんの携帯に090-2069-9934から着信がる。(??)
    午後3時33分、お母さんの携帯へ妹の志良堂ちあきから電話がる。(??)
    午後4時31分、お母さんの携帯に県内の大
           手金融会社のオークスの債権
           取り立てセンターから電話が入
           る、、、。(??)



 ※この日、一連の家宅捜索事件が終息して、その他の懸案も解決を見たことで金城本村リフォーム設計としてはあとは新たな戦略の模索に入りつつあったが、その一方では、滞ってしまっている様々な学費や最低限度の衣食住の費用といった金銭的な問題などが一挙に脳裏をよぎった。

     午前10:00分~午後1:00分頃まで浦添警察署の市民生活安全課か                ら呼び出されて、なんと一ヶ月以上も前の先月7月の初旬までには5月24日以来5回に      亘って取調べをしてまでその事件は間違いだったということで終えているはずの、十      分に何の疑いもないことが分かっているはずの事件の件での突然の再調書だった。
         と言うのも、そのことを問う私に対する担当刑事のしどろもど                ろの説明などからは一体何のための呼び出しだったか今もって                分からない呼び出しだった印象を強くもっている。(よっぽど、               これはもしかして、、、警察関係にいる者の仕業では??など、               或いは警察そのものではなくて、誰かの嫌がらせではないか?                などと思うようになっていった。
              しかし、その一方、昨今の浦添警察署が家宅捜索までして、それ               まで誰も侵したことがない本村家やお父さん、お母さんの家へ                まで深く入り込んで繰り返す嫌がらせが続いていたことをきっ                かけに、長女・未姫にまで上の男の兄弟並みな厳しい指導方針                を貫き通すアスリート一家としては当たり前的な考え方をめぐ                り、昨日まではそんなアスリート一家の妻として、母として普                通についてきていたお母さんは、お父さんがこの日の取調べに疲れて帰って来た後からは、急に警察という虎の威をお母さんはどこから借りたのか急激に「女子にまでそんなに厳しくする必要などないのではないか」、、、などと大柄な態度にまで出てくるようになっていいった。いったい何時何処でなにがあった??

         どうも、今思えば、お父さんが取調室に居る間のこの日のその                時間。午前10時から午後1時くらいまでの約三時間、一体何                がお母さんを大柄な態度へ変えていったのか??なんで急にそ                のお父さんの考え方への対立が始まったのだろうか???
       これはあくまでも推測だが、その3時間のあいだ、実は2年前にお母さ          んの方からから浦添警察署まで来て夫婦喧嘩のことで相談に来ていた時の相       談保管記録を脅しに利用したんじゃないか。そしてこんなことを行ったんではな        いか。
      お母さんも事情聴取として、また以前のように、警察署の駐車場または生活安全課       かどこか浦添警察署内の生活安全課の伊礼課長辺りが直接担当者となって別の場所       で、その家宅捜索まで過剰にやってしまったような事件のお父さんの調書の裏を取       られていたのではないだろうか。
だから、そのお父さんだけの浦添警察署での取調べのある朝にそのことを伝えるために実の妹の志良堂ちあきから電話があったんじゃないか。
警察関係者を兄に持つちあきの夫が、その兄からその旨をお母さんへ伝えるようにとちあきの夫から指示が出たんじゃないか。
つまり、食堂「ふく家」の経営者の妻でお母さんの実の妹の志良堂ちあきから「本村の取調べ中、その話を別の場所でお母さんへ聞かせて、裏を取りたいから本村を降ろしたら、食堂「ふく家」なり、その警察署の何処何処へ行って取調べを受けて」などと、何らかの方法でお父さんが取調室で話している内容の裏を取らされるから、-との電話があったんじゃないか。
そして、その取調べが終わった頃にまた、「本村に気付かれなかった?」と確認の電話を入れて、このお父さんには「一切話さないで」などとの何らかの密約をさせられたことで何らかの縛りをその実の妹を介して食堂「ふく家」の夫の兄の警察関係者から圧力をかけられたんじゃないか?だからお母さんはそれ以来黙りこくようになっていったのではないか?そして2年前の浦添警察署に行かされた夫婦喧嘩のことの相談相談保管記録のことを一切知らないお父さんをいいことに、「もし、今日の事を話したらお父さんへ知らすぞ!!」-と脅しにも利用しているんじゃないか。

※2011/8/4昼前→ 以下、家庭裁判所へ出した仮処分申請書から抜粋:
         8月4日。その日の昼前に家に戻る途中の                   車内。夫婦でもめた。
          原因は、妻の仕事中の携帯電話の多さだった。
     電話の会話の調子からその相手の中には知っている者もいれば知ら          ない者も含まれることがある程度分かることが災いし、全く誰かが          分からない時には「誰?(二人で情報交換しなければならないこと          がこんなにあるのに妻への着信が邪魔でコミュニケーションがとれ          ないの意)」「忙しいから切っとけ!俺がいる時は後でと言えば」         「今旦那がいるから後でねと言うんだ」などと連発する時もある。
       結局何でもない証明で終わった5月24日の家宅捜索。何でもない        事が分かる先月7月末までの約二ヶ月の間に4~5回の事情聴取で          狭い街では信用ががた落ちで売り上げが普段の十分の一に激減し           た。
      (家宅捜索時の押収品目録交付書の写し2枚を添付したので参照のこ         と)
       、、、これはほんの一例だが、このところ様々な出来事が我が家         を覆い続ける。
       そんな中、車の運転以外は夫の私が自営業のリフォーム関係の           仕事をこなす。
      しかし売り上げがきつくなって約4ヶ月。心配事が山ほどあるにもか         かわらず妻の運転中での、こんな調子でのほほんと、ぺちゃくちゃぺ         ちゃくちゃやっている姿を見て後部座席から携電話を取り上げた。
      その時に互いに胸ぐらを掴むなどの揉み合いになって先に夫のボタン         一つ妻が引きちぎっただけでその後も口喧嘩以外は何もなかった。
       そのまま昼御飯を待っている子どもたちも家にいることもあ            り、妻は家の駐車場で再度けんかを挑発するも、丁度子どもの姿が見         え出した場所に差し掛かったこともあり到着後、出来るだけ子どもた         ちに気付かれないように振る舞い、そのまま時差を付けながら家に          入った。
   (8月4日といえば、丁度昼過ぎから台風の強風域に入りつつあった日)
      二人が家に入ってしばらく経ってそろそろ台風時の買い物を済ませ          ようと、丁度車の運転ができる次男がたまたま来ていたこともあり、         さっきの揉め事でスッキリしていないことも手伝い、結局その次男と         買出しに出掛けた。
       娘の話によると(ひとり家に残った)娘の父親と兄が買い物に出掛          けると同時に図ったように家にはない携帯電話を探し回るも夫がその         まま持って行った事に腹を立てる。
       そして、午後2時頃までにはその台風の最中、独りで家を出た。
     (娘の家ではリフォーム業を自営し、長年生業として来た。その手伝い         を運転免許のない夫の運転手としての重要な手伝いもしている母親が         娘だけではなく他の4人の兄もいる家を捨てどこへともなく姿を消し         た)
       その時家にはその中1の娘だけだった。
     しばらく経って買い物から戻った娘の父親である私と娘の兄は娘の母         親がいないことに気付き、一人で残されたその娘へ尋ねると「知らん」        とパソコンに向かったままそっけない返事。
      その日の夜になって台風は益々本格的に吹き荒れだしたことから心配         になってその母親がいなくなった時の詳しい情報を得ようと娘再度尋ね        た。
     すると娘は「とにかく何処に行ったか分からない。3~4回玄関のドア        をバタンバタンさせていたからきっとタバコを切らしていてイライラ         して外にタバコを買いに行ったかと思ったらそのまま帰ってこない」         と。
      またこうも推理する「これは自分の想像だけど、どっか近所の家に行         き、、、、」とも。
       娘の父親や兄たちも、又か、、、と。娘の父親は「50(歳)も超え        てもまだ同じ事を繰り返して家を捨てる母親を探し回るのも恥ずかしい        からと放っておいた。  
      5、6日経って娘の父親が心当たりに声を掛け出した。
        、、、、、以下省略。つづきは、別紙「仮処分申請書」を参照の          こと。   
同日※2011/8/4 ↓
      上記にもあるように、午後2時ごろ、お母さんはたった一人で家を出         ることになる。
        その経緯の真相は実はこうではないか:
その前に、妻のそのような素行の根底にある以下のようなことを先ず、明らかにした上で事の真相を推理してみたい:

推理:
8月4日、↓  
この日の午前中の上記のようなお父さんとのぶつかりなどの出来事の         主原因である前日や当日に電話で請求のあった夫には話せないような         オークスなどの金銭的な問題を誰かに相談しようとするも、携帯電話         もなく、近場の電話を借りた家から第三者へ相談を持ちかけたとこ          ろ、その夫のお父さんの知らない金銭的な問題をお母さんと関係持つ         ような本村家に対して一種のやましさを持つその第三者で相談相手          は、金銭的な自らの問題にも絡むような緊急な問題を解決せんがため         の目的で、そんな腹づもりなどに気付かず連絡してきたお母さんへ       
「お父さんと喧嘩をした?夫に殴られるかも知れないから家をいった         ん出てみれば」などと、ありもしない暴力といううそでそそのかし、         一日でも家を空けると大混乱に陥ることとなる本村家の妻で主婦兼自         営家業の共同経営者でもあるお母さんに対して、実はその秘密を夫の         お父さんに知られるのが怖くなって、自らが逃れるために本村家の重         要な役割のあるお母さんの立場など一切かまわず無責任なアドバイス         をしたのではないか。
   そしてその第三者の思惑ありな指示でお母さんがたった一人で台           風が迫る最中家出を果たしたのではないか??しかもパトカーで??         或いは食堂ふく家経営者の車で。
   そして、それまでの一連の時系列からはもしかしたら、その第三者で         相談の相手というのは実は、お母さんやお父さんを陥れている張本人         で、その様な状況が早く来ないかと待ち構えていたその相談相手と関         係のある浦添警察署の生活安全課の誰かか、或いは同じ浦添警察署は         浦添警察署でも、本村家を貶めようと画策している生活安全課と関係         を持つ第三者で、その生活安全課以外の部署の夫の暴力が原因と勘違         いした単なる110番または婦人警察官だったのではないか??
    つまり、お母さんの混乱の原因は、浦添警察署の生活安全課と何らか         の関係を持つ第三者が持ち続けている本村家を貶める狙いの思惑など         が主因で、その事にまったく気付く様子のないお母さんは間違って、         本村家を貶めようと待ち構えている張本人でもある第三者と関係のあ         る浦添警察署へ相談の申し出をしてしまったたのではないか。あべこ         べに。
     そして、この日または後日、浦添警察署生活安全課の思惑などに未だ         にまったく気づいていないお母さんから本村家のお父さんや子どもた         ちを貶める情報を浦添警察署生活安全課とその第三者は易々と入手で         きたことだろう。
    要するに、表向きは、暴力も振るわない単なる夫婦げんかについてで         はあるが、今後はできるだけ回避するためには一旦は家を出たほうが         いいかどうかというようなごく世間一般的にもありふれたような何気         ない夫婦喧嘩について相談を持ちかけたお母さん、というシナリオを         用意していたのではないか。
     そして、その裏を知らない他の警察官らへ夫の暴力が原因と勘違いさ         せ、そのお母さんの家出当初の、第三者絡みの生活安全課とはまった         く別の課である、その裏とはまったく無関係な地域課の婦人警官の誰         かがその相談者で第三者に摩り替わったのではないか。
 しかし、その後その純粋な警察官、または婦人警官がいろいろと調べて        いくうちに夫の暴力はないことに後で気付き、一連のDVや虐待などと        のデマを元に大騒ぎしたのはいったいなんだったんだろうなどと、ばつ        が悪くなったことから最後には本村家を潰す思惑のある生活安全課が扱        い、生活安全課や相談者で第三者自らの狙いである本村家を貶める目的        のためにお母さんを「金銭トラブル回避の保障」を盾に脅し、騙しだ         し、巻き込み、お母さんを益々本村家から遠ざけてしまったのではな         か。
その証拠として、お母さんはしきりに食堂「ふく家」で働かざるを得なくなってしまっていて我が家や家業へ戻れない状況が存在するのではないか。
        或いは、少なくとも8月4日以来、今日現在も家出状態のお母     さんと、その後途中の8月12日から拉致監禁され続けている         娘の被害の原因までその浦添警察署生活安全課が作ってしまった可能         性も否定できないのではないか。
     いや、それらすべてが浦添警察署生活安全課の仕業なのかも知れない。
  だとすれば、お父さんが妻・お母さんや、娘・未姫との相談のことで         会おうと連絡を取ろうとしたとき必ず妨害をしてきている警察権力の         壁や影が常に立ちはだかるつじつまや、そんなにまでして本村家を貶め        るなどとの狙いがある警察権力の思惑など知りようもない妻・お母さん        や娘・未姫と、食堂のふく家でのお母さんの実の妹たちの一連の警察権        力をバックニした横柄な態度のつじつまも合致することになる。
       (※8月4日。この日からの出来事はすでに詳細な内容として、        「仮処分申請書や被害届」の文書につづられていますのでご覧くださ          い)
過去20年の金銭面での事実と推測からの考察:

「なんで母で妻の本村弘美が家に帰れないか?を金銭的な側面から」

あえて今回このように大げさに表現することで、あらゆる可能性を大胆に推測まで行い、真相を明らかにし、最終的には「そんな大それたことまではなかった」-と、逆に証明していく必要があると思い、以下したためましたのでご一読ください。

  故・島袋照子は25年以上も前の過去において、自らが使う目的で実の娘で長女の本村弘美(当時の姓は旧姓で金城弘美)を名義人または連帯保証人として借金をした。
その後、その故・島袋照子自らが使った金銭債務の返済から自らが逃れる手段として、当時はすで嫁に行き、別々の世帯を持って何年にもなっていた本村弘美に対して、未だ二十歳をわずかに過ぎたばかりの若さでその意味もよく知らないことをいいことに「破産宣告が楽だ」と自己破産を押し付け、逃れた。
後になって、寝耳に水のその話を聞かされたときに「確かに自己破産すれば法的にはあらゆる債務から逃れられはするもののしかし、一方では、我が家の妻であり母親でもある本村弘美が、しかも別世帯の実母に自己破産されてしまっては、今後の我が家の人生の中で起こるであろう様々な社会的困難やペナルティーがその自己破産をしたことによってより多く降りかかることになることを伝え、当時のその選択は実は、本村弘美にとってはごくわずかなリスク回避のために膨大な便益を失うことのほうが大きい。間違っている」と当時も本村弘美へ話し、止めるよう薦めたのを今でも覚えているものの、この一家の主である私へは一切話もなく、私抜きで進めた手続きだったことから止めさせきれなかった。
おかげで妻・本村弘美自身はもちろん、本村一家の主である私自身や子どもたちも結婚当初から時折、社会的、或いはこと金融機関との関係において一人前じゃなかったことで後悔し悩み続けることになった。
案の定、本村弘美自身は、人として、一人の人間・子を持つ母親としては現実から逃げてしまった無責任ーとの内なる自己批判や、その自らの実母の不道徳がまねく殺伐とした将来へいざなう道徳的社会通念の制裁から以後十年余り、一人前の大人として扱われなくなる恐れの可能性を常に背負ってきてしまっている。
 今から15年ほど前にもこんな事があった。               「県営団地の住居強制立ち退きの手続きの時間帯には絶対に立ち会うな。立ち会ったら本当に追い出されてしまうぞ」ーと、妻の本村弘美へ注意していた本村一家の主で夫の私の注意を、なんとその故・島袋照子は娘・本村弘美へ「母ちゃんの言うとおりにしなさい。強制立ち退きの手続きの時間にはちゃんと立会いなさい」などと、たぶらかし、本村弘美は主の私へは一切内緒で従い、おかげで即刻強制立ち退きに入られ、本村弘美自身も泣き泣き本村家一家全員の家を失わせた。
私が知らせを受け、駆けつけたときにはすでに後の祭り。詰め込めるだけの世帯道具を詰め込まれた普通乗用車の運転席でわずか生後三ヶ月の五男をひとり抱きかかえさせられるという冷たい扱いをされた本村弘美は、実母・故・島袋照子のあやまちに気付き、以後15年実の母であるその故・島袋照子の言いなりにならなくなり、本村家の母として妻としてここまでの15年成功の道を収めることができた。
 しかし、15年の歳月と本村一家の主である本村安彦の注意不足や甘さがそのお母さんのあるべき姿、または道を狂わせた。
実は、その遠くに居るべき故・島袋照子が去年から近くの県営城間団地へ引っ越してきてからは怒濤のごとく、お母さんの昔の記憶へ記憶へと流れさかのぼって戻ってしまった。
そして、今回。
この二十年余、本村家で頑張ったお母さん自身の名誉や徳性。そして社会人なら当然の利益と債務。普通の社会人なら真正面から立ち向かわなければならない。
しかし、その故・島袋照子はまたもやお母さんへささやいた。(以後の内容についてはあくまでも可能性を追求してみた)
特に「離婚して、母子家庭になれ。そしたらかなりの母子手当てが入る。今の暮らしより楽になる」とのささやきは強く強調したのではないか。(故・島袋照子自分自身にはどんな狙いがあったかは本人に聞かないと知らないが、考えられることと言えば、例えば、母子手当てや福祉の援助金を持ってくる自分の思い通りになる娘を増やせることなどの欲得がありはする)
そして、故・島袋照子は、自らの実の娘・本村弘美の嫁ぎ先の本村一家の自営家業でその実の娘自身も夫と二人の共同経営者でもある金城本村リフォーム設計という、リフォーム工事などの仕事上の債務を背負ったままではその受給資格を失いかねなくなることから、「本村家の一切の債務を負わないで」その本村弘美と本村安彦の家業を潰し、市役所や福祉などの母子家庭などの援助を得させ、得る目的があったのではないか。以下、考えられることをさらに言えば、故・島袋照子自分自身への多少の小遣にもありつけるかもしれないなどと少しぐらいは目当てにしていたからこそ、債務の多い本村家の家業の共同経営者でありながらも連帯債務者にはなっていなかったことを本村弘美から聞き、
「ほら、昔かあちゃが言ったとおりに破産宣告で自己破産しておいてよかったでしょ。だから連帯責任者にさせられなかったんだよ。こんなふうなときに助かるんだよ。ありがたく思え」とささやきながら債務0での脱出・逃亡背任を図り、実娘・本村弘美をそそのかしまたもや教唆したのではないか。
そして、偶然とはいえ、その計画の道半ばの8月20日に本村家の主で本村弘美の夫の本村安彦が突然現れ、妻・本村弘美と娘・未姫を連れ戻そうと部屋へ入ってきた。
しかし、故・島袋照子がそのような計画を描いていたのであれば、浅はかではあるが、その浅はかな計画にとって必須の孫娘・未姫を取り戻そうとする娘の父親の本村安彦を追い払おうとしたものの、力尽きたのか、人生を全うしたのか、しばらくしてひとりでにその場で倒れ、救急車で運ばれはしたものの翌21日にはこの世を去った。
  以上のような故・島袋照子と本村家の金銭にまつわる事実と推測の話は、故人本人とその実の娘で本村家の妻で母の本村弘美とその夫・本村安彦のこの三人だけにしか理解できない話であることから、偶然にも亡くなった故・島袋照子の四十九日の喪が明けた10月9日を持って終えたものとすべきであるとしたい。
よって、そのあやまった計画は実娘・本村弘美が実母故・島袋照子に代わって終わらすべきである。
終わらすことで、昨日まで足踏み状態が約三ヶ月続いてきた本村家一家全員が新たな明日の生活へ踏み出し、前へ進める。
以上。
平成23年10月19日 本村安彦

 ☆翌、8月4日に運転手役の妻を行方不明にさせて、その妹と夫は今度も私に無免許運転をさせる状況を作り出し、無免許運転をしたところをかねてから「情報屋」を介して私のライフワークである「沖縄から核施設を撤去させよう!!」とのボランティア活動を監視していた警察関係の兄を介して警察へ通報して逮捕監禁させ、仕事からはずし、ライフワークのボランティア活動も仕事もさせないようにしようとした。
私は5日後の8月8日に家出中の妻を探し当て、翌日家に実母や妹の香に伴われて戻ってきた妻とその運転免許の事について話し合いをした。
私はこの間も当然のようにチラシ配りと営業は徒歩で続けた。
翌日朝から、せめて夕方ぐらいまでの時間帯だけは仕事の件とは別にしてでも当時すでに家に残る遺棄・放棄状態にあった後になって拉致されることになる娘も含む5人の未成熟子の扶養の義務だけは最低限果たすことを決める。
翌日から子どもの送迎と家事だけは最低限やる目的で朝早くから何処からともなく現れて家事と子どもの送迎だけはやり続けた。
しかし、運転免許のない私が、徒歩で出来ることといえば自宅の地元を回るぐらいだが、それでもなんとか営業に毎日出てライフワークのボランティアを兼ねながら浄水器の販売営業を続ける傍ら、運転免許取得へ向け自練へ通うのを繰り返して三日ほどした
8月12日の早朝。
★その日も何処からともなく娘の早朝練習の出発時間に少し遅れてやって来た妻へ、待ちきれず徒歩で先に練習へ出掛けた娘を途中でピックアップするよう指示を出し、娘を浦添総合グラウンドへ連れて行くように頼んだ。
☆おそらくその時は、「いかなる理由があろうとも直ぐに家庭や仕事、そして社会的なあらゆる物事をむやみに放棄させられてしまったようなお母さんを真似することがない母親になりなさいね。お前は。お父さんは知っている。娘のお前に対してお母さんがここ2,3日しきりに自己弁護を繰り返しているのを。しっかりしなさいよ!!」
ーと前日の晩辺りからその13歳の娘へ陸上のトレーニングを行いながら、更に厳しく、時には涙がにじむほどのいち人間としての教育的指導を繰り返しながら強く話し掛けていた事を娘から聞いて知った妻から又聞きをした食堂「ふく家」の実質的経営者で警察関係者らが只、単に「気に入らない」と思ったのだろう。
その時は、只それだけの理由で娘の拉致をもくろんだのだろう。
そして「父親が娘に対して虐待をした」などとありもしない「デマ・狂言」を先ず浦添警察署へ流し、その後その13歳の娘まで伴って「配偶者暴力相談」などとして女性センターへ父親へは一切連絡もせず違法に連れ出し巻き込んだ。
以来、裏を取るうちにその事実は無いことに気付きはしたものの、父親へ「疑って済みませんでした」と一言謝罪すれば済む話にもかかわらず、その時すでに一週間が過ぎていて後へ引けなかったのか、それとも庶民を馬鹿にしたのかそのまま拉致することにしたのだろう。
☆そこで、娘13歳に対し、そして妻に対してそれなりの「悪者」に父親を仕立てる必要性が生じた。それが、事の始まりではなかったか。
 おそらくその日の時点では、運転手役の妻が居ないなら居ないなりに地元を徒歩で回るなどの方法での営業やボランティア活動をしぶとく続ける私に対し、娘まで居ないとなれば、きっと今回も過去同様、緊急避難的に無免許で自動車を運転し、娘の捜索を始め出し頻繁に無免許運転を繰り返すのではないかと踏んだのだろう。
また、翌日の8月13日予定の全国放送へ父親の私が出演するとなると、私の仕事やボランティアも間違いなく好転することにつながることは目に見えていたことから、「本村の家族潰し」を企ててきたそれまでの努力が水泡に帰するのではないかとの危機感もあって、「娘の拉致」などという大それた犯行行動を取ってしまったのだろう。
また、その全国放送出演という私の約二十年来のライフワークが実り成功する姿を、いずれは自らの商売の広告塔として利用したくて手に入れたい娘・未姫(みき)へだけは見せたくないという思いもあったのではないか。
なにしろ、彼らが、浦添警察署を利用し、拉致以後のこの娘へ行った悪戯では「あんたのお父さんの商売は悪い商売で、被疑者とまでなっている」などと警察官から十分すぎるほど思わせるような悪戯などがあったからだ。
 無免許運転での逮捕監禁を目的に娘の未姫(みき)まで拉致してまで私に無免許運転をさせようともくろんでは見たものの、しかし私は、 この8月12日の午前8時18分以来連絡の途絶えた娘の未姫(みき)と妻を案じ、試行錯誤の末、その時の連絡係りの四男の公平(こうへい)から伝えられる状況を「拉致」と疑い、認識・判断した午後2時ごろには前日からその拉致された娘の未姫(みき)や妻、その他の家族へ話してあったとおり、その彼らの悪戯を那覇家庭裁判所へ「拉致」と口頭で訴え、申立て書での手続きではその疑い、認識・判断である「拉致」を確かめる目的で、その彼ら食堂「ふく家」の経営者や第三者らを浮き彫りにする目的でとりあえず、その当時事実として表面に現れている現象である妻の置かれた立場から始めることとして「扶養の義務悪意の遺棄母妻事件」として彼らの思惑などまったく知らないであろう妻を相手方として調停を申し立てた。
以来、その家庭裁判所への調停申し立てによって、そのようなその食堂「ふく家」を中心とする彼らの「本村潰し」の手段であった「無免許運転での逮捕監禁」の思惑は外れた。
 そして、夜8時頃になって私が浦添警察署へ娘の分の家出人捜索願を出し、数時間前には家庭裁判所へ「その妻を利用している彼らを浮き彫りにする目的」があることは伝えず、只単に「扶養の義務違反の妻」という趣旨だけの文書を見せ、その通り調停を申し立てていることをその時の浦添警察署の警察官へ伝えた。
おそらく、その食堂「ふく家」の経営者や関係者らはその家庭裁判所への訴えを知って、「無免許運転で逮捕監禁」との当てが外れたことから慌てて万が一のため、最低でも娘を拉致したことだけは隠蔽しようとの対抗処置として、その時点ではすでに「ドロボーの片棒」を担いでしまっていたこともあり、その浦添警察署も一緒になって「夫婦のいさかいで家出している」-とのストーリー作りに入る目的で女性センターへ先ず、アリバイ的な実績作りの目的でそうとは告げずに「何らかの相談」という名目で出向いたのではないか。
その根拠はというと、これまで教育的指導や過去3~4年ほど前にあった正当防衛での緊急避難での夫婦のいさかいはあっても「暴力」などというようなことを一切振るっても居ないにもかかわらず。後日分かったその彼らの行った8月12日と8月30日のその女性センターでの相談内容は「配偶者暴力相談」となっていることである。
その根拠や証拠はまだある。
その一週間後。8月19日。その食堂「ふく家」で無理やり働かされている妻を見つけた時。二人話し合った家へ戻る条件を提示する妻の条件の中には「暴力を振るわないで」などという条件など微塵も無かった。
その時は、妻の実の妹の志良堂ちあきともうひとりの実の妹の金城香の二人。そして実母の故・島袋照子も立ち会っている。
そして、その時私が書いた「暴力」の文字などまったく入っていない「家へ戻る条件誓約書」を妻が今も保管しているはずである。
以上2011年12月3日 おやじ・本村安彦
 ※8月3日。浦添警察署生活安全課は最後の仕上げとばかりに、零細自営家業の個人へ間をおいた取調べ攻撃を2ヶ月ものらりくらり続けたあげく、「貴方の放射能除去浄水器販売自営家業・生業と核兵器撤去ボランティアは早くやめなさい」とのある種の脅迫メッセージを届けることに成功する。   
 ※翌日8月4日。妻と二人だけの零細自営家業の個人業者の妻で共同経営者で運転手役が、この自営家業では今後も警察からいじめられるのではないか、との恐怖心から、いち経営者としてもいち主婦としてもすべてを遺棄・放棄させられ、一人で家出。      
 ※八日後の2011年8月12日。第三者の狂言を利用した浦添警察署が運転免許も持たない主人たった一人だけが残った零細自営家業の個人宅の13歳の娘の拉致誘拐を指示したことで、実行犯が娘の母親のため逃げ出せず二ヶ月が経った今も未だに寝泊りを転々としていて、自分の家族の待つ自分の家へ帰って来れない。
2011平成23年12月7日の妻の「お母さん」と娘の「未姫」への手紙から:
読んで違うところがあったらチェックして自然に持たせてね
  おやじ(2011平成23年12月7日付け妻への手紙から)

 8月4日。その日の昼前に家に戻る途中の車内で夫婦でもめた。 
原因は、妻の仕事中の携帯電話の多さだった。

その時家にはその中1の一人娘だけでした。

しばらく経って買い物から戻った娘の父親である私と娘の兄は娘の母親がいない
ことに気付き、一人で残されたその娘に訪ねると「知らん」とパソコンに向かっ
たままでそっけない返事。

これはその日の夜になって台風は益々本格的に吹き荒れだすことから心配になっ
てその時の詳しい情報を得ようと娘に再度訪ねた。

すると娘は「とにかく何処に行ったかわからない。3~4回玄関のドアをバタバタ
させていたからきっとタバコを切らしてイライラして外にタバコを買いに行った
かと思ったらそのまま帰って来ない」。
またこうも推理する「これは自分の想像だけど、どっか近所の家に行き、と。

娘の父親や兄たちも叉か、、、と。娘の父親は50を越えてもまだ同じ事を繰り返
して家を捨てる母親を探し回るのも恥ずかしいから放って置いた。

5、6日経って娘の父親が心当たりに声をかけた。

★翌日、8月9日の夜に、27年前に同じように当時はまだ7人の乳飲み子を含む家族を捨て家出をした39歳当時から今日まで、そのままの状態を続ける現在67歳の娘の祖母にあたる娘の母親の母親の故・照子ががその娘の母親を伴って娘のいる家族の元へ現れた。
 ★前の晩8月8日に声をかけた者の中には娘の母親の母親もいて、その母親の母親へは特に強く「何度もこんな事を繰り返すには何かしらの負担を貴女の回りがかけすぎているからじゃないですか?じゃなければ何らかの薬物か覚醒剤の疑いもあるんじゃないか、という専門の関係機関の者の話しもありますよ。かばうだけじゃなくよ~く見て下さいよ!!親ならその辺りも注意して」と、善意からこう言ったのが気に入らないなどと凄い形相で来て、そんな疑いが生まれる自分の娘の行動を正すかと思いきや、逆に「あんたは気に入らない。離婚させる」とまくし立ててまた連れてかえろうとする始末。
 ☆おそらく、昨晩から家へ来るまでの間。妹の香の男やそしてその一家。或いは食堂「ふく家」の経営状態などを照子は聞きまわったんだろう。そこで、過剰に妻へ負担が行っていることを感じはしたものの、しかし、「覚せい剤又は薬物」の疑いについては専門へ尋ねる必要性から、警察関係者のちあきの夫の兄へ相談を持ちかけるまえに自分自身で確かめる必要性を感じたのではないか。
その時照子が話していた「覚せい剤ってお金がないと手に入らないんじゃないの?高いって聞いている」などのことからおそらく、昨晩からこの時間帯までに一応は調べるため友人知人へ聞いていた様子が窺えたためある程度の情報は集めていたのではないか。
そこで出た結論が「誰がそういっているか」について本村へ「どこの誰がそういっているか聞いてこよう!!」などと、かまをかけるなどの賭けをしてまで事がことだけに確認をする必要性から自分自身の目と耳で本村から直接聞き出し、確かめるために照子はわざわざ伴ってきたのではないか。
実はそれを確かめることこそが第一番目の目的だったのだろう。誰が考えてもそうなる。
 ★自分の娘のそのような素行の原因などを詳しく聞こうとはしないその母親の母親に対して本村は、「50も余って家を捨てる母親の母親でありながら、原因は自分のこの27年にあるのに、それを6人もの子どもたちをすべて並行にこの20年間義務教育期間無遅刻無欠席を達成させ5月20に行われた浦添市市民会議では健全育成で表彰されている。同時に高校生の兄たちも並行に無遅刻無欠席を達成させている。6人全員が9ヵ年間無遅刻無欠席どころか12年間無遅刻無欠席もだ!!。そうやってちゃんと子育てをしている60前のこの家の主で父親でそんな娘の夫に向かって、しかもそんな家へやって来て、なんてことを言うんだ!!」
と怒鳴りかえす。

 ★最後は覚醒剤の疑いの話しに戻ったあたりで娘の父親はその母親の母親を庭へ連れだしその覚醒剤の疑いの話をさらに二人だけで詳しく話をしょうとした途端。それ以上はもういいかのようだったとしかいいようがない様子をし、話をつづけようとする本村を遮るようにその娘の母親と、付いてきた妹の香らには構わず帰って行った。
 ★庭に出た帰り際の娘の母親は、重要な自営業の手伝いと最低限の中学生二人の主婦役は明日からやると言い残し、妹の香と伴にまた家を出た。
 ★、これは特記しておく。この日はかなり口論もあったが、この日から二ヶ月以上経った10月27日という後々になってでっち上げで持ち出す「配偶者の暴力」などの話はこの時も一切無かった。
 ★、これも特記しておく。照子は家に帰ってから四男の公平へ電話をかけ、「お母さんは必ず家に帰すから心配しないでね」-と伝えている。(お父さんへはこの電話のことは内緒にしてね、とのニュアンスで)
 ☆おそらく、庭先へまで自分だけを連れ出して話しかけようとする本村の様子から、「これは本当にその話をしている者がいることは確かだ」と判断したのだろう。だから、その場で本来の目的を終えたことでそのまま振り返らずに帰って行ったのではないか。
 ☆おそらく、その後このようなことがあったのではないか。
「本村が言っているのは本当だ。誰かがその事を疑っているのは間違いない。このままでは宜野湾の本店が実は、覚せい剤なども扱うことは常識とされている売春婦相手のゲーム喫茶で儲かっていることまで公になれば大変なことになる」-などと、ひとり帰り道を歩きながらどうにかしなければならないと考えていた照子へ二人の娘が追いつき、そのまま一緒に団地へ向かい、その事について食堂「ふく家」辺りで妹のちあきの夫、もうひとりの妹の香の男、そしてせいほうの警察関係者の兄らも集まり、相談することになったのではないか。そこで、もし妻が家に帰らないとなるとなればとにかく大変な事態になるのだから最終的には早く妻を家に戻すことで話は付いたのではないか。
しかし、その後もそのことへ言及させないように用心だけはしなければならない旨申し合わせをし、翌日も又、話し合うことになったのではないか。
 ★翌10日。前の晩に娘の母親が約束したとおり、重要な自営業の手伝いと最低限の中学生二人の主婦役は翌朝早くから出てきてそれをやった。
 ★しかし、夜になるとまた出て行く妻の様子だった。
 ☆おそらく、その日も食堂「ふく家」辺りで昨日に続く話し合いをする予定になっていて、その事をうまく伝えきれなものだから黙ってそのまま家を出たのではないか。昨夜に続く話し合いで、「妻が戻ったら戻ったで追求を緩めないのではないか」-などとの話になり、当面その結論が出るまで家出を続けさせることになったのではないか。
 ★その翌日の11日の朝も続けた。その夜にまたどこへやら出ようとする娘の母親を見かねて、そのような状態になるまで追い込んでいるその背景に潜む因果関係を二度と許すまいと、その晩は残った家族でとりあえず娘の母親を「民放877条の扶養違反」と「悪意の扶養義務遺棄」で家庭裁判所に訴える事を決める。
 ☆その晩の話し合いではおそらく、本村が追求する時は決まって酒を飲んだ時だろうから、昔のように酒をやめさせる必要があるとしたのではないか。そのためには娘を奪い人質にする必要があるのではないか、などと話し合いをしたのではないか。
 ★翌8月12日の早朝、家にいる娘をグランドまで送らすと、娘を送る車内で娘から昨晩の情報を得ようとしたのか、本当に自分のこれまでの素行を家庭裁判所へ訴えるのかどうなのか様子を見様としたのか、それとも娘がそれまで関わっていたお父さんには一切隠していた数年前からの食堂「ふく家」との関係の証拠隠滅と軟禁洗脳が目的なのか。
 ★以来、そのまま娘を連れ去ってしまったまま今日であれから約4ヶ月になる。
☆これもこの日から二ヶ月半経った10月27日に明らかになることだが、この日は「配偶者暴力相談支援センター」へ行かされていることが分っていることから、おそらく昼前の早い時間ぐらいまでは「その申し立て書を提出したらこの娘を奪うぞ!!」-という誘拐メッセージを込めていたからこそその後、その娘の担保や人質としての価値を高めるため、娘や母親との連絡をわざと絶たせたのではないか。
そして、とうとう提出をしたことを夜の八時辺りになって明らかになったことから、犯人らは自らの犯罪を隠蔽する目的で、あわてて「夫婦喧嘩や家庭内のDV」などというストーリーで、「その家の娘と母親が二人で伴に家出をした」-との偽のアリバイ作りを急ぐため、わざわざ妻や娘をかくまってるその場所とされる浦添市城間にある県営団地の3号棟ー401号室まで出向き、その画策を練ってから「配偶者暴力相談支援センター」へ妻と娘を脅し、そそのかし、出向かわせたのではないか。
★この時、確か午後の10時過ぎだったと思うが、その団地の一室の入り口付近ではこんなことがあった:
 二時間ほど前の午後八時ごろに娘の家出人捜索願を提出して、「もしや?」と思いその団地へ確かめに行った。
すると、部屋のある四階の踊り場付近で様子を見ていると、団地内へパトカーが入って来て、その四階まで警官の一人が登って来てその部屋ドアを指差しこう言った「来てる?」-と。
☆つまり、向かいの一号棟から様子を見ていた妻の妹の金城香の家族の誰かが、110番通報して城間交番のパトカーを呼んだのだろう。それで、私を110番をかけた本人と勘違いした。★そして、本村と名乗った私に気が付き始めて「家出人捜索は取り下げてください」と浦添署の生活安全課の伊礼課長へ電話した。
★そこで、伊礼課長は本村を追い返すように指示を出した。
☆、おそらく、この時は伊礼課長は浦添警察署内のどこかに居て、私へ携帯電話から「今日はもう遅いから帰るように」と、何の根拠もないにも関わらず強制をしたのだろう。
これは推理だが、犯人らは「夫婦喧嘩や家庭内のDV」のでった上げで忙しい。
おそらくその団地内或いは食堂「ふく家」あたりを出て浦添警察署内の一室でアリバイ作りを急いでいた。そして実はまったく実態がない「配偶者暴力相談支援センター」称した書類をその浦添警察署内であしらえている最中だったのではないか。
だから私がその団地へ来た時はその団地内には誰も居なかったのではないか。それを知られるのが怖くなった浦添警察署の伊礼課長は城間交番の警官の携帯電話まで介して私へ無理やり今日のところは引き下がることを大声で怒鳴っていたのではないか。
 彼ら犯人らが自ら犯したその刑法犯罪である「拉致教唆」を逃れる目的のために。
 そして、その内容はというと:
☆おそらく、拉致や誘拐を教唆されただけで何の罪にもならない妻へは「あんたが罪になる」とうそを言って脅し、そそのかす。
その一方娘へも「あんたも今日お母さんと一緒になって家出したことにしないとお母さんがあんたを拉致したことで刑務所に行ってしまう。だから絶対に拉致されたとは言わないこと」-と、ありもしない妻の刑務所行きを盾に娘まで脅迫し、脅し、そそのかしたのではないか。
 ★家庭裁判所平成23年(家イ)第413、414、415、416、417号事件各々として調停日程調整中として届けたその8月12日の昼には恐ろしくなり躊躇して提出間際に受付で相談すると、母親の素行を訴える申し立て人の一人である娘を相手方である母親が連れ去ったなら危険な疑いはあるから警察暑へ家出人捜索届けをだすのがいいのでは、
ーと言われ、夜の8時を回って娘が生まれて初めて(学校行事や旅行以外では)こんな遅くまで音信不通でさえなかったこともあり、「家出人」として届け出書を提出。
翌日帰って来ない娘の相談で家庭裁判所に行くと児童相談所がいいと言うので警察に通告を頼むがどうなったのかわけがわからないまま数日が過ぎる。

3日目の午前、メールで部活中とあったので部活へ様子を見に行くと父親の姿を
見るなり逃げてどこかへいなくなった。直後自転車で校内外を探すとなにやら不
審な車両に娘らしき影を発見するも見失ってしまった。

内心、あれはもしや児童相談所の車で保護されているのかな?とも思い、ほっと
するも不安は募り、翌日見覚えのある車両ナンバー(11‐27)を児童相談所で発見するまでは安心できなかった。受付で訪ねると教えてくれはしなかったものの娘は機関に保護されている確信を得、娘が居なくなって初めて安堵感に浸った。(8月19日金曜日)
その足で早速裏付けを取るため警察がおうむ返しをする「母親と一緒だから~!」と繰り返す娘の母親がいるとされる母親の母親の住む団地への電話と娘の
母親が手伝っているだろう姉妹の経営する食堂で娘はいないが娘の母親だけはい
るのを確認した。
翌日20日土曜日午後。その食堂へ行くと本日休業。
夜の9時半頃に団地に電話をかけるといるというので入り娘を8日振りに身近で
見る。
その直後の詳細は別の機会に、、、。
以上。
2011年12月7日 おやじ、本村安彦

 ※翌日の8月13日夕方5時30分。TBS全国ネット「報道特集」の沖縄の核兵器報道に妻と二人だけの零細自営家業の主人の私が出演し、全国へ沖縄や日本の平和運動を広めるがしかしその一方、今日現在、その自営家業は潰れかけ、妻と娘は行方不明状態が続いている。 そして、その背景にいる間接的弾圧者で沖縄の権力構造の頂点に居座る加害者らは暗黙のうちにそうなっていくことの情報をなぜか承知していた、、、。
 だからといって、これはなにも国や沖縄電力そして県、或いは市などと言った経済や政治の統治者や支配者がこんな普通の市民一家でしかないいち本村家を直接的に言論弾圧していると言おうとしているわけではありません。では誰がいったい何の目的で彼ら経済や政治の統治者や支配者の間接的な言論弾圧加害行為に手を貸しているのだろうか推測してみるとこうなるのではないか:               
 それは、彼ら国や沖縄電力そして県、或いは市などと言った統治者らから回っているであろう言論弾圧裏金を貰い続ける警察関係者と、その警察関係者へ情報を提供することで警察裏金が得られる情報屋個人のこの本村家に対する個人的な誹謗中傷での警察への情報提供と、5月24日の浦添警察署生活安全課が絡む家宅捜索のことを知ったいち警察官の個人的なこの本村家に対するねたみや勘違いなどからくる直接的な言論弾圧が、間接的には彼ら経済や政治の統治者の弾圧に手を貸していることになるのではないか、ということを言いたいのです。                               
 或いはその逆も考えられます。つまり、浦添市の一市民が、過去二十年にも亘り執ってきた商活動方法を普通に行ったことがたまたま彼ら経済や政治の統治者側が自らの愚かな行いである沖縄電力の沖縄本島での「7年前から行われている原子力発電研究」批判に繋がるからといって、その一市民としての商活動をそのものを本末転倒にも不当なものとしてあべこべに「言論弾圧」などと称し、新聞社などのマスメディアや浦添警察署へ訴え、「本村を潰してくれないか」と泣きこんだ可能性も否定できないのではないか。
(むしろその事例が近年の日本では増えているそうである)
 もしそうならば、仕事の合間ですでに20万部も発行し終えている記事を配る新聞の切抜きのチラシや個人的なインターネット上での言論を指しての訴えでしかないのだから、むしろその訴えに手を貸したマスメディアと警察署は余計に罰せられなければならない。
特に4ヶ月間にも亘り、その個人宅の娘や母親と、その父親で夫間を音信不通にすることで、①「親の正当な指導監督に背けさせ」②正当な理由も無く家を空けさせ」③「いかがわしい場所へ出入りさせ」④「いかがわしい場所へ出入りする不道徳な者と交友させ」⑤「その13歳の持つ『6年間皆勤賞』の徳性を害させ」るなど、その間すでに犯してしまった13歳の娘の少年法違反教唆や刑法224条・225条~227条の1(略取及び誘拐幇助)及び247条(背任罪教唆)刑法第217条~218条(遺棄罪教唆)その他諸々の刑事事件などの不正義などを警察としては知られたくないだろう。だからそのことを追及するであろう父親と妻及び娘とはその音信不通のまま離婚でも何でもして貰おうとしているのではないだろうか。
 弾圧は、個人や団体が自分たちの集団より劣っているという意識、あるいは無自覚ながら劣っているという思い込みが背景にあることが多いと聞きます。
その理屈からすれば、この金城本村リフォーム設計という家業を持つ本村家は個人です。個人が被弾圧者にされるていのですから加害行為の弾圧者もきっと個人に間違いないのではないのでしょうか。
そして彼ら経済や政治の統治者側自らは高見の見物でそのような違法な人権侵害行為を暗黙のうちに認めている、のではないだろうか。
(1948年12月10日に国連で採択された世界人権宣言、1976年採択された国際人権規約)
以上
詳細はブログ→http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3824783.htmlをご覧ください
2011年12月5日
沖縄県浦添市港川2丁目10番8号
  金城本村リフォーム設計 本村安彦 電話番号:098-876ー5538
  

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2011年12月07日

やりたい放題の警察権力

お母さんと未姫へ:読んで違うところがあったらチェックして自然に持たせてね
  おやじ(2011平成23年12月7日付け妻への手紙から)

 8月4日。その日の昼前に家に戻る途中の車内で夫婦でもめた。 
原因は、妻の仕事中の携帯電話の多さだった。

その時家にはその中1の一人娘だけでした。

しばらく経って買い物から戻った娘の父親である私と娘の兄は娘の母親がいない
ことに気付き、一人で残されたその娘に訪ねると「知らん」とパソコンに向かっ
たままでそっけない返事。

これはその日の夜になって台風は益々本格的に吹き荒れだすことから心配になっ
てその時の詳しい情報を得ようと娘に再度訪ねた。

すると娘は「とにかく何処に行ったかわからない。3~4回玄関のドアをバタバタ
させていたからきっとタバコを切らしてイライラして外にタバコを買いに行った
かと思ったらそのまま帰って来ない」。
またこうも推理する「これは自分の想像だけど、どっか近所の家に行き、と。

娘の父親や兄たちも叉か、、、と。娘の父親は50を越えてもまだ同じ事を繰り返
して家を捨てる母親を探し回るのも恥ずかしいから放って置いた。

5、6日経って娘の父親が心当たりに声をかけた。

★翌日、8月9日の夜に、27年前に同じように当時はまだ7人の乳飲み子を含む家族を捨て家出をした39歳当時から今日まで、そのままの状態を続ける現在67歳の娘の祖母にあたる娘の母親の母親の故・照子ががその娘の母親を伴って娘のいる家族の元へ現れた。
 ★前の晩8月8日に声をかけた者の中には娘の母親の母親もいて、その母親の母親へは特に強く「何度もこんな事を繰り返すには何かしらの負担を貴女の回りがかけすぎているからじゃないですか?じゃなければ何らかの薬物か覚醒剤の疑いもあるんじゃないか、という専門の関係機関の者の話しもありますよ。かばうだけじゃなくよ~く見て下さいよ!!親ならその辺りも注意して」と、善意からこう言ったのが気に入らないなどと凄い形相で来て、そんな疑いが生まれる自分の娘の行動を正すかと思いきや、逆に「あんたは気に入らない。離婚させる」とまくし立ててまた連れてかえろうとする始末。
 ☆おそらく、昨晩から家へ来るまでの間。妹の香の男やそしてその一家。或いは食堂「ふく家」の経営状態などを照子は聞きまわったんだろう。そこで、過剰に妻へ負担が行っていることを感じはしたものの、しかし、「覚せい剤又は薬物」の疑いについては専門へ尋ねる必要性から、警察関係者のちあきの夫の兄へ相談を持ちかけるまえに自分自身で確かめる必要性を感じたのではないか。
その時照子が話していた「覚せい剤ってお金がないと手に入らないんじゃないの?高いって聞いている」などのことからおそらく、昨晩からこの時間帯までに一応は調べるため友人知人へ聞いていた様子が窺えたためある程度の情報は集めていたのではないか。
そこで出た結論が「誰がそういっているか」について本村へ「どこの誰がそういっているか聞いてこよう!!」などと、かまをかけるなどの賭けをしてまで事がことだけに確認をする必要性から自分自身の目と耳で本村から直接聞き出し、確かめるために照子はわざわざ伴ってきたのではないか。
実はそれを確かめることこそが第一番目の目的だったのだろう。誰が考えてもそうなる。
 ★自分の娘のそのような素行の原因などを詳しく聞こうとはしないその母親の母親に対して本村は、「50も余って家を捨てる母親の母親でありながら、原因は自分のこの27年にあるのに、それを6人もの子どもたちをすべて並行にこの20年間義務教育期間無遅刻無欠席を達成させ5月20に行われた浦添市市民会議では健全育成で表彰されている。同時に高校生の兄たちも並行に無遅刻無欠席を達成させている。6人全員が9ヵ年間無遅刻無欠席どころか12年間無遅刻無欠席もだ!!。そうやってちゃんと子育てをしている60前のこの家の主で父親でそんな娘の夫に向かって、しかもそんな家へやって来て、なんてことを言うんだ!!」
と怒鳴りかえす。

 ★最後は覚醒剤の疑いの話しに戻ったあたりで娘の父親はその母親の母親を庭へ連れだしその覚醒剤の疑いの話をさらに二人だけで詳しく話をしょうとした途端。それ以上はもういいかのようだったとしかいいようがない様子をし、話をつづけようとする本村を遮るようにその娘の母親と、付いてきた妹の香らには構わず帰って行った。
 ★庭に出た帰り際の娘の母親は、重要な自営業の手伝いと最低限の中学生二人の主婦役は明日からやると言い残し、妹の香と伴にまた家を出た。
 ★、これは特記しておく。この日はかなり口論もあったが、この日から二ヶ月以上経った10月27日という後々になってでっち上げで持ち出す「配偶者の暴力」などの話はこの時も一切無かった。
 ★、これも特記しておく。照子は家に帰ってから四男の公平へ電話をかけ、「お母さんは必ず家に帰すから心配しないでね」-と伝えている。(お父さんへはこの電話のことは内緒にしてね、とのニュアンスで)
 ☆おそらく、庭先へまで自分だけを連れ出して話しかけようとする本村の様子から、「これは本当にその話をしている者がいることは確かだ」と判断したのだろう。だから、その場で本来の目的を終えたことでそのまま振り返らずに帰って行ったのではないか。
 ☆おそらく、その後このようなことがあったのではないか。
「本村が言っているのは本当だ。誰かがその事を疑っているのは間違いない。このままでは宜野湾の本店が実は、覚せい剤なども扱うことは常識とされている売春婦相手のゲーム喫茶で儲かっていることまで公になれば大変なことになる」-などと、ひとり帰り道を歩きながらどうにかしなければならないと考えていた照子へ二人の娘が追いつき、そのまま一緒に団地へ向かい、その事について食堂「ふく家」辺りで妹のちあきの夫、もうひとりの妹の香の男、そしてせいほうの警察関係者の兄らも集まり、相談することになったのではないか。そこで、もし妻が家に帰らないとなるとなればとにかく大変な事態になるのだから最終的には早く妻を家に戻すことで話は付いたのではないか。
しかし、その後もそのことへ言及させないように用心だけはしなければならない旨申し合わせをし、翌日も又、話し合うことになったのではないか。
 ★翌10日。前の晩に娘の母親が約束したとおり、重要な自営業の手伝いと最低限の中学生二人の主婦役は翌朝早くから出てきてそれをやった。
 ★しかし、夜になるとまた出て行く妻の様子だった。
 ☆おそらく、その日も食堂「ふく家」辺りで昨日に続く話し合いをする予定になっていて、その事をうまく伝えきれなものだから黙ってそのまま家を出たのではないか。昨夜に続く話し合いで、「妻が戻ったら戻ったで追求を緩めないのではないか」-などとの話になり、当面その結論が出るまで家出を続けさせることになったのではないか。
 ★その翌日の11日の朝も続けた。その夜にまたどこへやら出ようとする娘の母親を見かねて、そのような状態になるまで追い込んでいるその背景に潜む因果関係を二度と許すまいと、その晩は残った家族でとりあえず娘の母親を「民放877条の扶養違反」と「悪意の扶養義務遺棄」で家庭裁判所に訴える事を決める。
 ☆その晩の話し合いではおそらく、本村が追求する時は決まって酒を飲んだ時だろうから、昔のように酒をやめさせる必要があるとしたのではないか。そのためには娘を奪い人質にする必要があるのではないか、などと話し合いをしたのではないか。
 ★翌8月12日の早朝、家にいる娘をグランドまで送らすと、娘を送る車内で娘から昨晩の情報を得ようとしたのか、本当に自分のこれまでの素行を家庭裁判所へ訴えるのかどうなのか様子を見様としたのか、それとも娘がそれまで関わっていたお父さんには一切隠していた数年前からの食堂「ふく家」との関係の証拠隠滅と軟禁洗脳が目的なのか。
 ★以来、そのまま娘を連れ去ってしまったまま今日であれから約4ヶ月になる。
☆これもこの日から二ヶ月半経った10月27日に明らかになることだが、この日は「配偶者暴力相談支援センター」へ行かされていることが分っていることから、おそらく昼前の早い時間ぐらいまでは「その申し立て書を提出したらこの娘を奪うぞ!!」-という誘拐メッセージを込めていたからこそその後、その娘の担保や人質としての価値を高めるため、娘や母親との連絡をわざと絶たせたのではないか。
そして、とうとう提出をしたことを夜の八時辺りになって明らかになったことから、犯人らは自らの犯罪を隠蔽する目的で、あわてて「夫婦喧嘩や家庭内のDV」などというストーリーで、「その家の娘と母親が二人で伴に家出をした」-との偽のアリバイ作りを急ぐため、わざわざ妻や娘をかくまってるその場所とされる浦添市城間にある県営団地の3号棟ー401号室まで出向き、その画策を練ってから「配偶者暴力相談支援センター」へ妻と娘を脅し、そそのかし、出向かわせたのではないか。
★この時、確か午後の10時過ぎだったと思うが、その団地の一室の入り口付近ではこんなことがあった:
 二時間ほど前の午後八時ごろに娘の家出人捜索願を提出して、「もしや?」と思いその団地へ確かめに行った。
すると、部屋のある四階の踊り場付近で様子を見ていると、団地内へパトカーが入って来て、その四階まで警官の一人が登って来てその部屋ドアを指差しこう言った「来てる?」-と。
☆つまり、向かいの一号棟から様子を見ていた妻の妹の金城香の家族の誰かが、110番通報して城間交番のパトカーを呼んだのだろう。それで、私を110番をかけた本人と勘違いした。★そして、本村と名乗った私に気が付き始めて「家出人捜索は取り下げてください」と浦添署の生活安全課の伊礼課長へ電話した。
★そこで、伊礼課長は本村を追い返すように指示を出した。
☆、おそらく、この時は伊礼課長は浦添警察署内のどこかに居て、私へ携帯電話から「今日はもう遅いから帰るように」と、何の根拠もないにも関わらず強制をしたのだろう。
これは推理だが、犯人らは「夫婦喧嘩や家庭内のDV」のでった上げで忙しい。
おそらくその団地内或いは食堂「ふく家」あたりを出て浦添警察署内の一室でアリバイ作りを急いでいた。そして実はまったく実態がない「配偶者暴力相談支援センター」称した書類をその浦添警察署内であしらえている最中だったのではないか。
だから私がその団地へ来た時はその団地内には誰も居なかったのではないか。それを知られるのが怖くなった浦添警察署の伊礼課長は城間交番の警官の携帯電話まで介して私へ無理やり今日のところは引き下がることを大声で怒鳴っていたのではないか。
 彼ら犯人らが自ら犯したその刑法犯罪である「拉致教唆」を逃れる目的のために。
 そして、その内容はというと:
☆おそらく、拉致や誘拐を教唆されただけで何の罪にもならない妻へは「あんたが罪になる」とうそを言って脅し、そそのかす。
その一方娘へも「あんたも今日お母さんと一緒になって家出したことにしないとお母さんがあんたを拉致したことで刑務所に行ってしまう。だから絶対に拉致されたとは言わないこと」-と、ありもしない妻の刑務所行きを盾に娘まで脅迫し、脅し、そそのかしたのではないか。
 ★家庭裁判所平成23年(家イ)第413、414、415、416、417号事件各々として調停日程調整中として届けたその8月12日の昼には恐ろしくなり躊躇して提出間際に受付で相談すると、母親の素行を訴える申し立て人の一人である娘を相手方である母親が連れ去ったなら危険な疑いはあるから警察暑へ家出人捜索届けをだすのがいいのでは、
ーと言われ、夜の8時を回って娘が生まれて初めて(学校行事や旅行以外では)こんな遅くまで音信不通でさえなかったこともあり、「家出人」として届け出書を提出。
翌日帰って来ない娘の相談で家庭裁判所に行くと児童相談所がいいと言うので警察に通告を頼むがどうなったのかわけがわからないまま数日が過ぎる。

3日目の午前、メールで部活中とあったので部活へ様子を見に行くと父親の姿を
見るなり逃げてどこかへいなくなった。直後自転車で校内外を探すとなにやら不
審な車両に娘らしき影を発見するも見失ってしまった。

内心、あれはもしや児童相談所の車で保護されているのかな?とも思い、ほっと
するも不安は募り、翌日見覚えのある車両ナンバー(11‐27)を児童相談所で発見するまでは安心できなかった。受付で訪ねると教えてくれはしなかったものの娘は機関に保護されている確信を得、娘が居なくなって初めて安堵感に浸った。(8月19日金曜日)
その足で早速裏付けを取るため警察がおうむ返しをする「母親と一緒だから~!」と繰り返す娘の母親がいるとされる母親の母親の住む団地への電話と娘の
母親が手伝っているだろう姉妹の経営する食堂で娘はいないが娘の母親だけはい
るのを確認した。
翌日20日土曜日午後。その食堂へ行くと本日休業。
夜の9時半頃に団地に電話をかけるといるというので入り娘を8日振りに身近で
見る。
その直後の詳細は別の機会に、、、。
以上。
2011年12月7日 おやじ、本村安彦
  

Posted by 無党派無宗教無団体 at 23:34Comments(0)TrackBack(0)ニュース/ジャーナリズム

2011年12月04日

原発と普天間飛行場移設の関連性

詳細はブログ→http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3824783.htmlをご覧ください
「概略」報告と説明
          様 
 しばらくの間、訪問での御挨拶が遅れておりましたので以下、その理由の報告説明をいたします。
平成23年12月4日 金城本村リフォーム設計 代表 本村安彦 電話098-876-5538番 
 ご承知のように金城本村リフォーム設計代表者の本村安彦は訪問販売の営業活動を通じ、この18年間、無党派無宗教無団体という庶民の立場で様々な沖縄社会の問題をボランティア活動の一環として提起し、自由に議論して頂きながら皆様のご協力の下、多くの沖縄社会の問題を解決してきました。これからもよろしくお願いいたします。
しかし、残念ながら去る5月24日以降から、その金城本村リフォーム設計の特色であるそのような社会貢献がまったくもって行えないようになりました。今日はその報告と説明をいたします。
  ものの本によると、弾圧(だんあつ)とは、権力を濫用(らんよう)し与える加害行為で、権力者側による弾圧を組織的弾圧と呼ぶこともある。または、おさえつけること。特に、支配者が権力を行使して反対勢力の活動を抑圧すること。「言論を―する」などとありますとおり、今まさにその弾圧によってこの金城本村リフォーム設計の言論ボランティア活動が現在のところ行えません。
事の成り行き:
 ※2011年2月27日。以下の仮説をインターネット上と散らし配布で発表する。
先ず今日現在沖縄の健康状況から:
1、1946年以降生まれ世代の全国1早世・早死にの問題。いわゆるつい最近まで長寿日本1の沖縄が現在は26位に下がり、数年すれば47番目の最下位に向かう最大の原因である70歳未満世代の早世・早死にが男性全国1で、女性も5位の高さ。男女合わせると全国1の早世・早死にという問題。
2、全国平均不妊症カップルの割合が10組に1組なのに、なぜ沖縄では7組に1組と多いのかという問題。
3、低出生体重児・未熟児(1500グラム以上2500グラム以下)が生まれる率が全国1高い沖縄。全国2番目に多い青森県でさえ9パーセント台(10人中0.9人がその未熟児が生まれる)なのに、全国1の沖縄ではなんと11パーセントを超える(10人中1・1人がその未熟児が生まれる)問題。低出生体重児や超低出生体重児は幼少時期からかなりの成人病・生活習慣病のリスクを背負って誕生するそうです。だから問題なのです。
仮説第一回目:
1、の原因その1、1946年から始まったビキニ環礁での核実験。終了する15年後の1962年までに米国などによっておよそ合計70回行われた。よって、約70回もの核実験による放射性物質を含む放射能雨が琉球列島へ15年余連日のように降り注ぎ続けた。
米軍の核実験時の放射能雨の情報を握りつぶした当の米軍の米軍基地は慌てて水道を敷いた一方、その間の琉球列島の住民約80パーセントは琉球気象台の情報を操作された関係でなんの疑いも無く天水を利用していた。特に当時生まれたばかりの頃の年代の者、いわゆる現在70歳の者は 満15歳になるまでづ~とその放射性物質を含む天水を毎日摂取していただろうから全国1の早世・早死にの短命になっている。
1、の原因その2、上記に加えて1960年代のベトナムで使用された枯葉剤に混入していたダイオキシン散布の問題も重なった。つまり、1962年にビキニ環礁での原爆の実験が終わった頃の1960年代初頭から後半にかけて沖縄本島北部の米軍北部訓練場内でダイオキシンを含む枯葉剤が散布実験・訓練として散布し ていた問題。その地域には実は、その1960年代後半から1970年代にかけて敷かれた水道本管のうち沖縄県民の60パーセントが利用する水道水の水がめのダムが五つも出来るのである。
2007年に暴露されるまでまったく知る由もない県民はその水道水を飲み続けるわけだが、特にその現在70歳未満の者は原爆の放射能雨から連続していることから被害が多く、全国1早世・早死にになるのは当然の結果と言える。
1、の原因その3、戦後沖縄の教育行政で現れている通り、特殊教育対象児童の急激な増加時期とビキニ環礁との因果関係性の問題。戦後の沖縄で盲ろう学校という特殊教育が始まった1951の盲対象児童がほんの10人(全体では32人)で、その4年後の1955年にはその盲対象児童がなんと132人にも上り 、更にそれから7~9年後の1962年から64年に流行した風疹(三日はしか)が原因と認定され新たに生まれた374人もの特殊教育対象児童(内339人は難聴児童)らの主原因とされる妊婦母体の出産当時年齢が17歳~27歳という現在70歳未満の早世・早死に年齢という問題。つまり、放射性物質で免疫力も衰え、弱り きった世代が妊娠をし、風疹(三日はしか)に侵され、全国総数でも僅か1,000人しか対象児童のいないその時期の特殊教育対象児童をたったの1県・沖縄だけで374人も一挙に出産することに繋がったのではないのか。当然の結果として、この年代の沖縄での健康診断時で「必ず病院へ行くこと」として持たされる有所見率 は全国1である。
2、の原因その1、上記65歳未満の年代の健康問題を考えると、ちょうど彼等の子ども世代が現在の不妊症で悩む世代となっている。
母体への汚染が仮に放射性物質などであった場合、時系列からいって当たり前と言えば当たり前の結果だろう。1、の原因上記のような原因であれば。
あえてここで特筆するなら、後々の70~80年台には県民の60パーセントが飲料水として利用することとなる5つもの水がめが建設されるその土壌、森林や水辺へ、当時もその場所が米軍の北部訓練場ということで1960年代のベトナム戦争当時から長年に亘りダイオキシンを含む枯葉剤を散布実験・訓練していたこととの因果関係だろう。
3、の原因その1、問題の70歳未満の年代からすれば丁度母体や父親がその息子や娘世代で、低出生体重児・未熟児がその孫に当たる問題。
 参考資料:2007年に発覚した五つも県民の水がめであるダムが存在する北部米軍訓練区域内のそのダム周辺に米軍がダイオキシンを含む枯葉剤を長年に亘り散布。(2007年7月9日付沖縄タイムス紙夕刊一面及び同日付琉球新報紙夕刊一面)これはお願いですから皆さん是非図書館へ行って下さい。
 さらにもうひとつ沖縄の県民すべての世代にとって見過ごすことができないかなり深刻な事件がある。 1954年の米国政府によるビキニ環礁での水爆実験の際に被爆した沖縄のマグロ漁船のマグロは一匹も棄てられた記録がないこと。また、実験直後から日本への放射能汚染への懸念が全国的に広がったが、沖縄では当初は米軍による調査で、検査値の結果も明らかになっていない実情があること。そして、当時の県内は80パーセントが天水の利用だったが、実験の後、米軍基地は急いで水道を敷いたこと。加えて、実験の後県民の相当な人が(放射能物質を含む可能性があった)天水を飲んだのではないか」との研究報告から、沖縄は当事も米軍占領下だったことから、実験国が支配していた状況で、本土と対応が違い沖縄の米軍基地内と外との対応の差別的違いが明らかになった調査結果。(2010年11月22日付琉球新 報紙22ページから)
 ※2011年3月3日(木)。沖縄では本村安彦仮説から始まった沖縄タイムス紙スクープ↓
沖縄タイムス紙一面「ビキニ死の灰沖縄に」「死の灰嘉手納で本土の2倍」「54年水爆実験後米が観測」「人体の影響専門家調査へ」。社会面「何も知らず被ばくか」「沖縄に死の灰」「米統治下情報奪われ」「近海の船員早世相次ぐ」
※2011年3月11日。フクシマ原子力発電所から放射能が漏れる。
※2011年4月4日。琉球新報紙、本村家、きょうだい6人皆勤賞 港川小2011年4月4日 きょうだい全員小学校皆勤賞を達成した本村家の(左から)五男望君、三男自然さん、末っ子未姫さん、次男眞理さん、四男公平君=3月29日、浦添市港川http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-175672-storytopic-7.html
 【浦添】浦添市の港川小学校を今春卒業した本村未姫さん(12)が皆勤賞で表彰された。未姫さんは6人きょうだいの末っ子で、きょうだい全員が同小を1日も休まず卒業。兄たちは中学校も皆勤賞を取り、未姫さんは「兄ちゃんたちがやってきたことで当たり前だと思ってきた。港川中学校の3年間も頑張りたい」と語り、父安彦さん(57)は「共働きで一人一人にゆっくり付き添うことができない中、自分たちの力で頑張ってくれた」と子どもたちの成長を喜んでいる。

  ※4月5日(4月8報道)。フクシマの放射能が沖縄で観測される。      
 ※4月24日。沖縄電力も原子力発電を7年前から研究問題が新聞で発覚。
 ※5月23日。夕方、インターネット掲示板   http://groups.yahoo.co.jp/group/ml_ryukyu_400130/  上で、今回のフクシマ現地の放射能雨の汚染量より、かつてのビキニ環礁での核実験による放射能雨が琉球列島に降り注いだ当時の琉球気象台の記録、17万カウントのほうがかなり凄い放射能汚染量であることを伝え、公表し警鐘を鳴らす。
 ※5月24日。浦添警察署生活安全課による人通りの多い時間帯での、沖縄の核貯蔵庫撤去市民運動歴17年間の主人の個人的な市民運動に対するこれ見よがし的な妻と二人だけの零細自営家業の個人自宅への突然の家宅捜索。そしてその後の2ヶ月に亘るも数回だけの取調べなどの長期嫌がらせによって商売上の信用が顧客との間でぐらつき、以来、この約半年収入が20分の1に激減した。  
 信用が第一の商売。とうぜんながら自営家業の商売が危うくなる。すると売り上げが上がらなくなることで金銭的にお父さんやお母さんを圧迫し、家計や商売がうまくいかなくなり出します。そして、その被害行為が長引くと当然に精神的にも圧迫され続けることになる。そうなると、当然ながら家庭内では多少の混乱が予想されます。        
 ※六日後の2011年5月30日深夜。長崎放送放映の沖縄の核兵器報道に妻と二人だけの零細自営家業の主人・私本村が出演。以後、8月3日までの約二ヵ月半浦添警察署生活安全課による取調べが続く。
 ※2011年7月30日。来る8月13日の全国ネットテレビ放送ニュース番組に私が出演するこが決まる。すると、警察裏金狙いの情報屋がうごめく。
 ※翌日、8月1日。食堂「ふく家」の実質経営者でもある兄の警察関係者から浦添警察署へ「本村潰し」のデマ通報。家宅捜索直後の5月30日に出演した長崎放送に続き来る8月13日。今度はTBS「報道特集」全国ネット番組出演。「違法ではないが、本村が動けば何かと浦添警察署生活安全課へ幅広い問い合わせが増えめんどくさい」ーと、常々潰したいと思っているそんな矢先。逆に本村の会社が生き延びることに間違いなくなるテレビ出演で困っていた。
そして、そのデマを聞いた浦添警察署は、デマは分かりつつもその日のうちに呼び出しの電話をし、その食堂「ふく家」の実質経営者で警察関係者の意向に沿い嫌がらせをする。
★その時の電話で、取調べの日時を二日後の8月3日の午前十時から二時間ぐらいとした取調べの約束をする。
※2011/8/3 ↓
     ※8月3日午前8時24分、お母さんの携帯へ食堂「ふく                家」の経営者の妻で、妻の妹の志良堂ちあきから電話                が入る。(??)

     午前10時丁度、お母さんがお父さんを浦添
                警察署へ送り届ける。
                これで※5月24日から始まっ
               た一連の浦添察署生活安全
               課による金城本村リフォー
               ム設計の本村安彦に対する
               取調べが終わり、嫌疑が晴
               れ、事件が終息した。 

 ※8月3日。浦添警察署生活安全課は最後の仕上げとばかりに、妻と二人だけの零細自営家業の個人へ間をおいた取調べ攻撃を2ヶ月ものらりくらり続けたあげく、「貴方の放射能除去浄水器販売自営家業・生業と核兵器撤去ボランティアは早くやめなさい」とのある種の脅迫メッセージを届けることに成功する。  

    午後1時ごろ、 お母さんが浦添警察署近くにいるお父さ
           んを迎える。
    午後1時49分、お母さんの携帯に090-2069-9934から着信がる。(??)
    午後3時33分、お母さんの携帯へ妹の志良堂ちあきから電話がる。(??)
    午後4時31分、お母さんの携帯に県内の大
           手金融会社のオークスの債権
           取り立てセンターから電話が入
           る、、、。(??)



 ※この日、一連の家宅捜索事件が終息して、その他の懸案も解決を見たことで金城本村リフォーム設計としてはあとは新たな戦略の模索に入りつつあったが、その一方では、滞ってしまっている様々な学費や最低限度の衣食住の費用といった金銭的な問題などが一挙に脳裏をよぎった。

     午前10:00分~午後1:00分頃まで浦添警察署の市民生活安全課か                ら呼び出されて、なんと一ヶ月以上も前の先月7月の初旬までには5月24日以来5回に      亘って取調べをしてまでその事件は間違いだったということで終えているはずの、十      分に何の疑いもないことが分かっているはずの事件の件での突然の再調書だった。
         と言うのも、そのことを問う私に対する担当刑事のしどろもど                ろの説明などからは一体何のための呼び出しだったか今もって                分からない呼び出しだった印象を強くもっている。(よっぽど、               これはもしかして、、、警察関係にいる者の仕業では??など、               或いは警察そのものではなくて、誰かの嫌がらせではないか?                などと思うようになっていった。
              しかし、その一方、昨今の浦添警察署が家宅捜索までして、それ               まで誰も侵したことがない本村家やお父さん、お母さんの家へ                まで深く入り込んで繰り返す嫌がらせが続いていたことをきっ                かけに、長女・未姫にまで上の男の兄弟並みな厳しい指導方針                を貫き通すアスリート一家としては当たり前的な考え方をめぐ                り、昨日まではそんなアスリート一家の妻として、母として普                通についてきていたお母さんは、お父さんがこの日の取調べに疲れて帰って来た後からは、急に警察という虎の威をお母さんはどこから借りたのか急激に「女子にまでそんなに厳しくする必要などないのではないか」、、、などと大柄な態度にまで出てくるようになっていいった。いったい何時何処でなにがあった??

         どうも、今思えば、お父さんが取調室に居る間のこの日のその                時間。午前10時から午後1時くらいまでの約三時間、一体何                がお母さんを大柄な態度へ変えていったのか??なんで急にそ                のお父さんの考え方への対立が始まったのだろうか???
       これはあくまでも推測だが、その3時間のあいだ、実は2年前にお母さ          んの方からから浦添警察署まで来て夫婦喧嘩のことで相談に来ていた時の相       談保管記録を脅しに利用したんじゃないか。そしてこんなことを行ったんではな        いか。
      お母さんも事情聴取として、また以前のように、警察署の駐車場または生活安全課       かどこか浦添警察署内の生活安全課の伊礼課長辺りが直接担当者となって別の場所       で、その家宅捜索まで過剰にやってしまったような事件のお父さんの調書の裏を取       られていたのではないだろうか。
だから、そのお父さんだけの浦添警察署での取調べのある朝にそのことを伝えるために実の妹の志良堂ちあきから電話があったんじゃないか。
警察関係者を兄に持つちあきの夫が、その兄からその旨をお母さんへ伝えるようにとちあきの夫から指示が出たんじゃないか。
つまり、食堂「ふく家」の経営者の妻でお母さんの実の妹の志良堂ちあきから「本村の取調べ中、その話を別の場所でお母さんへ聞かせて、裏を取りたいから本村を降ろしたら、食堂「ふく家」なり、その警察署の何処何処へ行って取調べを受けて」などと、何らかの方法でお父さんが取調室で話している内容の裏を取らされるから、-との電話があったんじゃないか。
そして、その取調べが終わった頃にまた、「本村に気付かれなかった?」と確認の電話を入れて、このお父さんには「一切話さないで」などとの何らかの密約をさせられたことで何らかの縛りをその実の妹を介して食堂「ふく家」の夫の兄の警察関係者から圧力をかけられたんじゃないか?だからお母さんはそれ以来黙りこくようになっていったのではないか?そして2年前の浦添警察署に行かされた夫婦喧嘩のことの相談相談保管記録のことを一切知らないお父さんをいいことに、「もし、今日の事を話したらお父さんへ知らすぞ!!」-と脅しにも利用しているんじゃないか。

※2011/8/4昼前→ 以下、家庭裁判所へ出した仮処分申請書から抜粋:
         8月4日。その日の昼前に家に戻る途中の                   車内。夫婦でもめた。
          原因は、妻の仕事中の携帯電話の多さだった。
     電話の会話の調子からその相手の中には知っている者もいれば知ら          ない者も含まれることがある程度分かることが災いし、全く誰かが          分からない時には「誰?(二人で情報交換しなければならないこと          がこんなにあるのに妻への着信が邪魔でコミュニケーションがとれ          ないの意)」「忙しいから切っとけ!俺がいる時は後でと言えば」         「今旦那がいるから後でねと言うんだ」などと連発する時もある。
       結局何でもない証明で終わった5月24日の家宅捜索。何でもない        事が分かる先月7月末までの約二ヶ月の間に4~5回の事情聴取で          狭い街では信用ががた落ちで売り上げが普段の十分の一に激減し           た。
      (家宅捜索時の押収品目録交付書の写し2枚を添付したので参照のこ         と)
       、、、これはほんの一例だが、このところ様々な出来事が我が家         を覆い続ける。
       そんな中、車の運転以外は夫の私が自営業のリフォーム関係の           仕事をこなす。
      しかし売り上げがきつくなって約4ヶ月。心配事が山ほどあるにもか         かわらず妻の運転中での、こんな調子でのほほんと、ぺちゃくちゃぺ         ちゃくちゃやっている姿を見て後部座席から携電話を取り上げた。
      その時に互いに胸ぐらを掴むなどの揉み合いになって先に夫のボタン         一つ妻が引きちぎっただけでその後も口喧嘩以外は何もなかった。
       そのまま昼御飯を待っている子どもたちも家にいることもあ            り、妻は家の駐車場で再度けんかを挑発するも、丁度子どもの姿が見         え出した場所に差し掛かったこともあり到着後、出来るだけ子どもた         ちに気付かれないように振る舞い、そのまま時差を付けながら家に          入った。
   (8月4日といえば、丁度昼過ぎから台風の強風域に入りつつあった日)
      二人が家に入ってしばらく経ってそろそろ台風時の買い物を済ませ          ようと、丁度車の運転ができる次男がたまたま来ていたこともあり、         さっきの揉め事でスッキリしていないことも手伝い、結局その次男と         買出しに出掛けた。
       娘の話によると(ひとり家に残った)娘の父親と兄が買い物に出掛          けると同時に図ったように家にはない携帯電話を探し回るも夫がその         まま持って行った事に腹を立てる。
       そして、午後2時頃までにはその台風の最中、独りで家を出た。
     (娘の家ではリフォーム業を自営し、長年生業として来た。その手伝い         を運転免許のない夫の運転手としての重要な手伝いもしている母親が         娘だけではなく他の4人の兄もいる家を捨てどこへともなく姿を消し         た)
       その時家にはその中1の娘だけだった。
     しばらく経って買い物から戻った娘の父親である私と娘の兄は娘の母         親がいないことに気付き、一人で残されたその娘へ尋ねると「知らん」        とパソコンに向かったままそっけない返事。
      その日の夜になって台風は益々本格的に吹き荒れだしたことから心配         になってその母親がいなくなった時の詳しい情報を得ようと娘再度尋ね        た。
     すると娘は「とにかく何処に行ったか分からない。3~4回玄関のドア        をバタンバタンさせていたからきっとタバコを切らしていてイライラ         して外にタバコを買いに行ったかと思ったらそのまま帰ってこない」         と。
      またこうも推理する「これは自分の想像だけど、どっか近所の家に行         き、、、、」とも。
       娘の父親や兄たちも、又か、、、と。娘の父親は「50(歳)も超え        てもまだ同じ事を繰り返して家を捨てる母親を探し回るのも恥ずかしい        からと放っておいた。  
      5、6日経って娘の父親が心当たりに声を掛け出した。
        、、、、、以下省略。つづきは、別紙「仮処分申請書」を参照の          こと。   
同日※2011/8/4 ↓
      上記にもあるように、午後2時ごろ、お母さんはたった一人で家を出         ることになる。
        その経緯の真相は実はこうではないか:
その前に、妻のそのような素行の根底にある以下のようなことを先ず、明らかにした上で事の真相を推理してみたい:

推理:
8月4日、↓  
この日の午前中の上記のようなお父さんとのぶつかりなどの出来事の         主原因である前日や当日に電話で請求のあった夫には話せないような         オークスなどの金銭的な問題を誰かに相談しようとするも、携帯電話         もなく、近場の電話を借りた家から第三者へ相談を持ちかけたとこ          ろ、その夫のお父さんの知らない金銭的な問題をお母さんと関係持つ         ような本村家に対して一種のやましさを持つその第三者で相談相手          は、金銭的な自らの問題にも絡むような緊急な問題を解決せんがため         の目的で、そんな腹づもりなどに気付かず連絡してきたお母さんへ       
「お父さんと喧嘩をした?夫に殴られるかも知れないから家をいった         ん出てみれば」などと、ありもしない暴力といううそでそそのかし、         一日でも家を空けると大混乱に陥ることとなる本村家の妻で主婦兼自         営家業の共同経営者でもあるお母さんに対して、実はその秘密を夫の         お父さんに知られるのが怖くなって、自らが逃れるために本村家の重         要な役割のあるお母さんの立場など一切かまわず無責任なアドバイス         をしたのではないか。
   そしてその第三者の思惑ありな指示でお母さんがたった一人で台           風が迫る最中家出を果たしたのではないか??しかもパトカーで??         或いは食堂ふく家経営者の車で。
   そして、それまでの一連の時系列からはもしかしたら、その第三者で         相談の相手というのは実は、お母さんやお父さんを陥れている張本人         で、その様な状況が早く来ないかと待ち構えていたその相談相手と関         係のある浦添警察署の生活安全課の誰かか、或いは同じ浦添警察署は         浦添警察署でも、本村家を貶めようと画策している生活安全課と関係         を持つ第三者で、その生活安全課以外の部署の夫の暴力が原因と勘違         いした単なる110番または婦人警察官だったのではないか??
    つまり、お母さんの混乱の原因は、浦添警察署の生活安全課と何らか         の関係を持つ第三者が持ち続けている本村家を貶める狙いの思惑など         が主因で、その事にまったく気付く様子のないお母さんは間違って、         本村家を貶めようと待ち構えている張本人でもある第三者と関係のあ         る浦添警察署へ相談の申し出をしてしまったたのではないか。あべこ         べに。
     そして、この日または後日、浦添警察署生活安全課の思惑などに未だ         にまったく気づいていないお母さんから本村家のお父さんや子どもた         ちを貶める情報を浦添警察署生活安全課とその第三者は易々と入手で         きたことだろう。
    要するに、表向きは、暴力も振るわない単なる夫婦げんかについてで         はあるが、今後はできるだけ回避するためには一旦は家を出たほうが         いいかどうかというようなごく世間一般的にもありふれたような何気         ない夫婦喧嘩について相談を持ちかけたお母さん、というシナリオを         用意していたのではないか。
     そして、その裏を知らない他の警察官らへ夫の暴力が原因と勘違いさ         せ、そのお母さんの家出当初の、第三者絡みの生活安全課とはまった         く別の課である、その裏とはまったく無関係な地域課の婦人警官の誰         かがその相談者で第三者に摩り替わったのではないか。
 しかし、その後その純粋な警察官、または婦人警官がいろいろと調べて        いくうちに夫の暴力はないことに後で気付き、一連のDVや虐待などと        のデマを元に大騒ぎしたのはいったいなんだったんだろうなどと、ばつ        が悪くなったことから最後には本村家を潰す思惑のある生活安全課が扱        い、生活安全課や相談者で第三者自らの狙いである本村家を貶める目的        のためにお母さんを「金銭トラブル回避の保障」を盾に脅し、騙しだ         し、巻き込み、お母さんを益々本村家から遠ざけてしまったのではな         か。
その証拠として、お母さんはしきりに食堂「ふく家」で働かざるを得なくなってしまっていて我が家や家業へ戻れない状況が存在するのではないか。
        或いは、少なくとも8月4日以来、今日現在も家出状態のお母     さんと、その後途中の8月12日から拉致監禁され続けている         娘の被害の原因までその浦添警察署生活安全課が作ってしまった可能         性も否定できないのではないか。
     いや、それらすべてが浦添警察署生活安全課の仕業なのかも知れない。
  だとすれば、お父さんが妻・お母さんや、娘・未姫との相談のことで         会おうと連絡を取ろうとしたとき必ず妨害をしてきている警察権力の         壁や影が常に立ちはだかるつじつまや、そんなにまでして本村家を貶め        るなどとの狙いがある警察権力の思惑など知りようもない妻・お母さん        や娘・未姫と、食堂のふく家でのお母さんの実の妹たちの一連の警察権        力をバックニした横柄な態度のつじつまも合致することになる。
       (※8月4日。この日からの出来事はすでに詳細な内容として、        「仮処分申請書や被害届」の文書につづられていますのでご覧くださ          い)
過去20年の金銭面での事実と推測からの考察:

「なんで母で妻の本村弘美が家に帰れないか?」

あえて今回このように大げさに表現することで、あらゆる可能性を大胆に推測まで行い、真相を明らかにし、最終的には「そんな大それたことまではなかった」-と、逆に証明していく必要があると思い、以下したためましたのでご一読ください。

  故・島袋照子は25年以上も前の過去において、自らが使う目的で実の娘で長女の本村弘美(当時の姓は旧姓で金城弘美)を名義人または連帯保証人として借金をした。
その後、その故・島袋照子自らが使った金銭債務の返済から自らが逃れる手段として、当時はすで嫁に行き、別々の世帯を持って何年にもなっていた本村弘美に対して、未だ二十歳をわずかに過ぎたばかりの若さでその意味もよく知らないことをいいことに「破産宣告が楽だ」と自己破産を押し付け、逃れた。
後になって、寝耳に水のその話を聞かされたときに「確かに自己破産すれば法的にはあらゆる債務から逃れられはするもののしかし、一方では、我が家の妻であり母親でもある本村弘美が、しかも別世帯の実母に自己破産されてしまっては、今後の我が家の人生の中で起こるであろう様々な社会的困難やペナルティーがその自己破産をしたことによってより多く降りかかることになることを伝え、当時のその選択は実は、本村弘美にとってはごくわずかなリスク回避のために膨大な便益を失うことのほうが大きい。間違っている」と当時も本村弘美へ話し、止めるよう薦めたのを今でも覚えているものの、この一家の主である私へは一切話もなく、私抜きで進めた手続きだったことから止めさせきれなかった。
おかげで妻・本村弘美自身はもちろん、本村一家の主である私自身や子どもたちも結婚当初から時折、社会的、或いはこと金融機関との関係において一人前じゃなかったことで後悔し悩み続けることになった。
案の定、本村弘美自身は、人として、一人の人間・子を持つ母親としては現実から逃げてしまった無責任ーとの内なる自己批判や、その自らの実母の不道徳がまねく殺伐とした将来へいざなう道徳的社会通念の制裁から以後十年余り、一人前の大人として扱われなくなる恐れの可能性を常に背負ってきてしまっている。
 今から15年ほど前にもこんな事があった。               「県営団地の住居強制立ち退きの手続きの時間帯には絶対に立ち会うな。立ち会ったら本当に追い出されてしまうぞ」ーと、妻の本村弘美へ注意していた本村一家の主で夫の私の注意を、なんとその故・島袋照子は娘・本村弘美へ「母ちゃんの言うとおりにしなさい。強制立ち退きの手続きの時間にはちゃんと立会いなさい」などと、たぶらかし、本村弘美は主の私へは一切内緒で従い、おかげで即刻強制立ち退きに入られ、本村弘美自身も泣き泣き本村家一家全員の家を失わせた。
私が知らせを受け、駆けつけたときにはすでに後の祭り。詰め込めるだけの世帯道具を詰め込まれた普通乗用車の運転席でわずか生後三ヶ月の五男をひとり抱きかかえさせられるという冷たい扱いをされた本村弘美は、実母・故・島袋照子のあやまちに気付き、以後15年実の母であるその故・島袋照子の言いなりにならなくなり、本村家の母として妻としてここまでの15年成功の道を収めることができた。
 しかし、15年の歳月と本村一家の主である本村安彦の注意不足や甘さがそのお母さんのあるべき姿、または道を狂わせた。
実は、その遠くに居るべき故・島袋照子が去年から近くの県営城間団地へ引っ越してきてからは怒濤のごとく、お母さんの昔の記憶へ記憶へと流れさかのぼって戻ってしまった。
そして、今回。
この二十年余、本村家で頑張ったお母さん自身の名誉や徳性。そして社会人なら当然の利益と債務。普通の社会人なら真正面から立ち向かわなければならない。
しかし、その故・島袋照子はまたもやお母さんへささやいた。(以後の内容についてはあくまでも可能性を追求してみた)
特に「離婚して、母子家庭になれ。そしたらかなりの母子手当てが入る。今の暮らしより楽になる」とのささやきは強く強調したのではないか。(故・島袋照子自分自身にはどんな狙いがあったかは本人に聞かないと知らないが、考えられることと言えば、例えば、母子手当てや福祉の援助金を持ってくる自分の思い通りになる娘を増やせることなどの欲得がありはする)
そして、故・島袋照子は、自らの実の娘・本村弘美の嫁ぎ先の本村一家の自営家業でその実の娘自身も夫と二人の共同経営者でもある金城本村リフォーム設計という、リフォーム工事などの仕事上の債務を背負ったままではその受給資格を失いかねなくなることから、「本村家の一切の債務を負わないで」その本村弘美と本村安彦の家業を潰し、市役所や福祉などの母子家庭などの援助を得させ、得る目的があったのではないか。以下、考えられることをさらに言えば、故・島袋照子自分自身への多少の小遣にもありつけるかもしれないなどと少しぐらいは目当てにしていたからこそ、債務の多い本村家の家業の共同経営者でありながらも連帯債務者にはなっていなかったことを本村弘美から聞き、
「ほら、昔かあちゃが言ったとおりに破産宣告で自己破産しておいてよかったでしょ。だから連帯責任者にさせられなかったんだよ。こんなふうなときに助かるんだよ。ありがたく思え」とささやきながら債務0での脱出・逃亡背任を図り、実娘・本村弘美をそそのかしまたもや教唆したのではないか。
そして、偶然とはいえ、その計画の道半ばの8月20日に本村家の主で本村弘美の夫の本村安彦が突然現れ、妻・本村弘美と娘・未姫を連れ戻そうと部屋へ入ってきた。
しかし、故・島袋照子がそのような計画を描いていたのであれば、浅はかではあるが、その浅はかな計画にとって必須の孫娘・未姫を取り戻そうとする娘の父親の本村安彦を追い払おうとしたものの、力尽きたのか、人生を全うしたのか、しばらくしてひとりでにその場で倒れ、救急車で運ばれはしたものの翌21日にはこの世を去った。
  以上のような故・島袋照子と本村家の金銭にまつわる事実と推測の話は、故人本人とその実の娘で本村家の妻で母の本村弘美とその夫・本村安彦のこの三人だけにしか理解できない話であることから、偶然にも亡くなった故・島袋照子の四十九日の喪が明けた10月9日を持って終えたものとすべきであるとしたい。
よって、そのあやまった計画は実娘・本村弘美が実母故・島袋照子に代わって終わらすべきである。
終わらすことで、昨日まで足踏み状態が約三ヶ月続いてきた本村家一家全員が新たな明日の生活へ踏み出し、前へ進める。
以上。
平成23年10月19日 本村安彦

 翌、8月4日に運転手役の妻を行方不明にさせて、その妹と夫は今度も私に無免許運転をさせる状況を作り出し、無免許運転をしたところをかねてから「情報屋」を介して私のライフワークである「沖縄から核施設を撤去させよう!!」とのボランティア活動を監視していた警察関係の兄を介して警察へ通報して逮捕監禁させ、仕事からはずし、ライフワークのボランティア活動も仕事もさせないようにしようとした。
私は5日後の8月8日に家出中の妻を探し当て、翌日家に実母や妹の香に伴われて戻ってきた妻とその運転免許の事について話し合いをした。
私はこの間も当然のようにチラシ配りと営業は徒歩で続けた。
翌日朝から、せめて夕方ぐらいまでの時間帯だけは仕事の件とは別にしてでも当時すでに家に残る遺棄・放棄状態にあった後になって拉致されることになる娘も含む5人の未成熟子の扶養の義務だけは最低限果たすことを決める。
翌日から子どもの送迎と家事だけは最低限やる目的で朝早くから何処からともなく現れて家事と子どもの送迎だけはやり続けた。
しかし、運転免許のない私が、徒歩で出来ることといえば自宅の地元を回るぐらいだが、それでもなんとか営業に毎日出てライフワークのボランティアを兼ねながら浄水器の販売営業を続ける傍ら、運転免許取得へ向け自練へ通うのを繰り返して三日ほどした
8月12日の早朝。
その日も何処からともなく娘の早朝練習の出発時間に少し遅れてやって来た妻へ、待ちきれず徒歩で先に練習へ出掛けた娘を途中でピックアップするよう指示を出し、娘を浦添総合グラウンドへ連れて行くように頼んだ。
☆おそらくその時は、「いかなる理由があろうとも直ぐに家庭や仕事、そして社会的なあらゆる物事をむやみに放棄させられてしまったようなお母さんを真似することがない母親になりなさいね。お前は。お父さんは知っている。娘のお前に対してお母さんがここ2,3日しきりに自己弁護を繰り返しているのを。しっかりしなさいよ!!」
ーと前日の晩辺りからその13歳の娘へ陸上のトレーニングを行いながら、更に厳しく、時には涙がにじむほどのいち人間としての教育的指導を繰り返しながら強く話し掛けていた事を娘から聞いて知った妻から又聞きをした食堂「ふく家」の実質的経営者で警察関係者らが只、単に「気に入らない」と思ったのだろう。
その時は、只それだけの理由で娘の拉致をもくろんだのだろう。
そして「父親が娘に対して虐待をした」などとありもしない「デマ・狂言」を先ず浦添警察署へ流し、その後その13歳の娘まで伴って「配偶者暴力相談」などとして女性センターへ父親へは一切連絡もせず違法に連れ出し巻き込んだ。
以来、裏を取るうちにその事実は無いことに気付きはしたものの、その時すでに一週間が過ぎていて父親へ謝罪すれば済む話にもかかわらず、そのまま拉致することにした。
そこで、娘13歳に対し、そして妻に対してそれなりの「悪者」に父親をする必要が生じた。それが、事の始まりではなかったか。
 おそらくその日の時点では、運転手役の妻が居ないなら居ないなりに地元を徒歩で回るなどの方法での営業やボランティア活動をしぶとく続ける私に対し、娘まで居ないとなれば、きっと今回も過去同様、緊急避難的に無免許で自動車を運転し、娘の捜索を始め出し頻繁に無免許運転を繰り返すのではないかと踏んだのだろう。
また、翌日の8月13日予定の全国放送へ父親の私が出演するとなると、私の仕事やボランティアも間違いなく好転することにつながることは目に見えていたことから、「本村の家族潰し」を企ててきたそれまでの努力が水泡に帰するのではないかとの危機感もあって、「娘の拉致」などという大それた犯行行動を取ってしまったのだろう。
また、その全国放送出演という私の約二十年来のライフワークが実り成功する姿を、いずれは自らの商売の広告塔として利用したくて手に入れたい娘・未姫(みき)へだけは見せたくないという思いもあったのではないか。
なにしろ、彼らが、浦添警察署を利用し、拉致以後のこの娘へ行った悪戯では「あんたのお父さんの商売は悪い商売で、被疑者とまでなっている」などと警察官から十分すぎるほど思わせるような悪戯などがあったからだ。
 無免許運転での逮捕監禁を目的に娘の未姫(みき)まで拉致してまで私に無免許運転をさせようともくろんでは見たものの、しかし私は、 この8月12日の午前8時18分以来連絡の途絶えた娘の未姫(みき)と妻を案じ、試行錯誤の末、その時の連絡係りの四男の公平(こうへい)から伝えられる状況を「拉致」と疑い、認識・判断した午後2時ごろには前日からその拉致された娘の未姫(みき)や妻、その他の家族へ話してあったとおり、その彼らの悪戯を那覇家庭裁判所へ「拉致」と口頭で訴え、申立て書での手続きではその疑い、認識・判断である「拉致」を確かめる目的で、その彼ら食堂「ふく家」の経営者や第三者らを浮き彫りにする目的でとりあえず、その当時事実として表面に現れている現象である妻の置かれた立場から始めることとして「扶養の義務悪意の遺棄母妻事件」として彼らの思惑などまったく知らないであろう妻を相手方として調停を申し立てた。
以来、その家庭裁判所への調停申し立てによって、そのようなその食堂「ふく家」を中心とする彼らの「本村潰し」の手段であった「無免許運転での逮捕監禁」の思惑は外れた。
 そして、夜8時頃になって私が浦添警察署へ娘の分の家出人捜索願を出し、数時間前には家庭裁判所へ「その妻を利用している彼らを浮き彫りにする目的」があることは伝えず、只単に「扶養の義務違反の妻」という趣旨だけの文書を見せ、その通り調停を申し立てていることをその時の浦添警察署の警察官へ伝えた。
おそらく、その食堂「ふく家」の経営者や関係者らはその家庭裁判所への訴えを知って、「無免許運転で逮捕監禁」との当てが外れたことから慌てて万が一のため、最低でも娘を拉致したことだけは隠蔽しようとの対抗処置として、その時点ではすでに「ドロボーの片棒」を担いでしまっていたこともあり、その浦添警察署も一緒になって「夫婦のいさかいで家出している」-とのストーリー作りに入る目的で女性センターへ先ず、アリバイ的な実績作りの目的でそうとは告げずに「何らかの相談」という名目で出向いたのではないか。
その根拠はというと、これまで教育的指導や過去3~4年ほど前にあった正当防衛での緊急避難での夫婦のいさかいはあっても「暴力」などというようなことを一切振るっても居ないにもかかわらず。後日分かったその彼らの行った8月12日と8月30日のその女性センターでの相談内容は「配偶者暴力相談」となっていることである。
その根拠や証拠はまだある。
その一週間後。8月19日。その食堂「ふく家」で無理やり働かされている妻を見つけた時。二人話し合った家へ戻る条件を提示する妻の条件の中には「暴力を振るわないで」などという条件など微塵も無かった。
その時は、妻の実の妹の志良堂ちあきともうひとりの実の妹の金城香の二人。そして実母の故・島袋照子も立ち会っている。
そして、その時私が書いた「暴力」の文字などまったく入っていない「家へ戻る条件誓約書」を妻が今も保管しているはずである。
以上2011年12月3日 おやじ・本村安彦
 ※8月3日。浦添警察署生活安全課は最後の仕上げとばかりに、零細自営家業の個人へ間をおいた取調べ攻撃を2ヶ月ものらりくらり続けたあげく、「貴方の放射能除去浄水器販売自営家業・生業と核兵器撤去ボランティアは早くやめなさい」とのある種の脅迫メッセージを届けることに成功する。   
 ※翌日8月4日。妻と二人だけの零細自営家業の個人業者の妻で共同経営者で運転手役が、この自営家業では今後も警察からいじめられるのではないか、との恐怖心から、いち経営者としてもいち主婦としてもすべてを遺棄・放棄させられ、一人で家出。      
 ※八日後の2011年8月12日。第三者の狂言を利用した浦添警察署が運転免許も持たない主人たった一人だけが残った零細自営家業の個人宅の13歳の娘の拉致誘拐を指示したことで、実行犯が娘の母親のため逃げ出せず二ヶ月が経った今も未だに寝泊りを転々としていて、自分の家族の待つ自分の家へ帰って来れない。
 ※翌日の8月13日夕方5時30分。TBS全国ネット「報道特集」の沖縄の核兵器報道に妻と二人だけの零細自営家業の主人の私が出演し、全国へ沖縄や日本の平和運動を広めるがしかしその一方、今日現在、その自営家業は潰れかけ、妻と娘は行方不明状態が続いている。 そして、その背景にいる間接的弾圧者で沖縄の権力構造の頂点に居座る加害者らは暗黙のうちにそうなっていくことの情報をなぜか承知していた、、、。
 だからといって、これはなにも国や沖縄電力そして県、或いは市などと言った経済や政治の統治者や支配者がこんな普通の市民一家でしかないいち本村家を直接的に弾圧していると言おうとしているわけではありません。では誰がいったい何の目的で彼ら経済や政治の統治者や支配者の間接的な弾圧加害行為に手を貸しているのだろうか推測してみるとこうなるのではないか:               
 それは、彼ら国や沖縄電力そして県、或いは市などと言った統治者らから回っているであろう弾圧裏金を貰い続ける警察関係者と、その警察関係者へ情報を提供することで警察裏金が得られる情報屋個人のこの本村家に対する個人的な誹謗中傷での警察への情報提供と、5月24日の浦添警察署生活安全課が絡む家宅捜索のことを知ったいち警察官の個人的なこの本村家に対するねたみや勘違いなどからくる直接的な弾圧が、間接的には彼ら経済や政治の統治者の弾圧に手を貸していることになるのではないか、ということを言いたいのです。                               
 或いはその逆も考えられます。つまり、浦添市の一市民が、過去二十年にも亘り執ってきた商活動方法を普通に行ったことがたまたま彼ら経済や政治の統治者側が自らの愚かな行いである沖縄電力の沖縄本島での「7年前から行われている原子力発電研究」批判に繋がるからといって、その一市民としての商活動をそのものを本末転倒にも不当なものとして「弾圧」と呼び、新聞社などのマスメディアや浦添警察署へ訴え、「潰してくれないか」と泣きこんだ可能性も否定できないのではないか。
(むしろその事例が近年の日本では増えているそうである)
 もしそうならば、仕事の合間で配る新聞の切抜きのチラシや個人的なインターネット上での言論を指しての訴えでしかないのだから、むしろその訴えに手を貸したマスメディアと警察署は余計に罰せられなければならない。
特に4ヶ月間にも亘り、その個人宅の娘や母親と、その父親で夫間を音信不通にすることで、その間すでに犯してしまった13歳の娘の少年法違反教唆やその他諸々の刑事事件などの不正義などを警察としては知られたくないだろう。だからそのことを追及するであろう父親と妻及び娘とはその音信不通のまま離婚でも何でもして貰おうとしているのではないだろうか。
 弾圧は、個人や団体が自分たちの集団より劣っているという意識、あるいは無自覚ながら劣っているという思い込みが背景にあることが多いと聞きます。
その理屈からすれば、この金城本村リフォーム設計という家業を持つ本村家は個人です。個人が被弾圧者にされるていのですから加害行為の弾圧者もきっと個人に間違いないのではないのでしょうか。
そして彼ら経済や政治の統治者側自らは高見の見物でそのような違法な人権侵害行為を暗黙のうちに認めている、のではないでしょうか。
(1948年12月10日に国連で採択された世界人権宣言、1976年採択された国際人権規約)
以上
詳細はブログ→http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3824783.htmlをご覧ください
2011年12月4日
沖縄県浦添市港川2丁目10番8号
  金城本村リフォーム設計 本村安彦 電話番号:098-876ー5538
  

Posted by 無党派無宗教無団体 at 13:51Comments(0)TrackBack(0)ニュース/ジャーナリズム